駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

人を動かすには

2016年02月14日 | 医療

             

 「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」、は山本五十六の名言と聞くが、果たして何処まで本当だろうかと思う。それくらい人を動かすのは難しいという意味に取ればよいのだろうか。

 人は身近な人信頼する人尊敬する人の言葉を聞く傾向がある。言葉でなく、背中を見て動くことも多い。しかしまあ、逆に身近ではない人信頼しない人尊敬しない人の意向や指導は効果が薄いのが普通だろう。しかもその内容に説得力が乏しければ、耳から入っても心に留まらず通り過ぎていってしまう。

 少し脱線するが、仕事の経験から言えば、往診しなさい在宅診療をしなさいと政府が指導しても、動く医者はさほど多くなく、結局官僚は奥の手の経済誘導で動かそうとし始める。そして、それがかなり有効なのだ。そうした手法で増やしたはずの院外処方箋薬局も今では梯子を外され、経営を成り立たせるにはかなりの処方箋枚数が必要になってきている。これからの新規開業医に門前薬局はおいそれとは付いてこない。

 院外処方箋薬局を推進導入した功罪を十分検証できる時間、二十年、が経った。厚労省と医師会そして第三者の分析はどうなっているのだろう。私が知らないだけだと思うが、過去の政策をつぶさに検証しなければ、次に良い手を打つのは難しい。

 今回の診療報酬改定では処方薬数が少ないと僅かだが医師の収入が増える絡繰りになるようだ。口を酸っぱく薬を減らせと指導しても、減らないので奥の手が出てきた。

 尤も賢さに於いては官僚に引けを取らない薬品メーカーの経営者は合剤(いくつかの薬剤をひとつにまとめた錠剤)というのを編み出し、一粒で二度否三度美味しい錠剤が出てきている。

 処方薬の数について経済的な計算は出来ていても、医学的な検証は出来ていないと思う。専門家というのは守備範囲が狭いのが特徴で、例えば循環器領域では概ね三剤で十分と答申できても、高齢者は病気の問屋で消化器呼吸器糖尿病代謝科脳神経科整形外科に皮膚科・・・と多疾患を患っているので、専門領域を越えた複数疾患に対する必要薬剤数は不明で、とても五剤では収まらないのが実態と思う。

 あれこれと指導する厚労省の背後のある、ない袖は振れないという事実が重みを増しているわけだが、個々の医師が自分の懐ではなく国の懐具合を考えて診療するのは難しい気もする。

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みえる手では

2016年02月13日 | 政治経済

              

 生半可な知識しかないが、アダムスミスの見えざる手は有効でも黒田日銀総裁のみえる手には限界があるようだ。黒田総裁は自信家のようだが、弄ることでは経済を思うようには運転できないということを、ご存じなかったようだ。政治経済と一括りにされる捉え方には、実は重要な意味が隠されている。この二つの要素は極めて密接に連携しており、どちらかに練達しているだけでは国を上手に運営するのは困難なのだ。おまけに21世紀は情報通信機能が発達し、世界各国があらゆる意味で連結連鎖するようになっているので、人間の頭脳で経済を運転するのは殆ど困難になっているのではないかと思う。それに政治が絡んで来れば問題は一層難しくなる。

 動かそうとする人よりも流れを見極める人の方が、被害が少ないだろう。一部の超富豪はきっと冷静に動きを読んでいるはずだ。いずれにしても、経済政策、経済の行方が百家争鳴となるのは、わからないからだということがよくわかる。

 こうした流れになると、誰しも自分や自分の家族を最優先で動き始めるから、一度信用を失った人の言葉は空しく響くようになる。

 閑話休題: 医療費抑制のために入院から在宅へハンドルが切られる。医療行為価格の改訂で在宅医療の部分が上がるようだが、四半世紀往診しない医師の患者さんまで引き受けて、24時間拘束されてきた者としては、今までの分も支払っていただきたいと思う。それが正当な評価というものだと申し上げたい。

 

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スフィンクスに謎を解いて貰おう

2016年02月12日 | 人生

               

  「一つの声を持ちながら朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」というスフィンクスの謎があり、これが解けない者を食い殺していたという。

