荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「友あり遠方より届く」のその後

2020年03月07日 | 散文

もう2週間前になります。友あり遠方より届きました。あれから毎日1種ずつ家族で分けて賞味しました。話が弾んで楽しくて美味しうございました。手元にこんなものが残っています。捨てられないのです。1枚1枚に、故郷の景色が浮かぶのです。

「島レモン」だけありません。家内が友人との食事会に持って行って、見せびらかしてから使いました。譲るんじゃなかったと後悔しています・・・。

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橋げた跡に気がついた。

2020年03月07日 | 散文

こんな物がありました。何かのモニュメントのようです。「きよひらはし」の文字が見えます。

 

ここは大横川親水公園です。よく通る公園ですが、今まで気にしたことはありませんでした。私にはこういったことがよくあります。普段は全く視界に入っていなかった物が突如存在として現れるのです。そうなったら、もう素通りできません。

 

自転車を停めてモニュメントの正面から眺めます。橋げたでしょうか?

 

説明板があります。「清平橋」の橋名板(冒頭のコンクリート土台にある銅板プレート)と鋼材の一部です。

 

往時の写真があります。今の親水公園はこんな川だったのですね。この橋の下を流れていた川を埋め立てて公園にしたのですね。

 

架け換えられた現在の清平橋の橋げたです。

 

橋を人が渡ります。橋の下の川だった所が南北に長い公園になっています。所々にある池や小さな流れは、先ほどの写真にあった大横川の名残りです。

 

橋を潜ります。

 

正面にスカイツリーを見ながら走る公園です。

春待ちの空です。

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模様替えするのかな? 的な谷中の塀

2020年03月06日 | 散文

ここの塀が気に入っています。ん!? 透けています。

 

振り返ります。もともと透し塀ではありますが、どうするんだろう。春を迎える準備かな? そんなの見たこと無いし・・・

 

今までの塀です。

 

これがどうなるのだろう・・・?

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春の陽射しの谷中の路地

2020年03月06日 | 散文

谷中に来ればこの路地を覗きます。

 

人が居ないので写真を撮りました。コロナウイルスの影響ですが、この路地に人が居ないことは稀なので、撮影者にとっては好い景色です。

 

まだ銀杏の樹に芽吹きはありませんが、陽射しは春のものです。

 

勝手口に陽が射します。

 

一度開いているところを見たいです。

 

振り返ります。

そこまで春が来ています。

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水温む

2020年03月05日 | 散文

ゆりのき橋の袂にて。

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根津の路地

2020年03月05日 | 散文

もうすぐ春が来る。

 

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岡倉天心記念公園の異変

2020年03月05日 | 散文

春の木漏れ日の公園を訪れたら、唐突に工事フェンスです。

 

覗いてみます。

 

広範囲に掘っています。何だろう?

 

フェンスの向こうを見ます。

 

公園の周りの民家はいつもの佇まいです。この雰囲気が好きでよく来ます。

 

ブランコも普段のままです。

 

もう一度フェンスを見ます。

 

ここには滑り台が在りました。

 

お気に入りの滑り台でしたが、再建なのか別の遊具を造るのか?

 

もうこの景色は見られないのかな?

 

ここに来ればいつも空を見上げます。

今日は抜ける青空です。

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亀戸の富士塚

2020年03月04日 | 散文

既報のとおりここ浅間神社で都電の痕跡を探した時、その場所が分からなくて、隣の富士塚公園も探しました。鳥居の先の境内の向こう側です。

 

その時に出会った富士塚です。弟橘姫の笄(こうがい)塚を再利用して造ったものらしいです。

 

「古事記」に登場する日本武尊と弟橘姫夫婦の美しくもはかない物語に始まる由来が記されています。現在の神奈川県横須賀市沖で、夫を海の神から守るために弟橘姫が海中に身を投げて、無事日本武尊が使命を遂行した物語です。弟橘姫が身に付けていたものは東京湾周辺に流れ着き、髪に付けていた笄が亀戸の地に流れ着いたとされています。かつて浅間神社の辺りは「高貝州」と呼ばれており、その名残りを伝えています。云々。

 

