日本社会の伝統の回帰か、GHQ戦後体制からの復帰。>><<RT @Yomiuri_Online: RT @YOL_national: 「妻は家庭を守るべき」20歳代男女で大幅増 j.mp/Z7Jro8
戦後、政府内の天皇廃止願望者達は、ドサクサに紛れて、皇室典範を現皇室典範に改悪し、立憲主義の法体系の常識を逸した法体系に捻じ曲げた。主権回復後も、この異常な状態を放置した責任は国民にもある。宮内庁が朝敵である現実を鑑みると、国民は真剣に元の状態に復す努力をしなければならない。
三 体系的叙述の実現(1)一八二七年の序論一八二四年の講義は相反する二つの方向性を持っていて、構想の一貫性を欠いていた。二七年になってはじめてヘーゲルは二四年の序論の「E概観」で提示された構想を一貫させ、「宗教哲学」の全体を叙述することに成功した。山崎純『神と国家』142
・・・宗教哲学の大系は、第二部(宗教史)の内部構成を除いて二七年にその基本が固まったと言える。したがって、第一部に関しては、ヘーゲルの成熟した思想としては、二七年の講義が優先されるべきである。(ibid s 142 )
序論は二四年の初めの四章の内容を引き継ぎながら、二章に整理統合された。だが、時代の思潮に対して全体として否定的であった。主観性の要求の意義がそれなりに評価されながらも、その否定的側面が強調されていた。a
ところが二七年には、主権性の傾向が全体として歓迎すべきものとして肯定的に評価されている。実はこの主観性の主張に対する両面的な評価は四つの学期のいずれにも見られる。しかし、二四年までと二七年以降とでは、明らかにアクセントの移動がある。b
二一年にはじめて「宗教哲学」が開講されてからすでに六年が経過していた。開講の直接の動機であったしシュライフェルマッハーとの対決は当初の新鮮さと緊急性を失っていた。新鮮さが失われたのは、二四年にシュライフェルマッハーの思想内容に踏み込んだ全面的な対決が遂行されたからである。c
緊急性が失われたのは、論争状況が大きく変化したからである。・・・のなかで、シュライフェルマッハーを揶揄して、宗教が「依存性の感情」のもとづいているのなら、「犬こそが最良のキリスト教徒であろう」と書いてしまったことが、激しい敵意と憤激を引き起こした。d
これ以降ヘーゲルを汎神論者だとする攻撃が始まり、ヘーゲルは自身と思弁哲学を守り抜く防衛的論駁へとスタンスを変えなければならなくなった。ルター派正統主義が宗教的な内容を自己意識にとって外的な権威によって固定しようとするとき、ヘーゲルはこれとの闘争のなかで直接知の内面的確信の立場にe
「最も重要な同盟者」を見出した。この学期にヘーゲルは直接知が唱える「論争的な側面を脇に置いて」直接知と自己の哲学的立場との共通性に意識的に眼を向けようとする。「意識と神との不可分の統一」という直接知の思想には「精神による精神の証言」という宗教哲学の根本思想が含まれている、f
と、評価するようになる。二四年の祭祀論では、共同精神の内面的確証(Ueberzeugunug)の思想を積極的に打ち出しながら、これが直接知の主観的確信(Gewissheit)と混同されないように、両者の相違をことさらに強調していた。二七年には逆に、両者の共通性が強調される。g
「外的な権威や他人の認証を一切しりぞける」内面的確信を重んじる最近の向は、「哲学自身の根本規定が一般通念の一般的な先入見」となったものであり、むしろ「幸運と見るべきである」とまで言うようになる。「このような時代の確信の根底には我々の宗教哲学の基本要素と根本概念とが h
結びついています。それゆえ、哲学の邪魔になると勘違いされたこうした見解に対して論争し、我々の科学のために道を開けてやる必要などないのです。・・哲学にもともと対立していると思っている直接知の主張の方でも、その内容をよく見てみれば実は彼らが闘っている相手(宗教哲学)と一致している i
ことがわかるでしょう。」当時の論争的な布陣のなかでこの発言が具体的に何を意味するかは明らかであろう。ヘーゲルはこれまで直接知を敵視してきたことを「勘違い」だったと反省し、とりわけシュライフェルマッフェルに対して和解の手をさしのべているのである。j
つまり、シュライフェルマッフェルの主観性の神学を、精神としての「神の主観性」という思弁哲学の原理を守る闘いの味方に付けようとしたのである。(ibid s 144 )
【日本の解き方】「金融緩和は反対、消費増税は賛成」は日本経済強化と真逆の方向 - 政治・社会 - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/domest… @zakdeskさんから
中国四千年の歴史というのは全くの虚偽で、たった60数年の歴史が正解。虚偽捏造マニアの韓国の五千年の歴史は笑い話。我が国の2672年の歴史は確定しているだけの年数であり、もっと長い歴史があると今後証明されていくだろう。兎も角、我が国はダントツで世界最長の歴史を誇る国家である。
古代ギリシャのソクラテスの悲劇とプラトンの哲人政治から民主主義の特殊的な形態である現代の共産主義の堕落に至るまで未解決の問題だ。唯一の可能性は立憲君主制。RT @ikedanob: 民主政治はなぜ衆愚政治になるのか : 池田信夫 blog bit.ly/V0AJnu