 十年ほど前から朝通勤の途上で、時々婆さん達の散歩とすれ違う。「おはようございます」と挨拶を交わすのだが、五年ほど前から三人になり、この数ヶ月前から二人になってしまった。寝たきりになったか亡くなくなったかだろうと思う。勿論、仲違いもありうるが、いつも楽しそうにおしゃべりをしながら歩いておられたので、まあそういうことはないだろう。

 この謎は難しくなさそうだが、残る二人も、最近は杖を使うようになっている。二人だけど七本足で歩いている。四重奏が三重奏に成り遂には二重奏になったのだが、足の数は十本から八本、そして七本になっているわけで、スフィンクスにも容易に解けないだろう。

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話し方から伝わってくるもの

2016年02月11日 | 小考

                      

 韓国語はこんにちわご機嫌ようさよなら位しか知らない。それでも北朝鮮の盛装女性アナウンサーのしゃべり方を聞いていると「我々はこれだけのことをしたんだ、偉いんだぞ。最高指導者を敬いなさい」とわざと重々しく喋っているように聞こえる。まあ内容は音感訳で実際に何と言っているかは知らない。

 南北韓国は同じ言語のはずなのだが、全く違って聞こえる。勿論、地域でアクセントなどは多少違うのだろうが、同じ言語には聞こえない。要するに非常に不自然な話し方で、それだけでまともな国ではないとわかる。

 長距離ミサイルの示威行動は、現実的な脅威のはずだが、アメリカはその存在を織り込み済みだったようで、安倍首相のように血相を変えて急遽強い制裁に踏み切るという気配が無い。一万キロ離れていると感覚は違うらしい。まあ、太平洋があれば拉致被害者も居ないだろうし、難民が渡ってくることもないだろう。モンローに聞くまでもなく、大統領選挙を控えて、内政が一番ということなのだろう。どうもあんまり日本の頼りにはならない。そっち方面はあんたが係だろと言われそうだ。

 この話し方というのは服装と同じように、実は物凄く重要なメッセージで、我々は日々それを実感している。例えば、癌も風邪や膀胱炎と同じようにカジュアルに告知する医師が出てきている。昔に比べれば、そうした感覚の医師が増えているような印象がある。色々な理由があるようだ。患者の重い深刻な心の動きまでは引き受けられない、打つ手はいくつかあり死刑の宣告ではない。、軽く言った方がショックが少ない・・・。

 表情、話し方、服装・・・、言葉を越えたメッセージを持つものに気を配ることが、人間(動物)相手の仕事では、非常に重要なのは既に多くの人が指摘している通りだと思う。しかしまあ、それを織り込んで受け取る人も出てきているようだ。

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何でそうなるの

2016年02月10日 | 町医者診言

                

 高市早苗総務大臣が電波停止があり得ると答弁した。大元の安倍総理大臣が改憲推進を明言している。こうした発言の一番の問題は放送の偏りをどうやって誰が判断するのか、憲法をなぜ、どこをどう変えるのかが抜け落ちていることだと思う。この部分を深く粘り強く追求するマスメディアは少ない。

 総務大臣が首相や内閣の意向を汲んでと高市さんは思っている?ようだが、それで止めるのであればそれは恫喝ということになる。勿論そうよ、何でそれが悪いの、あんたは左巻でしょうと睨まれるのだろうか。

 安倍首相は大衆心理を読む才能に長けているから、まずは改憲の賛成を取り付けてから、改憲の中身を明らかにする方が有利と読んできたのだろう。憲法も古希を越えた、時代と現実にそぐわないところも出てきている。変えた方が良いという理解と合意が形成されれば、変えればいい。

 ところで、首相は日本国憲法を諳んじておられるだろうか。それは無理?、憶えられないほどの分量ではないと明言する。最高権力者を自認されるのなら、それも仕事の内と申し上げたい。忙しいは理由にならない。

 世の中に黒白などというものはないと日曜画家の私は知っている。グラデーション、アンギュレーションそして形と広がりがあり、一言では言い尽くせない深い味わいがある。右翼だとか左翼だとか形骸化した言葉で決めつけるのは、ものごとを考えようとしないものごとを味わおうとしない石頭の告白に思える。別に絵が趣味でなくとも、生きていること生きて行くことは黒白では捉えきれないのはわかるはずだ。黒白のようでも十九路盤の上には殆ど無限の世界がある。世の中と人生は十九路よりもうんと広い。

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