台風のニュースを見ながら書いています。
台風の進路の皆さん、気を付けてください。
深川に、詩人度会園女の墓があります。
彼女を知りません。
調べてみました。
「園女は斯波一有の妻で、大坂で夫と医業を営み、俳句を芭蕉に学びました。
芭蕉は大坂の園女宅で病没しました。
夫の死後江戸に移住し、富岡八幡宮前に住み、眼科医をしていました。
富岡へ36本の桜を植え歌仙桜と称し、そこが桜の名所となりました。
享保11年4月20日死去し、ここ雄松院に葬られました。
また、晩年は和歌にも親しみ、伊勢神宮に和歌を奉納しています。」とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ad/2dbbc3369611c819dfbf59cc59c34e1e.jpg)
この時代に、女性が夫の死後、単身大阪から江戸に引っ越して来るのは凄いと思います。
辞世の句が墓石に記されています。
「秋の月 春の曙見し空は 夢かうつつか南無阿弥陀佛」
ここが雄松院です。
門扉に葵の御紋があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/1a/e372735065d900f19fd47bc737940e9a.jpg)
どうしてだろう、と思いました。
近くには霊巌寺があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/2e/168551f3173f6623aebd3acade8a01a8.jpg)
緑深い、大きなお寺です。
ここには、8代将軍吉宗の孫であり、寛政の改革の推進者松平定信の墓があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8c/f3f6699179a5c81dce9bbc193b92f8d1.jpg)
私でも知っている歴史上の有名人です。
かなり広い廟所です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/fc/70b51388e5b02e01c765b838ec3272fb.jpg)
本人以外の墓もこの中にあります。
夫人らの墓と思います。
霊巌寺の近くに、雲光院があります。
このお寺には阿茶の局のお墓があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b4/b908ca53464a8ee5dbc36ed3aa832e6e.jpg)
彼女は徳川家康の側室です。
大阪冬の陣の後、淀君を説得して(騙して?)、大阪城の内堀まで埋めさせた功労者です。
正面にあるのが阿茶の局のお墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/68/9a6f7b884f2c9381127958a7641734f7.jpg)
立派なお墓です。
立札には従一位と書かれています。
側室でありながら、非常に高い階位です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/dc/84aa6997690f6a643b51a04e6b1ee2c1.jpg)
さて、家康の墓と遠く離れて、どうしてここに彼女のお墓あるのでしょうか?
古地図をみると、この辺りは松平家の屋敷があったところです。
この地は徳川一門の領地だったようです。その縁でしょうか?
でも、どうして一人なのでしょうか?
前述の雄松院に葵の御紋がありましたが、あそこも徳川一門の墓所なのでしょうか?
もう少し勉強の必要があります・・・。
近くには行き付けの蕎麦屋があります。
根津の蕎麦屋とは真逆の、下町っぽい庶民的な店ですが、大正六年創業の歴史があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/89/87a4081d3f615bda02a35919905c1388.jpg)
何を食べても美味しいのですが、私は、深川丼ともりそばが好きです。
素朴な蕎麦が好きです(深川丼セットにも付きます)。
でも、不定期に休みます。気が乗らないと休みます。
従って、近隣の勤め人の評判は良くありません。
私はいつも電話で確認してから行きます。
今日は営業していました。
また近くに、名物オヤジが営んでいるつくだ煮屋があります。
十数年来の雑談友達です。
近隣の観光案内をしてくれ、美味しい店も教えてくれます。
時々TVで紹介されるオヤジですが、この暑い中、今日もカツラを被って頑張っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/84/8707e09803467a859632ed55a8ce3ee8.jpg)
先日「モヤモヤさま~ず」の撮影があったそうです。
放送は今度の日曜日かも知れません。
台風の進路の皆さん、気を付けてください。
深川に、詩人度会園女の墓があります。
彼女を知りません。
調べてみました。
「園女は斯波一有の妻で、大坂で夫と医業を営み、俳句を芭蕉に学びました。
芭蕉は大坂の園女宅で病没しました。
夫の死後江戸に移住し、富岡八幡宮前に住み、眼科医をしていました。
富岡へ36本の桜を植え歌仙桜と称し、そこが桜の名所となりました。
享保11年4月20日死去し、ここ雄松院に葬られました。
また、晩年は和歌にも親しみ、伊勢神宮に和歌を奉納しています。」とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ad/2dbbc3369611c819dfbf59cc59c34e1e.jpg)
この時代に、女性が夫の死後、単身大阪から江戸に引っ越して来るのは凄いと思います。
辞世の句が墓石に記されています。
「秋の月 春の曙見し空は 夢かうつつか南無阿弥陀佛」
ここが雄松院です。
門扉に葵の御紋があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/1a/e372735065d900f19fd47bc737940e9a.jpg)
どうしてだろう、と思いました。
近くには霊巌寺があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/2e/168551f3173f6623aebd3acade8a01a8.jpg)
緑深い、大きなお寺です。
ここには、8代将軍吉宗の孫であり、寛政の改革の推進者松平定信の墓があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8c/f3f6699179a5c81dce9bbc193b92f8d1.jpg)
私でも知っている歴史上の有名人です。
かなり広い廟所です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/fc/70b51388e5b02e01c765b838ec3272fb.jpg)
本人以外の墓もこの中にあります。
夫人らの墓と思います。
霊巌寺の近くに、雲光院があります。
このお寺には阿茶の局のお墓があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b4/b908ca53464a8ee5dbc36ed3aa832e6e.jpg)
彼女は徳川家康の側室です。
大阪冬の陣の後、淀君を説得して(騙して?)、大阪城の内堀まで埋めさせた功労者です。
正面にあるのが阿茶の局のお墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/68/9a6f7b884f2c9381127958a7641734f7.jpg)
立派なお墓です。
立札には従一位と書かれています。
側室でありながら、非常に高い階位です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/dc/84aa6997690f6a643b51a04e6b1ee2c1.jpg)
さて、家康の墓と遠く離れて、どうしてここに彼女のお墓あるのでしょうか?
古地図をみると、この辺りは松平家の屋敷があったところです。
この地は徳川一門の領地だったようです。その縁でしょうか?
でも、どうして一人なのでしょうか?
前述の雄松院に葵の御紋がありましたが、あそこも徳川一門の墓所なのでしょうか?
もう少し勉強の必要があります・・・。
近くには行き付けの蕎麦屋があります。
根津の蕎麦屋とは真逆の、下町っぽい庶民的な店ですが、大正六年創業の歴史があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/89/87a4081d3f615bda02a35919905c1388.jpg)
何を食べても美味しいのですが、私は、深川丼ともりそばが好きです。
素朴な蕎麦が好きです(深川丼セットにも付きます)。
でも、不定期に休みます。気が乗らないと休みます。
従って、近隣の勤め人の評判は良くありません。
私はいつも電話で確認してから行きます。
今日は営業していました。
また近くに、名物オヤジが営んでいるつくだ煮屋があります。
十数年来の雑談友達です。
近隣の観光案内をしてくれ、美味しい店も教えてくれます。
時々TVで紹介されるオヤジですが、この暑い中、今日もカツラを被って頑張っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/84/8707e09803467a859632ed55a8ce3ee8.jpg)
先日「モヤモヤさま~ず」の撮影があったそうです。
放送は今度の日曜日かも知れません。