荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

男はつらいよ「私の寅さん」撮影現場

2025年01月24日 | 散文

1973年作成です。マドンナは岸惠子さんです。

画家のマドンナを送って行くシーンです。

撮影後51年を経過した風景です。ここで撮影したと調べたので現場に来られました。映画の面影は全くありません。

マドンナが写生をしています。

 

中川が湾曲する場所です。

背景の景色に驚きます。51年後の現在の景色です。

亀戸駅前の大型ショッピングセンターです。界隈には、「こち亀」両さん像があちこちにあります。

向こうに当時の中川橋が横たわります。

現在の姿です。

対岸のお寺です。西念寺だと思います。

建て替えたと思います。屋根の形状が変わって、樹木が少なくなってスッキリしています更に、土手は草地になって、立ち入り禁止です。

さくらがマドンナを見送る中川土手です。背後は国道6号線(水戸街道)に掛かる当時の新中川大橋です。

大きな銀杏はそのままでしたが、木々が繁って、延命寺が良く見えません。なんせ51年前の映画です。

大きな銀杏と白い壁が決め手でした。

現場から望む西には、スカイツリーが聳えます。

何もかも変わってしまった日本ですが、寅さんの人情の世界は、日本人のDNAに生きていると信じています。

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「あんこう鍋いせ源」の風情

2025年01月23日 | 散文

神田須田町の一角です。老舗の店が多い町内でも目立つ、冬空に老舗の風格です。

今日のアンコウは大きいです。北海道産の8kgから12kgのを仕入れているらしいです。一番美味しいサイズらしいです。

鍋の季節です。店内は賑わっていると思います。シメの雑炊が絶品らしいです。魚が苦手な私には用が無い店です。佇まいを楽しみにやって来ています。

見上げる樋に「源」の一字です。

 

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2025年初場所/出待ち入り待ち

2025年01月23日 | 散文

初場所が酣です。国技館前の、出待ち入り待ちの人の群れです。

ここは、タクシーや部屋の車で場所入りする場所です。私もここに陣取ります。国技館の出入りもよく見えます。

部屋の場所によって、タクシー、車、電車、徒歩などでやって来ます。その方法に番付の上下はありません。

声が掛かります。「白熊!」「カワイイ!」「大の里は一緒じゃないのか?!」

下位力士が帰ります。

声が掛かりました。笑顔で挨拶します。部屋の後援会の人でしょうか?

にこにこです。勝ったな?

この日のこの時間のもぎりは、元大関栃東の玉ノ井親方です。

続々とやって来ます。大銀杏なので、いわゆる「関取」ですが、よほど有名力士じゃないと分かりません。TVで見るのとは違う顔です。眼鏡を掛けていたらもう全然。

彼がウクライナ出身の十両「安青錦」でしょうか? 12月に部屋を興したばかりの、元関脇安美錦の安治川部屋所属です。

電車や徒歩で来る力士は一般人と一緒に現れます。

付き人が関取の到着を待っています。

集団でやって来ます。

もぎりの仕事を終えた玉ノ井親方が帰ります。

順調にスタートしたかに見えた豊昇龍が3敗です。横綱昇進の目が無くなりました。琴櫻の不調も意外でした。今場所新横綱は誕生しません。意外といえば王鵬の活躍です(失礼)。2敗したとはいえ相撲内容が良いです。一皮むけましたね。初三役就任どころか初優勝もあるぞ!これからが勝負です。王鵬は人生を賭けた勝負です。

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「コーポコイズミ」が在る風景

2025年01月22日 | 散文

須藤公園の出入り口前の路地を本郷通りに向かうと「コーポコイズミ」が在ります。郷愁を誘う古いアパートです。

存在感があるアパートの1階は、ジャズ酒場です。

存在感たっぷりです。

振り返る路地の突き当たりが須藤公園です。

案内ポスターも好いです。

 

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講談社発祥の地と須藤公園

2025年01月22日 | 散文

団子坂の途中の路地を入ったらこんな石碑が有ります。

愛媛県は西条の「青石」です。

そこにはこんな建物が存ります。

今は社宅です。

社宅の前の路地を行くと、すぐに「須藤公園」です。

改装工事ですっかり新しくなりました。

池は変わらずに在ります。江戸時代には加賀藩の支藩、大聖寺藩の下屋敷でした。後ろの山は「弥生岡」です。ここから東京湾を隔てて、房総半島の山々が見えたそうです。

この古い池は河童が出ます。

お参りします。

見上げる坂の上は、千駄木の住宅街です。

 

