銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

酒井忠康氏を守るために世田谷一家殺人事件は起きたし、現在田口さんが私にまとわりつくのも酒井先生を守る為でしょう

2025-03-16 23:34:17 | 政治

 今は、18日の午前四時です。40時間ぶりに文章を読み返すと誤変換だらけです。これでは死ぬねと思いながらも誤変換直しに取り組みます。

副題1、『本日もブログを書く理由。田口さんの不思議な行動は、酒井忠康氏を守る為だと、推察していて、それを、書いておきたい。まず、導入部を、書きましょう』

本当は税務申告の漏れている領収書を、プラスしたいところです。しかし、赤字が、すでに、380万円を超えたので、まあ、いいか、この辺で、と思って、ブログを書くことへ時間を割いているというわけです。赤字が、380万円の、確定申告書類は、ほぼ、できていて、数値も入っていて、追加の領収書を記帳したいがために、わざと完成させていないというところです。特に別の場所に置いておいた、みずほ銀行関係の書類、など、いったい、どの項目に入れるか、まったく迷っているからです。

 あそこは、9月14日、Ms 柴田という行員の一存で、追い出したお客=私から、その日22000円以上取っているのですよ。本当にひどい支店で、やっぱり、高校同級生八尾さんのご主人(元富士銀行勤務・・・・多分東大卒)が、動いていて、支店長に、私の悪口を言ったから、そうなると、考えています。

 悪口の中で、最もひどいものは、私の妹が2017年の7月に、殺され、その際、事前に、異様にして恐ろしい電話が(妹自身)と、その連れ合い、柏木孝司からもかかってきて、(両方とも生涯ではじめです)その二つともが録音されていて、使いまわされていると感じています。

 まず、妹から、お金がないとか、人生の先行きが心配だと、いう・・・・・この人は、いかにもノイローゼであろうと、だれもがその録音を聞いたら感じるであろう電話がかかってきたうえで、

 その六か月後、彼女の連れ合い柏木孝司から、「喜美子が自殺しました。警察に安置された遺体がシーツをかぶっていて、僕は、とても、めくれなかったのですが、娘が看護師(大卒です)なので、シーツの下に手を入れて、「骨盤が壊れているわ」といいました。14階から飛び降りたのです」という、30分ほどの長い電話がかかってきたのです。

 東京都が、清新町(最寄り駅は西葛西)に作った14階建ての、分譲住宅は、そのうち全部タワマンに改装されてしまいそうですが、14階は、無住で、人が入れないのですよ。デザイン上作ってあるだけなのです。 それね。この他殺は、やまゆり園事件一周忌(2017年5月26日)を迎える直前、7月10日に行われました。わたくしが、2016年に書いたやまゆり園事件分析がすべて正しいからこそ、2017年にそれを繰り返して書かない様にするための、謀略行為だったのです。

 その後、妹の死の真相を調査するために西葛西から、清新町に向かって歩いて行って、いろいろ調査して、やはり、柏木孝司は、嘘をついているのだと、確信したのですが、夜に入ってしまい、角野栄子さんの、文学館があるあたりまで、歩いて行ったせいで、「すごく樹木が、成長している公園があるのだ。ビックリ」と、ブログで書いたから、公園の樹木が、400本切り取られ、そこに隈研吾氏設計で、角野栄子文学館ができたのです。そして、本日の朝日新聞夕刊にも見事に角野栄子さんへのおほめ記事が出ています。そういう風にタイミングを合わせるのが、彼らの得意中の得意で、「どうだ、頭がいいだろう!」と、誇っている姿を感じ取ります。

 私は本当に戦わないとだめなのです。というのも、その後、NHKが横山秀夫の、【ノース・ライト】という小説をドラマ化して、大宣伝をして、放映をしました。その小説は、2019年新潮社から出ていて、裏に、公的には、すでに死んでいるが、地下潜航して実際には、生きている井上ひさしの、種々の支援と、示唆があったと、見ています。

 井上ひさしは、横山秀夫に嫉妬して、彼が、浮上できない様に、林真理子を、駆使して、直木賞受賞を阻害しました。ただし、井上ひさしは、CIAエージェントであり、自分がになることだったら、朝令暮改は当たり前で、安倍晋三元総理大臣は、こき使ったうえで殺したのですが・・・・・

 横山秀夫の方は、反対で、2002年にいじめ切っているのを、今度は、反対に、2018年だったか? NHKで、ドラマ化するとか、そういう予定も教えて、新潮社にも、大宣伝をさせて、テーマを、横山秀夫に示唆して、彼に書かせたのです。