改めてこの説明を読んだら、地元カヌー仲間が言ったとおり「平成9年に塚上に在った浅間神社を隣地に移転した」との記載がありました。写真もあります。旧城東電車が走っていた線路の位置が現在の鳥居前と違うかも知れません。

 

石段があります。普通、富士塚といえば、富士山を模したもので険しい山道を登らせるものですが、上記の説明にあったように、山上に浅間神社を祀ったので、階段を造って参拝を容易にしたものと思います。上がります。

 

浅間神社が在った山頂はサッパリとした平面で、富士山をデザインしたモニュメントが在るのみです。

 

移転した浅間神社の拝殿と本殿を眺めます。たまたまですが、都電のレールが保存されていた場所を既にここから見ていた訳です。

古事記の世界と無くなった都電を守っている亀戸の人々です。

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都電の痕跡を追って/亀戸浅間神社

2020年03月04日 | 散文

春の陽射しの浅間神社です。ここに都電の痕跡が在ると聞いてやって来ました。

 

探し回って「富士塚公園」側から見つけました。レールです。

 

境内に移動して見ます。短いです。

 

しっかりと留められています。

 

後ろは浅間神社の拝殿です。行ってみます。

 

おっ!? ここにもレールが在りました。

 

あっ! 長い。

 

説明板があります。左に縦書きされている「あさま」とは、ここ浅間神社のことだと思います。路線図の停留場名が風化して読めません。少し読める「浅間神社」(推測)の次の「西荒川」(推測)が終点でしょうか? 先日「路面電車と江東展」でそんな停留場名があったように思います。一番左の「今の江東デパート」が、今は在りません。従って、位置関係がさっぱり分かりません。それに、「城東電車」だったんですね!?  余談:以前にも触れましたが、「城東」と「江東」は同じ地区を指します。「城東」の方が呼び名が古く、江戸城の東です。「江東」が現在の地名で川(隅田川)の東です。

 

都合よく隣にこんな説明がありました。錦糸町に「江東デパート」が在ったようです。そして、推測どおり「西荒川」が終点です。先ほどの説明板と見比べます。停留場の数は6個だったのでしょうか? 錦糸町からどこをどう走って、ここ浅間神社まで来ていたのでしょうか? そして、終点停留場の「西荒川」はどこに在ったのでしょうか? 謎だらけです。

 

レールが長いぞ! 

 

追いかけます。

 

端から振り返ります。

 

大切にされているようですが、隅っこ過ぎです。探すのに苦労しました。

 

振り向くと、本殿が覆いかぶさりそうな境内の隅です。

 

説明版によると、神社前のこの道路を都電が走っていたのですね。・・・ただ、地元民のカヌー仲間が、本殿は移転したと言っていたので、定かではありません。

もうちょっと行けば荒川です。

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お地蔵さんが居る路地

2020年03月03日 | 散文

谷中は古い街です。戦災の街でもあります。各所にお地蔵さんがあります。

 

その中でもここが一番好きです。いつも花が活けられています。

 

この路地は更に細くなった路地に続きます。

 

ここにも祠が祀られています。パイプが突き出す狭い路地です。

 

 

歩道の柵が現れました。

 

三崎坂です。

 

けっこう交通量が多い道です。

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横川の大黒湯

2020年03月03日 | 散文

墨田区横川の空に煙突とスカイツリーが突き刺しています。

 

煙突の持ち主は銭湯「大黒湯」です。

 

ほう、オールナイト営業で、手ぶらOKですか。

 

スカイツリーと並立する大黒湯看板です。銭湯はおめでたい名前をつけます。松竹梅とか七福神とかです。当然、早い者勝ちなので、老舗の風呂屋だと推察できます。

 

ほう、大人は470円ですか!? オイルショック以前の学生時代は100円だったような、、、記憶違いかな?

