荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

芸予要塞跡(小島)へ行く-4

2015年07月01日 | 散文
小島再訪です。
前回より天気がよくて、雨の心配はありません。

北部砲台を中心に廻ります。

海岸道路を通って島の北部へ行きます。



海岸から石段を上ります。

この石段は当時のものではない思います。

案内板に従って北部砲台跡へ向かいます。



<北部砲台跡>
案内板の記載内容
「小島東北部に位置する北部砲台には、24cm加農砲4門と軽砲4門が配備されたほか、発電所、兵舎、浄化槽、探照灯などが造られ、明治35年(1902年)2月に竣工しました。


しかし明治37年の日露戦争時には、中部砲台の榴弾砲が外されて旅順に運ばれるなど、小島砲台の武装は軽くなっていきました。


そして豊予要塞の完成によりこの芸予要塞も不要となり、大正13年(1924年)に廃止となりました。
大正15年には、北部砲台は陸・海・空軍合同の航空機による爆撃演習が行われ一部が破壊されています。


要塞の廃止後、当時の波止浜町長であった原真十郎氏は、要塞の町への払い下げを国に熱心に請願し、この芸予要塞の歴史的価値を永遠に伝える公園としての保存公開を訴え、昭和2年(1927年)に波止浜に払い下げられました。
この時、北部砲台の加農砲4門は、当地に残っていましたが、太平洋戦争の際に金属回収のため供出され今は砲座跡が残るのみです。」

(砲座跡)



(地下室跡)





(爆撃演習による爆破跡)



飛行機での爆撃演習を行いましたが、命中率は非常に低かったようです。



(井戸)



(浄化装置跡)



(発電所・地下兵舎跡)





(地下兵舎跡)



今日はここまで。
次回は北部司令塔跡へ行きます。

コメント
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