荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

消滅した商店街?(遊園地通り商興会)

2019年02月20日 | 散文
荒川遊園へ向かう道路脇に地蔵堂があります。


地蔵堂を入って行くと、左右に商店が健在でした。




僅か数軒の商店街ですが、以前と変わらぬ景色です。


外れにある「たこ焼き屋」です。


これほど変わらない景色も珍しいです。


あれ!?
貼り紙が出ていました。

こういった時の「しばらく」は、「永遠」である場合が多いです。

振り返る景色も以前と全く変わりませんが、商店街の幟がありません。
大丈夫か?


(前回訪問時)


ここは「遊園地通り商興会」だったのです。

商店街は衰退の一途です。

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上がった所は文豪旧居跡

2019年02月20日 | 散文
根津の日医大つつじ通りから藪下通りへ入ってすぐに、西の丘に続く坂があります。


気になったので自転車を押して上がってみます。
左側は日本医科大学付属病院の塀です。


右側には民家が並んでいます。


地価が高い地域ですが足腰が弱ったら住みにくいだろうと思いながら民家を眺めながら自転車を押し上げてていました。
あれ!?
あれって、大根では?
坂を吹き上げる風が干し大根作りに良いのでしょうか?


思ったよりきつい坂です。
民家の門扉脇に自転車がありました。


坂が続きます。


病院の塀が続きます。


千駄木の坂道です。


頂上から振り返ります。
町並みに日が当たる冬の根津風景です。


坂上から開けた街に出ました。
そこには夏目漱石の旧居跡があります。
題字は川端康成です。


説明板を読みます。
「夏目漱石は明治36年1月英国から帰り、3月3日ここ千駄木本町57番地に居を構えた。

前半2箇年は一高と東大の授業に没頭したが、38年1月『我輩は猫である』『ろんどん塔』等を発表して忽ち天下の注目を浴び、更に『猫』のせっこうと並行、39年初から『坊ちゃん』『草枕』『野分』等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした。歳末27日西片町に移り翌40年4月朝日新聞に入社し、以後創作に専念した。


千駄木本町は漱石文学発祥の地である。
森鴎外も前に(自明治23年10月 至同25年1月)その家に住んでいた。家は近年保存のため移築され、現在大山市明治村にある。
昭和46年3月3日」


こんな坂です。


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