 

正面から眺めます。

 

シャッターには風呂屋の定番の、三保の松原と富士山と、スカイツリーです。場所柄を反映していますね。

 

迫力あります。

 

下町の銭湯です。

 

近くの公園から見上げるスカイツリーです。

 

また、近くには友綱部屋もあります。

 

ここでもスカイツリーが屋根を突き抜けます。

スカイツリーの麓の街です。

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カネボウ公園近くの商店街

2020年03月03日 | 散文

駅前に商店街があります。

 

最盛期にはこれだけの店がありました。

 

この商店街の先にかつて鐘ヶ淵紡績の工場があって、社宅や従業員の家がありました。もう、営業していない店ばかりで、商店街ではありません。

 

目立った店はこの肉屋兼八百屋だけです。奥には銭湯がある住宅街です。

 

商店街を戻って駅へ行きます。

 

 

この時間でもあって駅前は閑散としています。

 

往時は沢山の従業員が乗り降りした駅です。

 

駅前にこんな説明板がありました。古くからの街道だったようです。

 

その古道は踏み切りを渡って斜め左側に延びています。界隈は古くからの繁華街で、真っすぐ延びる鐘ヶ淵通りの右側は玉ノ井遊郭があった場所です。界隈の商店はカネボウの工場移転後徐々に衰退しました。

・・・開かずの踏み切りである事は、今でも変わりません。

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「カネボウ公園」に行き当たった。

2020年03月02日 | 散文

突然現れました。

 

墨田区の鐘ヶ淵町会にある公園です。

 

一段高くなった公園です。この界隈は海抜ゼロメートル地帯です。

 

入ってみます。あまり使われていないようです。

 

一段下の場所には民家が密集しています。

 

在りました!! 想像したとおりです。ここは工場跡です。

 

裏側を見ます。「此の地は古くから沈鐘の伝説があり、」から始まる「発祥碑」です。「関東大震災、東京大空襲当時職に殉じてたおれた者は五十余柱に及びました。」の文字も見えます。ここで80余年間工場があって移転に際して昭和44年に建てたものです。

 

こんな石碑もあります。どうして寄贈者は「男子従業員一同」なんでしょう? 紡績工場なら女子従業員が多いと思うのですが・・・

 

寄贈したのは、慰霊観音像です。

 

東京大震災の被災従業員に対する慰霊碑です。その後、太平洋戦争の殉難者も供養したものと思います。

 

観音像と発祥碑です。

 

桜の古木が印象的です。

 

公園はこんな立地です。

 

首都高向島線が荒川に向かう場所です。

 

Kaneboの倉庫がある一角です。

 

 

隣は広いグラウンドがあります。昔、カネボウは社会人野球の強豪だったのを思い出しました。

 

すぐ近くには荒川七福神の一つである「多聞寺」があります。

 

公園近くの密集した住宅街はカネボウの従業員が多く住んでいたと思います。

 

多分、従業員の子供さんです。

 

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旧魚屋やまちゃん売り出し

2020年03月02日 | 散文

旧魚屋やまちゃんが移転して更地になっている街角です。

 

ポツンと看板がありました。

 

 

売り出し看板です。お買い得なのかそうでないのかは分かりません。私はここに店舗を建て直すものと思っていました。そう、売る決断をしたのですね。

 

大きな滑り台が在る、いつもの京島南公園です。早咲きの桜がもうすぐ咲きます。空が青く抜けています。

 

その桜の前に移転した魚屋やまちゃんは今日も活気があります。

何となく春の風景です。

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隅田山 多聞寺にて、

2020年03月02日 | 散文

まだ多聞寺の庭に居ます。「狸塚」を特定できないまま帰ろうとしたら、狸塚とは反対側に、こんな物もあります。東京大空襲の遺品です。

 

こちらにもあります。43回目の空襲の遺品です・・・。見所が多いお寺です。

 

茅葺き門の向こうに西日が注いでいます。暖かいですが、そろそろ退出しなければ・・・。

 

太陽が雲間に隠れました。随分長居しました。秋だけでなく春の夕陽もつるべ落としです。帰ります。

 

ガタンゴトンと音がして、民家の間から電車が見えました。

 

東武伊勢崎線(現在は「東武スカイツリーライン」と言いますが、私は「東武伊勢崎線」の呼び名が好きです)の電車が北千住へ走ります。昔、この電車で通勤していました。

 

線路の隣は荒川の土手です。

 

土手上を自転車が走ります。帰宅するのでしょうか? 川がある下町らしい景色です。

 

私も帰ります。

自宅まで遠いです。

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