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千駄木の路地を往く。

2025年01月21日 | 散文

千駄木は丘の上の閑静な住宅街です。

高級住宅街ですが、狭い路地に古い民家がひしめき合っています。

狭い路地ばかりです。

気になっている喫茶店です。

路地の奥で酒屋が頑張っています。住宅街の数少ない商店です。

こういった店は住民にはありがたいです。奥に銭湯が在ったのですが、数年前に廃業しました。

一歩路地を入ると、古い住宅街です。好きな街です。

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「しろへび坂」界隈の景色

2025年01月21日 | 散文

薮下通りから本郷通りへ抜ける急坂です。千駄木駅への近道です。

こんな場所です。

説明のとおり遠見します。ビル壁の間にスカイツリーを望みます。

アップすると。

ここは「森鷗外記念館」・「観潮樓跡」です。森鷗外はここから海を眺めました。今はビルばかりです。

団子坂から森鷗外記念館を見ます。庭の大銀杏がシルエットになっています。

今、こんな企画展をやっています。

 

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やっぱり後引く小倉屋煎餅「あまから」

2025年01月20日 | 散文

前回やっと買えた小倉屋の煎餅「あまから」です。

「私は後を引かない」と報告しましたが、引きます。山田優さんのおっしゃるとおりです。4袋買ったのにもう無くなりました。無いとなったら余計に食べたいです。雑司ヶ谷へ行かなければ。又運良く買えるだろうか?

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カラオケ喫茶スナック「ニュー木の実」が廃業していた。

2025年01月20日 | 散文

荒川区の「宮前商店会」です。気になっていたので、やって来ました。店は閉まっています。というか、これは廃業ですね。

ここが入り口でした。茶色のドアは勝手口だと思います。

ここいらの壁全体に、沢山の演歌歌手のポスターが貼られていました。

カラオケ喫茶スナックでした。

コロナ禍以降閉店したままでした。それでも沢山のポスターが貼られていたのに、とうとう廃業のようです。

宮前商店会の一角です。

この商店街そのものも元気がありません。

元気な頃のカラオケ喫茶スナック「ニュー木の実」はこんな店でした。

ポスターだらけのカラオケ喫茶&スナック - 荒川三歩

 

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照ノ富士引退の翌日風景

2025年01月19日 | 散文

場所前に心配していたとおり、照ノ富士が引退しました。照ノ富士の幟が翻っている国技館です。

もう、見られるのはこれが最後です。

大相撲は横綱が引退しようが、粛々と進んでいます。

もぎり担当の親方たちです。

力士がやって来ます。

力士が帰って行きます。

いつもと変わらない風景です。

伊勢ヶ濱部屋周辺です。

いつもと変わらぬ景色です。

いつも「照ノ富士関優勝おめでとう」の横断幕を出していたお弁当屋です。・・・変わりありません。ただ、今日は定休日のようです。明日何かメッセージを出すかも?

私は照ノ富士のファンでした。大関力士が序二段まで落ちても引退しないで返り咲き、横綱にまでなった壮絶な精進。何度も引退を乞うも許さなかった師匠の、本当の愛。照ノ富士が帰化する時に、自分の苗字を与えたのも師匠です。

二人が織りなした生き様は、人々に人生をあり方の一つのモデルを示しました。誰にも真似できないそれは、人生の横綱です。ありがとうございました。

もう「力士照ノ富士」を記事にすることはありません。誰もが喜んだ大関復帰の日を思い出に⇒ 照ノ富士大関復帰の日 - 荒川三歩

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吉原大門跡の風景

2025年01月19日 | 散文

吉原から出ようとしています。曲がりくねった道です。吉原の妓楼へ行くにはこの道を来ます。客はここまで来て初めて、吉原の中心街を目にする設計です。

背後の街です。ここまで来て視界が開けた途端、光輝く艶やかな吉原を見る仕掛けです。今でもそうです。昔「ブラタモリ」で、女子アナがその華やかさに感嘆の声を上げつつ、戸惑いの表情を見せた地点です。もうちょっと居たら、ネオン煌く歓楽街が見られる筈です。

