作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

8月17日(日)のTW:下村博文文部科学大臣の政治家としての資質

2014年08月18日 | ツイツター

櫻井よしこ氏は、文部科学大臣の下村博文氏について次のように書いている。「病と戦いつつ、安倍政権を支えた氏の姿が政治家としての誠実さを物語っている。こんな人物(下村博文氏)とチームを組める安倍晋三氏の幸せを思ったことだ。」goo.gl/VDpMuP


しかし、この下村博文文部科学相は「15日の閣議後会見で、靖国神社参拝について「周辺諸国や国際情勢に配慮し、私自身は参拝しない」と述べた。」らしい。goo.gl/h9oT3o
櫻井よしこ氏の記事によれば、「壮絶な幼少時代を過ごした」下村博文文科大臣は「政界で最も


誠実な人物」三人のうちの一人に挙げられるらしい。私はこの下村博文氏については、カジノ議連かパチンコ議連の一人であって、文部科学大臣としては不適切な人物だ、ぐらいに思っていた程度で、その外は大して知らない。下村氏が早くに父を喪ってそのために苦学されたと櫻井氏は言う。それはとにかく


今日は日曜日で本来ならツイートもするつもりもなかったけれど、産経デジタルで、この大臣が「周辺諸国や国際情勢に配慮し、私自身は参拝しない」と報道されていたのを読み、文科大臣のこの発言はかなり問題があるのではないかと思い感想を記録しておくことにした。この発言は先の15日にあったのに、


この下村大臣の発言に対して現内閣の身内からもまたいわゆる識者とされる人たちからも批判らしい批判も聞いていない。一部のツイートで批判されているくらいだ。なぜこの下村大臣の「周辺諸国や国際情勢に配慮し、私自身は参拝しない」発言が問題なのか。かって自民党に宮沢喜一という総理大臣がいて、


日本の教科書検定を行う際に「近隣諸国との外交関係に配慮する」として、中国と韓国の二カ国のために、もっとも客観的で真理に基づいた記述であるべき教科書が、他国の政治的思惑によって歪められるという、属国外交の端緒と先例を作るという重大な失政の歴史的な経緯が過去にあったからである。


今回の下村博文氏のこの発言よっても、かっての自民党宮沢喜一氏の下で行われた文部行政の失政から何一つ学ばれていないことが分かる。国民の自由を守る使命を自覚せず、主権と独立を損う政治家は、政治家としては失格である。「壮絶な幼少時代を過ごした」などは政治家としての資質とは無関係である。


 
 
 
 
 
 
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