 ここらあたりの、心理的あざとさは、くるくるくるくる、回転していますが、

 妹だって、私の出版業を、阻止するために、2007年ごろには、大きくCIAエージェントに利用をされていたのですよ。CWトンプソンという世界第三位の広告会社に、ヘッドハンティングをされて、いったん辞職していたのに、再就職をして鳥居薬品時代と、同じ仕事(お医者様向け新薬の、宣伝パンフレットを作る)をしていたのです。そして、それは、製薬会社から、トンプソンに、お金が入る仕事なので、妹は、私の出版業を、あえて、言葉に出して、軽蔑したのですよ。それなのに、殺されるのですから、彼ら朝令暮改ぶりは本当にひどいです。

 松坂桃李が、今、星光学園を、舞台にしたドラマの主役で、大ヒットを飛ばしているそうです。わたくしは、星光学園の中学校の生徒たちのいじめあいを目撃して、【雨傘のゲーム】というエッセイーをメルマガ時代に書いています。それは、20年前の話ですが、東戸塚で降りて行った、人の男の子が、横浜駅の、横須賀線ホームの最北端(まだ、こ線橋があった時代に)雨傘を目に突き刺すと、いうゲームをしていた話です。ものすごいスピードで、雨傘の先端を、目に向けて、突き刺し、どこまで我慢ができるかを競うゲームですが、ターゲットは、同じ男の子で、その子だけ、5回以上目に雨傘を突き刺せられているのでした。わたくしは、むろん叱って止めさせました。

 メルマガ時代に書いたのですが、文章としては、単純に叱ったということをかいているのではなくて、いじめのリーダーと、いじめられ役の子供の、心に違いを書いています。わたくしが叱って止めさせた後では、いじめられていた子が中心となって、宇宙の話などを三人で交わして楽し気でした。いじめのリーダーの方が孤立化していたのです。東戸塚という20年前には、アラフォーの富裕層が転入してきた土地柄(今の武蔵小杉と同じです)という土地柄を、際立たせています。4人は同じ小学校の卒業でしょう。それと、横浜本牧(私は、星光学園が建設中に、当時はそこに付属があった本牧立野の丘から、見下ろしていたのですよ。)などの土地がらを、含めたエッセーでした。もちろん、星光学園の、先生方は、読んでいると思います。話がずれていきましたが、今、星光が、心理面でも、子供を、成長させる大変いい学校になったそうで、それはあのエッセーも利いていると思います。不遜な言い方で、ここでそれを書くと反発が大きいとは思いますが、あの、雨傘のゲームのいじめリーダーは、未熟な精神の親に「東大へ行け」と暗に陽に、プレッシャーを与えられている子だと思います。

 松坂桃梨李の奥さんが戸田恵梨香で、朝ドラスカーレットの主役を【喜美子】名義で担いました。N党の立花たかしとは、私をつぶすために、成立した政党であり、人物でしょうが、「困ります。その政党名」といったって、変更しないでしょうから、放ってあります。ただ、NHKがニュース部門だけではなくて、ドラマ部門も含めて、私を心理的にいじめる道具となっているのは事実です。

 あさどらスカーレット放映中は、私は、ピリピリ、ピリピリ、するほど、毎日、いじめられていたのですよ。そしてその後のことです。戸田恵梨香は、中国東北部、旧満州を報道する番組の司会者に、抜擢されて、大同炭鉱と、大同石窟仏(雲崗石窟仏とも呼ばれている)

 を訪問しています。彼女は、こういう番組のリポーターをするにしては、ちょっと言葉遣いが雑で悪いです。男女共学の公立高校出身で、女子校育ちではないのだろうと、思いますが、それでも、NHKで、リポーターをするのだったら、松嶋菜々子、菅野美穂、仲間由紀恵程度の丁寧語はマスターしてほしい。

 だが、この番組も、私の神経を揺さぶるものでした。父は満鉄調査部、中央試験所の所員として、よく大同炭鉱に出かけていました。いわゆるオイルシェールの研究をしていたのです。日本語名、頁油岩(ケツユガン)の発見と、そこから石油を取り出す研究です。ただし、石灰層を溶かす技術も、財力も当時(第二次世界大戦中)の日本には、無かったので、中国で、石油を見つけたいと願う、日本国の願望は達成されませんでした。中国がそれに成功したという話も、大同炭鉱では聞きません。

