荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

武蔵野の道「石神井川コース」

2019年02月16日 | 散文
旧中山道から、石神井川沿いの遊歩道を西下します。


石神井川は王子駅前を経由して荒川に注ぎます。
桜の名所でもあります。


「観音橋」がありました。


「谷津大観音」に行き当たりました。
初めて見ます。


冬空の下に鎮座しています。


冬晴れの遊歩道が続きます。




大観音を振り返りながら行きます。


道案内がありました。
現在地を確認しています。


こんな公園の傍です。


前には水辺に橋があります。
水遊びや野鳥観察ができる公園のようです。


「憩いの水辺」脇の武蔵野の道です。


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榛馬場跡に行き当たる。

2019年02月16日 | 散文
日が射さない狭い路地に小さな神社がありました。




「榛馬場跡」との説明板がありました。


なるほど、その馬場の傍らに在ったのがこの「榛稲荷神社」なのですね。
葛飾北斎もこの神社脇に住んでいましたか。


境内を入った所に「葛飾北斎住居跡」の説明板があります。

読みづらいと思うので書き写します。

「この辺りには、江戸時代に武士が馬術を訓練するための馬場が設けられていました。東西約185m、南北約22mの広さがあり、馬場を囲む土手に大きな榛があったので『榛馬場』と呼ばれました。馬場に祀られていたのが『榛稲荷神社』です。


本所(現在の墨田区南部)に生まれた絵師葛飾北斎は、この稲荷神社のすぐ近くに住んでいたことがありました。北斎は90歳で没するまで常に新しい技法を試み、『富嶽三十六景』に代表される錦絵だけでなく、肉筆画も手がけ、数多くの作品を生み出しました。


榛馬場の辺りに住んでいた当時の様子を伝えるのが、『北斎仮宅写生』(露木為一筆)です。絵を描く老いた北斎と娘の阿栄が描かれています。阿栄も優れた絵師でした。
その暮らしぶりを飯島虚心は『蜜柑箱を少しく高く釘づけになして、中には、日蓮の像を安置せり。火鉢の傍には、佐倉炭の俵、土産物の桜餅の籠、鮓の竹の皮など、取ちらし、物置と掃溜と、一様なるが如し』(『葛飾北斎伝』)と記しています。北斎がこの地に暮らしたのは天保末年頃(1840年頃)で80歳を越えていたと思われますが、絵を描くこと以外は気にも留めていないような暮らしぶりが見てとれます。


北斎は生涯で94回以上も転居を繰り返したとされていますが、居所のすべてが正確に分かっているわけではありません。榛馬場の北斎住居跡は、ある程度場所の特定ができ、絵画資料も伴うものとして貴重な例です。


また、幕末明治期に活躍した政治家勝海舟もこの近くで生まれ育ちました。海舟の父、勝小吉の自伝『夢酔独言』の中にも、榛稲荷神社についての思い出が記されています。」


ビルの谷間の、両国国技館の近くです。


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