岐阜県羽島市竹鼻町に鎮座する八剱神社を参拝した後には
幕末の大和絵師・宇喜多一蕙の作「雲龍の絵天井」が素晴らしいとWEBで「羽島市・観光」とググってみたら載っていたので
それをぜひ拝見したいと思って
羽島市竹鼻にある曹洞宗の寺院、ご本尊は宝冠釈迦牟尼仏である
真如山本覚寺へと徒歩でとほとほと向かう!!
その小径の途中にあった赤い社殿がキラキラと映える神社
秋葉神社…
秋葉神社らしく…石塀の「葉っぱ」のくり抜きが、なかなかインパクトがあって
立派な石鳥居もあって
その奥の拝殿の門も赤くて、葉っぱの模様
この境内にある時計もなんかノスタルジーさを醸し出してて
ぶらさげてあるこの人形も、なんのキャラクターかわかんないけど愛らしい…
髭が片目を塞いでますな…
まあ、生きていれば目を覆いたくなること、多々ありますからな
髭―(ひげー)…もとい…ひでー(酷い)話が…
さてさて竹鼻の古い町並みは昭和初期にタイムスリップしたかのよう
歩いていると、本覚寺の駐車場をみつけ、ぐるっと廻ってみるとお寺が…
本堂にて合掌…
御本尊さまがいらっしゃいます…
さてさて、本堂の天井をみあげてみると…いたって普通…
お堂の横には
おそらく、びんずる様
繋がって、お隣りにもお堂が…
覗いてみると、弘法さまがいらっしゃったので、これは大師堂…
で、天井をみあげてみると…いたって普通…
境内のこの赤い鳥居は稲荷社だと思われるし…
「雲龍の絵天井」はどこ??「雲龍の絵天井」はどこ??「雲龍の絵天井」はどこ??
はい、ないはずです…このお寺は真如山本覚寺のすぐお隣りのお寺
普門山般若寺でした!!
真如山本覚寺と間違えて、ごめん!ごめん!!
ふもんざん(普門ざん)だけに、「間違えたこと」不問にしてくださいな…ともう一度合掌…
さてさて、この普門山般若寺も、名鉄竹鼻線の線路沿いにありますが…
お隣りの真如山本覚寺も名鉄竹鼻線の線路沿いにありました…
一度踏み切りを渡って、再度、別の踏切を渡り戻って
目指した真如山本覚寺に到着!!
ここは竹鼻城主歴代の菩提寺
さらには「大仏さま」になった永田佐吉さんのお墓もあるようで
解説板の左隅に「雲龍の絵天井」の写真がありますなあ…
これを見たかった訳でして
さて山門の手前の参道には名鉄電車を眺めるかのように並ぶ…8体のお地蔵様
こちらのお地蔵様は…ひとりぼっちで、ワンルーム屋根付きで…
山門
山門をくぐると正面に本堂…
山門から境内右側に十一面観音像と
瓦葺きの鐘楼
十一面観音像のおられたおそらく無縁仏の墓石の頂上には弥勒菩薩さまも座っておられます…
本堂の左、線路側には
竹鼻稲荷大明神が祀ってある竹鼻稲荷堂
めちゃ怒ってますなあ…
きっとコントンとした世の中に怒っておられるのでしょう!!…キツネだけにね
めちゃ怒ってますなあ…
新型コロナウイルス感染症に振り回されて疲労コン憊で、イライラしているのでしょう??
こちらは竹鼻稲荷堂の奥の院でしょうか…
鳥居が傷んで、なんか傾きつつあることを…とりいそぎ…ご報告しておいて
さてさて、いよいよお待ちかね
「雲龍の絵天井」のある本堂へと
この本覚寺は1558年の創立で、当初は天台宗でしたが後に曹洞宗に改められたとのこと
1600年の関ヶ原の戦いで
竹鼻城が落城したときに焼失…
1774年には再び火災に見舞われましたが、
1580年竹鼻城主・不破広綱が父の菩提を弔うために
本覚寺を再興し、不破氏の菩提寺として開基…1786年に再建
本堂の天井には、直径5・4メートルの円の中に龍全体が回転するように描かれていて、「八方にらみの雲龍」と称されているとか
その本堂は1891年に濃尾大震災で崩壊し、絵天井も破損してしまう…
そこで、1914年名古屋市に住む画系の後嗣、森村宜稲が補修し、現在に至っているとか…
ではでは、合掌し、本堂の中へと
宇喜多一蕙の作「雲龍の絵天井」を拝見しました…
ここに凄すぎる!!と、載せたいところですが、残念ながら撮影禁止でした…
でしたので、読者のみなさんに写真でお伝えすることはできないので「雲龍の絵天井」がどんな「絵天井(えてんじょう)」だったのか、私が見たその感想を、みなさんが見た気になれるよう言葉で書き綴ってみよう!!
えーと、「天井」にはド根性ガエルのように龍(りゅう)が貼り付けられていてな…宇喜多一蕙さんは「いちりゅう」の画家でな…江戸時代は、こんな絵がりゅうこう(流行)してたのかな…
え??全然説明になっていないって??オヤジギャグばかりでオモシロくないって???
読者の不満が次々と…???
それって「絵天井(えてんじょう)」やなくて「えんじょう(炎上)」やないかー!!