 父が描いた、ここの石窟仏の油絵は、新京のラストエンペラーの宮殿を飾っていたのですが、鶴太郎がNHKの派遣で、そこを訪問した時には、もちろん、父の絵はありませんでした。敗戦後、父は、元部下だった中国人に頼んで、満鉄関係の、えらい人(満鉄総裁とか、甘粕大尉とか)の部屋を飾っていた自分の絵を、「どうなっているか、見て来てほしい」と頼んだそうです。すると、フォンタナの絵見たいに、ナイフで、縦横無尽に、切れ込みが入れられていたそうです。北京の天壇などの、中国の文化遺跡の風景なのに、日本人が描いたというだけで、憎しみの対象だった模様です。

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副題2、『さて、戸田恵梨香が、朝ドラで、妹の名前で、主役を張ったのも、彼ら、鎌倉エージェントの、謀略行為の一つなのだが、妹の・・・・・他殺でありながら、自殺として喧伝をされている・・・・・件は、どうしても覆しておかないとならず、したがって、その準備段階の、文章として、すべてのブログ文を書いている。

 でも、それだけで、10年はかかるだろうし、その途次で、私が殺されそうになっているのだから、その防衛上の文章も書かなくてはいられなくて、なかなか、妹の件には、着手できない。

 で、時々の現象について、は、それぞれ、ちゃんと書いておきたい。でないと、そこから、また、種が育って、たいへんな事になるからだ。居酒屋、奈可川と、ご近所人間、渡辺賢司夫妻と、伊藤玄二郎の問題は、ひとまず置いておいて、

 本日は、とても気にかかる田口さんと、その陰にいる酒井忠康氏について言及したい。これは、酒井氏のお金儲け主義と、その根本原因である、女すきの問題が、裏にあるから。非常にあざとくて汚い問題なのだ。居酒屋奈可川の問題とは比較にならないほど、こちらの方があくどい。

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副題3、『田口さんと、私は、ほぼ、40年にわたる知遇がある様な気がする。最初は、歯牙にもひっかけないよという感じで威張っている人だった。しかし、京橋のある画廊内で、ロングコート姿の田口さんを見かけて、

 「今日は、7月ですが、寒いので、ロングコートで正解でしたね」と言う様な挨拶をすると、「どなたでしたっけ」と、田口さんが言うので、自分のことを紹介すると、田口さんが、「ちょっとお茶でもしませんか?」というのでドトールに入った。

 どうして、そういうこと=お茶を一緒に飲む=をしたかというと、田口さんが、数年前とは、まるっきり違うと感じたからだ。ずっと、やわらかくて、対等になったと感じた。で、そういうことは瞬時にわかるのが私で、カフェ内で、それを言うと「僕ね。病気したんですよ。だから、変わったのでしょう」と、彼が言うので、内心で、『いい方に変わったのだわ。この人。今は、どういう状況で、何を考えているのかしら?』と思って、それをぶつけると、

 彼の本業は、編集者なのだそうです。ただ、自分で、経営をしているのかな? 今の蔦みたいに、何でも屋でもあり。関心が多方面にあるのでした。で、私は、以前の剣呑な雰囲気の彼よりも、最近の方がいいと思って、そういうことを言うと、「僕が所属している、今、浄智寺で、月に一回集まっている、匠の会に参加しませんか?と誘ってくれました。

 で、パリへ行く前の三年弱、北鎌倉の文化人たちと、サークル活動を、していたのです。文化庁の在外研修でパリへ行くことになって、それから、帰国後、逗子で、一人暮らしを始めますそうすると、以前は自宅から歩いて行っていた浄智寺が遠くなって、自然に、匠の会とも縁が切れました。

 逗子で、一人暮らしをしたのは、パリで数年定住したかったのに、主人がそれを許さず、

 仕方がないので、パリ定住は、あきらめて、旅行ビザだけで、ニューヨーク修行に出かけようと決意を変えたのですが、それをも、絶対に許さないであろうから、黙って行ってしまうために、ニューいーくへはいかず、日本国内にいる時間も、一人暮らしをしていたのです。プレスという版画を作る機械が重すぎて、鎌倉の家には、持ち込めないのも、逗子の古いマンションの一階に、24のスペースを確保した理由であり、和室があったので、そこで、寝泊まりもしていたのです。わたくしは、集中が可能な独り暮らしは、大好きで、寂しくもなんともないのです。そして、一日を三つに分けて、三時間寝ては起きて,五時間修行をして、次の八時間サイクルに入る・・・・・という暮らしを二年ぐらいしたら、

