勝算なきは戦うなかれ。『孫子』(リスクを冒すには勇気がいるが、勇気以上に大切なのは計算高さと用心深さだ。自分一人の命ならどうとでもなるが、部下を率いて戦う以上、負け戦に臨むわけにはいかない。
こうしたアメリカ議会での動きを受けて、外相は日米同盟の強化をアメリカとの協議で深めること、日本政府は尖閣諸島での自主防衛能力を増強すること。これをよく実行しうるのは安倍氏しかいないか。><尖閣への日米安保適用を宣言米上院、法案採決へ日経 s.nikkei.com/Vdkly1
エネルギーこそ豊かさの源で、それをほぼ全量輸入に頼っている日本は、国際社会の一員として生きてゆくしかない。しかもそのエネルギー価格が高騰している時に、その日本で、国際競争を諦め、公共事業で豊かになれるとか、エネルギー源の一つ原発を放棄するという人は、どういう頭の構造なのだろう。
下野の国の野に、柴を燃やす煙の立ちのぼるのを見て、京の都に近い小野大原で暮らしていたことを思い出しました。京から遠く離れたこの下野の国の野原で、柴のくべられて立ち上る煙を眺めると、心も締めつけられるような気持ちになります。
西行は出家して間もない二十代半ばの頃と、晩年に近い六十代末頃の二度ほど、東北陸奥地方へ旅に出ている。この歌は青年の頃に詠まれたものか、晩年に詠まれたものか。おそらく青年時代に詠まれたものだろう。まだ若い西行であるからこそ、京の小野大原での生活の記憶もみずみずしく鮮明に残っている。
遠く旅に出て異国の土地で眺めた柴の煙が、いやおうなくかって華やかな都で過ごした昔の日々の時の移ろいを思い出させる。
下野の国にて、柴の煙を見て 1133 都近き 小野大原を 思ひ出づる 柴の煙の あはれなるかな #西行
枯れ枝を燃やして人が暖をとろうとしているのか、それとも枯れ枝を燃やして荒れた畑を片づけているのか。曇りがちな東北の晩秋の景色が歌われている。晩秋の穏やかな日には柴も枯れてよく燃え、風もない空に煙のまっすぐに立ちのぼるのが見える。
同じ旅の途上に、粗末な雑木で作られた庵に、一夜を旅寝をして過ごそうと、宿を借りたものの、風の強く吹き抜ける音に夜一人目覚めた時の不安と孤独は、いつもに増してもの寂しすぎて悲しい。
電気もなく明かりも十分ではない昔は、ましてスマートフォンも何もない時代。持参した懐紙に和歌でも記して気を紛らわすくらいしかなかったのかもしれない。晩秋の物寂しさを歌った秀歌は昔からすくなくないが、この西行の歌もまた晩秋に人が味わうもの寂しさをよく詠んでいる。