荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「あまから」徳用売り切れと上川口屋

2025年01月28日 | 散文

雑司ヶ谷小倉屋の煎餅「あまから」があとを引いています。今日は「徳用」が売り切れでした。しょうがないので「普通」のやつを買いました。これも4袋までしか売って貰えません。

左が「徳用」です。右が普通のやつです。大きさと袋のふくらみが違います。

中身も大きく違います。大きさだけでなく厚みも違います。重量比格で4倍くらい違います。価格はあまり変わりません。正に「徳用」です。別途違う型を用いるのは非効率とも思いますが、コスパ的にはありがたいです。

味は一緒です。小さい方が食べ易くはあります。・・・山田優さんはどちらを購入しているんだろう?

その足で、鬼子母神の「上川口屋」へ行きました。先日、「のり」さんの訪問記事を拝見しました。

写真を撮ります。「いつもポーズが一緒だねえ」と軽口を叩いて、「先週女の人が来たでしょう」「そう、話を聞いてすぐあなたの事と分かったわよ。しっかりしていて賢そうな人ねえ。そうでしょう?」「会った事ないけどそうですね」「えっ、会った事ないってどういうこと?あなたペンネームをお持ちなのね」「いや、ペンネームというか、、」こんな出だしで始まりました。

今日の話は、ラムネを飲みながら、あられを食べながら、折に触れくれる葉書を沢山見ながらの、有名なイラストライターと絵画の話。撮ってくれた写真を見ながらの、有名な写真家と写真の撮り方の話。神奈川の家を建てた時勉強した建築学の話。曽祖父が腕の良い大工だった話。少子化で子供の客が少なくなった話。樹木の話。六分四分で外国人の客が増えて英会話をする話等々です。

上川口屋は風がまともに当たる北向きです。今日は春の陽気でしたが、さすがに立ち話は体が冷えます。また来るね、と帰ります。

帰りの参道です。心なしか、木洩れ陽が暖かいです。

欅並木から路地を覗きます。

「並木ハウス」は「登録有形文化財」です。「この建物は重要な国民的財産です」とプレートに記載されています。それより私には、「トキワ荘」を出た後、ここに「手塚治虫」氏が住んだという事です。

あの2階に彼は住んでいたそうです。時々上川口屋にもやって来たそうです。

玄関前から振り返る欅並木です。

参道に出たら、あそこの店で撮影が行われていました。

春待ちの雑司が谷です。

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病院帰りの愛宕神社

2025年01月28日 | 散文

病院の帰りです。久しぶりの「出世の石段」前です。

ちょっと「女坂」に気持ちが動きかけました。

ふっと息を吐いて、行きます!約20年前に最初の心房細動の手術をして以来、この「出世の石段」を休まずに上がれるかが健康のバロメーターです。一気に上ります。85段有ります。1つの段が高いです。急坂です。手摺りを持って前屈みで行かないと、仰向けに素っ転びそうです。60段過ぎた頃に息が切れそうになります。足が上がらなくて躓きそうになります。躓いたら危険です。

上がりました!ゼエゼエ言いながら見下ろします。途中で転んだら痛いで済みません。こんな場所を騎馬で上がり下りした人が居たんですね。私も無事上がりました。不正脈は出ていません。・・・たぶん。

改修が終わった境内の周囲を見ます。お参りの混雑対策がされています。

顔嵌め看板は、ここ愛宕山ゆかりのスターたちです。ここから市中の甍を見せて、100万の民を焼け出させるのかと無血開城を迫った勝海舟と、人命もさることながら、佐幕勢力の抵抗が長引いては革命の遂行が危うくなると、無血開城を決意した西郷隆盛です。隣は、石段を騎馬で上がり下りした曲垣平九郎です。

拝殿前の庭です。

「将軍梅」です。曲垣平九郎が手折って三代将軍家光に献上したのはこの梅らしいです。ホントかな?・・・梅はそんなに長寿じゃ無いよね。たぶん枝を挿し木して育て継いだクローンですね。小石川植物園にある、ニュートンが引力を発見したリンゴの木や、メンデルが遺伝の研究に使った葡萄の木ように。

山より高いタワーマンションです。

こちらも。

改修なった山頂の池です。ずっと前から疑問に思っています。水は何処から来るんだろう?

女坂です。先ほどの案内板のとおり池の奥に在ります。当然男性も利用します。

振り返ると、東京タワーです。

周辺は山より高い建造物ばかりです。

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