 肺炎になって「死にますよ」とお医者さんに言われるほどになったり、背中が痛くて、24時間居ても立っても居られないと、いう症状になったので、それを、たまたま鍼灸医へと、転身していた主人が直してくれたのです。週に三回、三か月通ったのですが、嘘の様に痛みが消え、それを、神様の啓示と取り、専業主婦として、できるだけの創作活動に、戻ると、予定を変更したのです。本当なら、グリーンカードを取って、58以降の人生をニューヨークで送るつもりだったのに、大予定変更を、自分から選んだのです。それに、この経験で分かったのですが、大望を抱く人間にとって、それは、無駄だと思われることもとても大切なのですね。たとえば、夫婦の会話・・・・・そういうものが人間の健康を作るのです。

 主人は、自分は、料理が上手だというので任せきっていたのですが、実はそれが心臓に血栓を生み大病に至りました。好きなもの(脂っこいもの)ばかり食べていたからでしょう。で、ビックリして、自らの専業主婦度をさらに進め、一日に、8時間程度お料理に時間を割いています。わたくしは、田村魚菜さんの学園にも通いましたが、基本は、中学時代から、母のとっている、婦人の友の料理を作っていて、それの、延長です。でも、料理は非常に上手な、はずです。ふ、ふ、ふ。

 でね。そういう風に生活が変わったので、北鎌倉の匠の会とも疎遠になり、田口さんとの交流も途絶えていたのです。

 ところが、私が、ぐんぐんぐんぐん、大物化していったので、文章を書くよりも、美術の世界に戻した方がいいと、酒井忠康氏・ほか、が、考えたのでしょうね。匠の会に行かなくなった様に、国展にも出品をしなくなったのですが、それは、社交的な集まりをすべて捨てるという形になり、文章への密度が高くなり、文章が、ますます、上昇していくので、CIAエージェントは、困ってしまったのです。

 銀座の画廊巡りで、月刊ギャラリーの連載が、始まって喜んでいたら、それを、一年目で、何の連絡もなくつぶされてしまったり、でも、編集長の奥様(会社に来ている)と、クッキーのレシピの交換をしたりしているのにどうして?と思うほど、ひどい切り方でした。その時に、酒井先生からの命令だったであろう。と、推察するのですが、

 酒井先生からは、七里ガ浜のホテルでの、吉田茂穂宮司様就任記念パーティでも、一時間半、隣の席なのに、完璧に無視されるといういじめを受けていましたし、

 酒井先生の讒言により、美術界で、いじめてくる様になった人というのは、村松画廊のオーナーをはじめ、枚挙にいとまがないのです。が気が付かないふりをしてやり過ごしてきたのです。

 しかし、今は、田口さんが悪い方向で、二度目の利用をされていると思います。それは、2013年ごろに、二度目の病気に陥った田口さんに、大きな負担を強いることなので、私はこのだまし作業をやめさせたいと考えているのです。

 ただ、本日は、ここまで

といって16日の午後11時に書きやめて、今は、28時間後の18日の午前三時です。しかし、今なお、完成まで書くほどの時間も体力もありません。

 ただ、メモとして書いておきたいことがあり、この章に関するものなので、ここに引っ付けておきます。

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副題2、「メモとしての、新喫茶店、マーロー・・・・・・への意識を寄せておく話』

 上の罫線までの部分だけでも、酒井忠康氏、伊藤玄二郎等と、警察の特殊部隊のインテリ部分は、震撼したと思いますよ。傍証は示しませんが、それは、ちゃんとわたくしにはわかっています。

メモー1)、 マーローという新しい喫茶店ができた。入口は表参道側にあり、プライスは、少し高くて、昼間でもアルコールが飲める。そこは、昔は、本屋と大和証券が、東急側(駅の改札口側に)あったビルで、もし、本屋の主人が、マーローの経営者だとすると、教養が深いねえ。

 マーローという命名は、スペルを、クリストファー・マーロウChristopher Marlowe洗礼1564年2月26日 - 1593年5月30日[1])は、イギリスイングランド)の劇作家詩人翻訳家。大学才人。 からとっている店名だと思います。

 でね。マーローはシェークスピアと、非常に関係が深くて、

ウィリアム・シェイクスピア

ウィリアム・シェイクスピア(英語: William Shakespeare, 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))は、イングランドの劇作家・詩人であり、 ...

