城址マニアの私が、今回紹介する城は
竹ヶ鼻城址
岐阜県羽島市にある城址
1467~69年の応仁年間に、竹腰伊豆守尚隆によって築城
その後は土岐氏や斎藤氏に仕えた長井氏が入り、更に織田氏に支配権が移ったよう…
1584年(天正12年)織田信雄の配下の不破源六広綱が城主の時代に起きた小牧・長久手の戦いの際に、10万余騎を率いる豊臣秀吉の水攻めに遭い落城(竹ヶ鼻城の水攻め)…不破源六広綱は落ちのび、伊勢長島の信雄の城へ退去する…
その後、秀吉の配下の一柳直末が入城、直末が大垣城主となると、続いて池田恒興の配下の伊木忠次、その後は森寺清右衛門が城主となる…
1600年、関ヶ原で天下分け目の戦いが行われたその1か月前、木曽川をはさんでこの地周辺が東西両軍の前哨戦が行われることに…
岐阜城主織田秀信は西軍石田方についたので、配下の竹ヶ鼻城主杉浦五左衛門も西軍に味方することになる…
東軍は、清洲城を出発し、二手に分かれて、河田の渡しには池田輝政や浅野幸長ら1万8000人の兵が、下流の起の渡しには福島正則や黒田長政ら1万6000人の兵がそれぞれ到着し、その後、木曽川を渡り、ともに岐阜城を攻める作戦に出る…
これに対して、西軍、織田秀信は、諸将を木曽川右岸に配置したものの、東軍は次々と木曽川を渡河し、織田方を攻めて敗走させ、織田秀信は岐阜城内へと退くことになる…
一方下流に向かった福島正則らの軍勢も渡河しようとする
対岸には、竹ヶ鼻城主杉浦五左衛門重勝の軍が待機していたが…東軍は、夜中に船を集めて下流の加賀野井を渡河し竹ヶ鼻城を攻たてる…
杉浦五左衛門重勝は降伏のすすめを拒絶して抗戦を続けたもののついに力尽き、城に火を放って自害した…
これが竹ヶ鼻城の戦い
「天下分け目の関ヶ原」の
「前哨戦は美濃竹ヶ原」…
このイラストのクリアファイルが150円で売っていたので、購入した私…
この地で、初めてこの杉浦五左衛門重勝の名前を知りました…
これによって廃城
そんな竹ヶ鼻城の本丸を標す石碑と案内板
その後方には、城っぽく石垣も積まれてて、でも明らかに新しくて、遺構ではありませんな…
さらには、その後ろには竹ヶ鼻城が…???
おや、これは再建された竹ヶ鼻城ではなくて
「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館」
でも、あきらかに竹ヶ鼻城を意識したハコモノですな…
この竹ヶ鼻城を意識したハコモノの中の一角に
竹ヶ鼻城の展示コーナーがありまして
そこには
竹鼻城のお宝??かも知れない?鞍(くら)がありました…
東軍が本丸まで攻め寄せてきたときには杉浦五左衛門重勝は目の前がまっくらになったことでしょう…
鎧(よろい)も展示され
杉浦五左衛門重勝は、東軍なんて、ちょろいと思っていたことでしょう
そしてパネルには
竹ノ鼻城本丸二の丸跡推定場所…とあるだけあって
どうやら城があった位置が分からないようで、もともとは別の場所に標柱があったようで
そんな謎がいっぱいの竹ノ鼻城
東軍に攻められて,杉浦五左衛門重勝は羽島(はしま)の地だけに、「こんな美濃地方のはしまで(端まで)攻めてくるなんて」「は!しまった!!」と思ったのに違いない???
はい、今回のブログは…
これで「はしまい」…
もとい「おしまい」…チャンチャン!!