NHK大河ドラマ「どうする家康」での
第8回『三河一揆でどうする!』での放送…
年貢を取り立てようとする家康(松本潤)に対し、一向宗徒が三河各地で一揆を起こした
そんな一向一揆で、一向衆徒の拠り所となったのが、上宮寺や勝鬘寺、そして第8回『三河一揆でどうする!』で登場した本證寺
本證寺は、上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られている…
触頭とは江戸時代に江戸幕府や藩の寺社奉行の下で宗派ごとに任命された特定の寺院のこと
それ以前の戦国時代では三河一向一揆の拠点となったこの本證寺
1563年、当時岡崎城主であった松平家康(のちの徳川家康)が22歳のとき、本證寺を始めとして、西三河で一向一揆が起きる…
そもそも三河一向一揆が起きた発端は、寺の土地で獲れた米は年貢として領主に収めなくても良いという松平広忠(家康の父)の代に与えられてた「守護使不入の特権」を家康が破り、年貢の徴収をしはじめたから
その頃の本證寺の住職は
NHK大河ドラマ「どうする家康」で、歌舞伎俳優市川右團次さんが演じてた「空誓上人」
とても落ち着きのある威圧感で圧倒する存在感を放ちながら演じられていたけど
でも、実際は、「空誓」は、家康と対峙したときは、18~19歳だったんだって…あのようなオジサンじゃなかったんだ
三河一向一揆は、家康にとって
後の三方原の戦い・伊賀越えと並んで、生涯における三大危機の一つと言われるほど
一揆は半年続き、家康家臣団を二つに分けての闘争となる…
一揆終焉の後、本證寺の僧侶「空誓」は領国追放となり、主要なお堂も破却される…
ただし、20年後に家康の叔母である石川妙春尼の尽力により一揆の罪は赦免され、1585年に寺内の住人の租税免除が認められ、禁制が解かれると本堂などの再建を果たし、江戸時代に再興を遂げ、今に続いている…
そんなお寺である
本證寺
「若き家康と戦った三河一向一揆」との幟が…
さて、その三河一向一揆で家康を最も悩ませたのは、一門や家臣にも多くの門徒がおり、彼らが一揆側についてしまっていたこと
本多正信や徳川十六神将の渡辺守綱や蜂屋貞次も一向宗側に…
第8回『三河一揆でどうする!』では、家康の信頼している策士・本多正信(松山ケンイチ)が、一向宗側の軍師になっていることが判明…
家康が寺へ突撃する経路を先回りされ、銃弾を頭に食らって倒れる…この家康が同一揆で銃撃をされたのは史実なんだって…
もし、ここで家康が亡くなっていたら、日本の歴史は変わっていたのね…と壮大な悠久の歴史のロマンを抱きつつ
本證寺に行く…
本證寺は、鎌倉時代後期に慶円によって創建されたと伝えられる浄土真宗大谷派の寺院
今も所在地は、一向一揆の頃と同じ場所にあり、当時も浄土真宗……
山号は雲龍山…正式名は雲龍山本證寺
別名「野寺御本坊」とも呼ばれているよう…
山門…これは最近になって建てられた門のよう
山門をくぐった正面に本堂が…
まずは、手水舎で手を浄めて…と…
歳を重ねるごとに、穢れてしまってる心までは清めることはできないけど…苦笑
横に張ってあるテントには、歴史ガイドボランティアの方がおられました…おそらく2月以降、春までは「NHK大河ドラマ「どうする家康」」ブームに乗って、多くの観光客&松本潤さん、松山ケンイチさんのファンが訪ねていることでしょう…
そのテントに貼ってある説明板
おお、お寺と言えども城址みたい
二重の堀(内堀・外堀))や土塁が巡らされてることなどから「城郭寺院」とも呼ばれているようで…
案内看板を眺めた後には
本堂へと
本堂は1663年に再建された入母屋造り、本瓦葺きの建物
本堂を向かって左から撮影
本堂の屋根瓦は
阿吽の狛犬のよう
本堂の中に入って拝むこともできました
欄干の彫刻、彫りものが素晴らしくて…見惚れちゃいます…もう、ずっと眺めていたい衝動に…
歴史を感じさせてくれます
ご本尊であられる阿弥陀如来さまに合掌
国指定重要文化財の聖徳太子絵伝が堂内に展示されていました…
そして、本堂内の柱には
「徳川家康と戦った寺」とのポスターがでかでかと貼られていました!
さてさて、本堂で参拝を済ませた後には、再度、境内をぐるっと…眺めつつ散策をば…
境内は広い広い!だだっぴろい!!
そんな境内で目に留まるのが
二重の堀(内堀・外堀)や土塁が巡らされてるお城っぽい本證寺ですので
物見櫓…とも思えそうな
鼓楼…1760年に建立されたもの…
境内の外側は水堀に囲まれていて…太鼓を打ち鳴らして時を知らせたようだけど…きっと敵の侵入もここで見張っていたようにも思えちゃう…
水堀には蓮がいっぱい…溢れんばかりに
微動だりしないツル…水堀の奥に鼓楼
本證寺の境内の南側にある鐘楼
この鐘楼も江戸時代のもの…1703年に建立
境内にある本證寺の石碑と
説明案内板
国指定史跡になった平成27年に作られたと思われる
説明解説板
鐘楼の隣にある経蔵
経蔵は1823年に建立された寺の経典を保管するための建物…
こちらは本堂裏、駐車場近くの内堀
いかにも、城址っぽい!
もう城址マニアにはタマラナイ!!
内堀を眺めて大興奮…堀を眺めるとテンションがあがるのは、今までの人生、墓穴を掘ってきたからでしょうか??
内堀の前には、ここにも微動たりしないツル…
境内に戻って、境内から龍宮橋という…乙姫様が出てきそうな橋を渡ると
内堀で囲まれています…
そこにみえるのが
裏門
1700年代前半に建てられた薬医門
その裏門から入ると正面にあるのが
庫裏
庫裏は1830年に再建された建物
そして、この庫裏に裏手には
土塁が残ってる…
おお、テンションあがる!!
土塁だ!!土塁だ!!
内堀と外堀の二重の堀に囲まれていた上、土塁も築かれていたとなれば、城址そのもの…
物見櫓もあって…本證寺城として紹介されることもあるようで…
今の時代、もし「空誓(くうせい)」僧侶が生きていたら…
電気代、ガソリン代を始め、値上げ、値上げのラッシュに
もっと、生活をらくぅにせい!!楽にはやくぅせい!!と国のお偉いさんに、モノ申していたかも…
さすがに、この時代、一揆(いっき)という訳にはいかないよね…
と思いつつ
こうしてブログを書き終わったこのタイミングで、お酒を一気(いっき)に飲み干した私なのです……