 シェークスピアとは、実はマーローのペンネームではないかとする説もあるほどなのです。
 ただ、私はそのお店にはほとんど入りません。アルコールは分解できる体質ですが、今は、体が弱くなっていて、コーフィーでさえ、胃腸がおかしくなるほどだから、昼間っから、お酒を飲める場所には入りません。
 
 ところが、田口さんに会うとき、彼は、いつも、ほっぺたが赤いのです。アルコールを飲みながら、待っているのではないかしら。で、警察の尾行が、「今、彼女(=私のこと)は、浜銀によりました」とか、「今、東急ビル(スーパーほかが入店している。鎌倉では大きな方のビル)に入りました」というお知らせを、田口さんに、授けて、それを聞いた後で、交番の前で、すれ違う様に設定をされているのではないかと思います。
 ここにも、いろいろ、説明を加えないといけません。馬越陽子さんが、どう使われたかというデジャブーも、あるし。
 でも今は、一切オミットです。で、一般の方は、何が何やらわからないと思いますが、お許しください。
 この章は、酒井忠康氏と、伊藤玄二郎と、警察の誰か、と、井上ひさしがわかればいいのです。
 
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 上のメモを副題2といたします。
副題3、『世田谷一家殺人事件は、ご主人の母君が残念がって、いろいろ、警察も動かしているので、定期的にNHKニュースに乗る。
 しかし、あの事件程、日本の警察が二重構造持っているいことを示している事件はないと思うのだ。
 
 表側の警察は、警察庁長官の狙撃事件も必死になっておっているし、この世田谷一家殺人事件もおっているのだけれど、犯人は見つからない。
 いわゆるCIAの殺人専門集団が、数人で訪れて殺したとみている。
 
 目的は酒井忠康氏の、異様な長きサラリーマン生活(特に昔だったら、公務員だと思われる世田谷美術館館長を、81歳まで、勤務したことを、私が批判をすることを、「お前、殺されてもいいのかよ」と、言いたいCIAエージェントが企画して、警察の特殊部隊が、殺したのだとみている。特にご主人のお姉さんがアメリカ帰りで、かつらいターだと
 新潟で、死後轢断事件として、発見されたおおももたまきちゃん事件も全く同じ。
 ただ、おおももたまきちゃん事件の方は、黒い車に乗っていた小林遼という青年がやったという事になっているが、警察とCIAエージェントたちは、嘘ばかりついているから、そっちの方が嘘でしょうね。
 
 世田谷事件の方に戻ると、日本人の普通の人、いわゆる一般人の、考えを錯乱し、真犯人に気が付かせない様にするために、事件後現場をいろいろ、工夫して犯人たちは、去っていった。・・・・・と私は思う。
 冷蔵庫からアイスクリームを出して食べて去ったと、言われている。カップに入っていたもので、高級なものでしょう。で、そのカップの残りから、犯人は、異様に余裕がある人間だと、言われている。しかも単独犯とも、言われている。
 血が付いた上着が残されていて、それが、韓国製だと、言われていたり、スニーカーの跡があって、それも韓国製だと言われている。
 私も数年間は、それを信じていたけれど、妹の他殺の件で、ものすごく、込み入った工作をする人間たちが相手だから、
 
 この一般の警察が見つけ出した、三つの証拠とは敢て、残されたかく乱要因であり、
 真犯人は、4~7人でやってきて、車は二台使い、監視役も置いていて、四人を殺すために、一人を、一人ずつが担当して、一気に10分以内に、全員を殺し、アイスクリームも一個だけ、流しに流して、食べたことにして、さっと2台の車に乗って去ったのです。
 まあね。まさか、とおっしゃる向きには、どうぞ、あなたのお考え通りに、その事件を解釈なさっておいてください。だけど、命令した人間とかアイデアを出した人間は、そこまで言うか、と、震撼しているところでしょう。
 
 酒井忠康氏が、この解釈に、何も感じていなかったとしたら、酒井忠康氏は、モンスターです。わたくしごとき、世田谷区には、ほとんど行かない人間でも、ここまで、わかるのですよ。ただ、どうして、そこまでわかるかは、本日は語りません。
 
 特に前田清子さんと、大原光孝さんが、本日は症としていました。と書くと明日からまた、点灯をするでしょうが、この文章が、本当のことなので、伊藤玄二郎が電気をつけない様にと、二人に命令をしたのだと思います。
 あいつ=私のこと、は、君たち二人の脅かし行為に、へこむどころか、怒って怒って、さらに激しく、真実を出してくるから、困るから、本日は、点灯しないで置いてくれ」と、頼んだのでしょうね。そんなことは瞬時にわかります。
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