「吉原大門」の交差点です。大門はさっきの場所に有りました。

ここに「見返り柳」が有ります。游客が帰り際に後髪を引かれて、柳の下で遊郭を振り返ったと言われた柳です。

この柳も元の位置とは違います。

振り返る曲がりくねった吉原へ行く道です。その先に大門が在りました。

吉原大門交差点の斜め向こうには、「土手の伊勢屋」が在ります。天丼発祥の店です。

こんな位置関係です。あそこで天丼を食べて吉原へ向かった客も多かったと思います。

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生まれては苦界死しては浄閑寺

2025年01月18日 | 散文

浄閑寺、別名「投込み寺」です。今NHK大河ドラマの「べらぼう」は新吉原遊郭が物語の舞台です。門前に説明板を読む人が居ます。平素は閑散としたお寺です。「大河ドラマを観てやって来た」という人が複数居ました。ドラマに登場する重要な場所だと、私も思ってやって来ました。

説明板です。

「新吉原」とは、当初は現在の中央区日本橋人形町にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転したことにより「新」が付いた呼称です。現在は単に「吉原」といえば浅草寺裏です。

霊廟へ行きます。

永井荷風文学碑です。文の中央部の「一葉落ちて紅葉は枯れ」とは、「樋口一葉も尾崎紅葉も死んでしまった」との意味と聞いています。彼は遊女の身の上に想いを寄せて、多くの遊郭を訪れました。「吉原」や「鳩の町」などに足跡を残しています。

その奥に「筆塚」が有ります。永井荷風は、ここ浄閑寺に葬られることを望んだそうですが願い叶わず、雑司ヶ谷霊園に、仲が悪かったと言われる父親と並んで、永井家の墓所に葬られています。

その奥には、「ひまわり地蔵尊」があります。

さて、今日の目的地「新吉原総霊塔」です。

遊里吉原で亡くなって「投げ込まれた」身寄りのない遊女の供養塔です。

ここにプレートが嵌められています(以前は霊廟入り口脇にも有りました)。

よ〜くお参りします。

江戸時代の浄閑寺の役割は現在も継続されています。現在も、吉原で働く女性の「投込み寺」となっています。総霊塔の下方左に、白い扉が有ります。人が入れる大きさです。

覗くと、中には骨つぼが納められています。吉原で亡くなった無縁者や、「ウチの墓には入れられない」と受け取りを拒否された人たちだと思います。

正面の観音像(?)の上にはいっぱいの、アクセサリーや口紅など女性が使う小物が置かれています。供物です。以前に携帯電話が供えられていました。多くは引取り手が無い遺品だ思います。

・・・胸が塞がれます。どうぞ来世は幸せに。

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「べらぼう」の吉原神社

2025年01月18日 | 散文

ここでも多くの人が参拝していました。

「浅草七福神」の一社でもあるせいでしょう。

お参りします。

狭い境内に色々見所が有ります。

拝殿の奥です。普段は閉まっているらしい門です。

拝殿に向かうと、

大河ドラマのポスターです。やっぱりね。

塀の掲示物も眺めます。

あ、ここにも有りました!ドラマのナレーターです。「九郎助稲荷」役です。

今年の大河ドラマに期待しています。

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「べらぼう」の吉原弁財天

2025年01月17日 | 散文

NHK大河ドラマの「べらぼう」が始まりました。昨年の公家の話より活気があって面白そうです。思い立って、ドラマの舞台へやって来ました。・・・同じことを考える人が居て、今まで誰も居なかった神社に人が多いです。

玉垣です。「角海老」は古い妓楼です。現在もソープランドを経営しています。数十年前にはボクシングジムも経営して、チャンピオンを排出した時期もありました。

吉原を舞台にした芝居も多く、歌舞伎関係の名前も多いです。

華やかな外見です。

参拝します。

 

この奥が「吉原弁財天」です。

大火で沢山の人が死んだんですね。・・・死んだ女郎は「浄閑寺」に葬られています。

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真冬の雑司が谷

2025年01月17日 | 散文

真冬でも陽射しがあれば自転車で出掛けられます。池袋のすぐ傍なのに寂しい停留場です。

三ノ輪橋行きと早稲田行きが発車しました。

早稲田行きが来ます。

踏み切りの向こうに交番が現れて、遮断機が上ります。雑司ヶ谷霊園への路です。

真冬の雑司ヶ谷霊園です。

枯れ木ばかりの中で一際目を引きます。

墓地を散歩します。

竹久夢二の墓です。陽当たりが良いです。右の赤い実を付けた小さな木は千両でしょうか?誰かが植えたのか自生したのか、よく目立ちます。

いつものように、竹久夢二の背中です。

 

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