
写真1 標識「西坂町19」付近のバス道路から坂下のJR長崎駅、長崎港を見下ろす。

写真2 標識「西坂町19」横の下り起点

写真3 墓と住宅の間を下る。

写真4 墓と空地の間を下る。電線の傾斜が急坂を象徴

写真5 ほぼ下りきった所から坂上を望む。最上部に「長崎にっしょうかん」

写真6

1.急坂495段を下る
2012年11月9日朝、投宿した「長崎にっしょうかん」の下、西坂町19番地から本蓮寺へ至る坂495段を下る(写真1⇒写真5)。初めは住宅の間、途中から墓の中。8時16分から13分間の坂下り。4日後まで、両足のふくらはぎに痛みが残った。
2.小型馬の対州馬(たいしゅうば)が建築材料などを運ぶ
さて、ここで疑問が湧く、写真のような山腹に住宅や墓を設える際、木材や瓦、墓石などを何で、どのように運んだのか。狭くて急な坂ゆえ、自動車は使えない。
答は馬が背に結わえ運んだ。ただし馬といっても、サラブレッドやペルシュロンのような大型馬でなく、ポニーより少し大きい対州馬(たいしゅうば)。
対州馬は長崎県・対馬(つしま)原産の小型馬。詳しくは『図説 日本の馬と人の生活誌』508-516頁に収録(筆者の1989年調査の結果。写真6)。
引用・参考文献等:*有馬洋太郎著「「坂の街」長崎における人と馬とのふれあい」(山森芳郎・有馬洋太郎・岡村純編著『図説 日本の馬と人の生活誌』508-516頁、原書房、1993) *当ブログ2012年11月10日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年11月09日 撮影地:長崎市