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作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

祇園祭り宵山

2005年07月17日 | 日記・紀行


きのう久しぶりに祇園祭り宵山を見た。何年ぶりだろう。去年も行こうと思えばいつでも見れたのだが、私にはもう珍しいものでもないので昨年は来なかった。

今年は、たまたま近くにまで来ていたので、散歩がてらに四条通界隈まで歩いて行くことにした。

七条新町をまっすぐに北へ東本願寺の土塀を眺めながら歩いて行くことにした。たしか、昔私が働いていた事務所が新町通りにあるはずだった。しかし、それが松原より上だったか下だったかはすっかり忘れていた。注意しながら歩いて行ったのだが、見落としたのか確認することができなかった。

五条通を北に、しばらく歩いて行くと、いくつかの山車に出くわした。記憶に残っているは、岩戸山、船鉾、傘、太子山、それに木賊山である。鉾が見え出すと、すっかり人ごみの中に入ってしまい、思い通りに前に進めない。見知らぬ男の二の腕の汗と接触して気持ちが悪い。どこからこんなに人が沸いてくるのだろうかと思う。

時間は七時を少し回っていたが、すっかり、出店は開いていて、焼き鳥、金魚救い、扇子売り、やきそば、たこ焼き、鮎の塩焼き、焼きとうもろこし、ビールなどの夜店は盛況だった。電灯はすっかり灯されているが暮れてしまっているわけではない。夏の七時頃はまだ明るい。薄暮の空に、半月が浮いている。

途中、太子山で、十人ほどの子供たちが山車の上に正座して、聖徳太子の賛歌を朗誦しているところに出会った。子供たちの詠唱の声が可愛い。その意味は良く聞き取れなかったが、聖徳太子の遺徳がこうしていく世代にもわたって語り継がれて来たのだろうと思った。

浴衣を着た女の子たちも多く見たが、その化粧の様子や茶髪や、表情などを見ながら、浴衣姿は可愛いがもう本当の大和撫子はほとんどいないのだとも思った。戦前にはしっかりと存在した奥床しさを秘めた日本婦人の印象を残した女性に出会うこともほとんどない。私はもう異郷の世界を歩いているような気持ちにすらなった。

団扇、風鈴、山車、扇子、浴衣、ちょうちん、金魚掬いなど一見日本的な情緒には事欠かないのだけれども、本当の日本女性の面影を持った人に出会うこともなかったゆえか、本来の伝統が持つ神秘感は失われて、ただ商品化され植民地化した表面的な美しさだけを感じる。なるほど精神的には私は異邦人なのか浦島太郎か。(? 。?)前にも、どこかで書いたが、日本にはもう大和撫子は存在しない。もしいるとすれば、それは、キリスト教婦人から生まれると。また、大和撫子はそんなに浅薄であるはずがないと。(それにしても、私のキリスト教への思い入れは相当深いようだ。狂信的?└(^0^)┘)

なぜ、こんなことを言うのかというと、本当のキリスト教は女性を精神的に深めるし、内面的な美しさもそこに現われるから。宗教の種類が、結局人間の精神構造を、意識のあり方を根本において規定すると私は考えているから。だから美人は滅多には出会わない。私のような意識は希少である。それは良くわかっている。

そして、人ごみの中を歩きながら、私の精神的な根拠が、やはり、聖書にあるということを自覚させられるように何となく感じたことだった。青年時代から、聖書を、良かれ悪しかれ、とくに詩篇などを愛読してきた私は、恐らく、現代日本人の多くとは、精神構造が異なってしまっているのだ。そして、私はそれでよいと思っている一方、「我が偏見」を反省することも考えている。

百年後二百年後あるいは、五百年後には、日本もキリスト教化されて、私と同じような精神構造を持った日本人が、普遍的になっているかも知れない。もちろん、そうでないかも知れない。それはわからない。それにしても、戦後の日本人の精神構造は、すっかり変わってしまったのだ。

それに、私は個人的には哲学には従事したくは思っても、キリスト教の伝道など私の仕事ではないと思っている。私のキリスト教観は、特異なのかも知れない。まだそれは今のところ良く分からない。

祇園祭の囃子の音を背に聴きながら、こんなことを思いつつ祭りを後にした。私の立場と現代日本観はこんなところだというべきか。

 

 

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