涼風如秋(涼風秋ノ如シ)
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まだきより 身にしむ風の けしきかな 秋先立つる み山辺の里
まだその時期も来ないのに、吹く風が身にしみて来る様です。
都に先立って秋も訪れてきます、山のほとりにあるこの里には。
松風如秋(松風秋ノ如シ)といふことを、北白川なる所にて人々よみて、また水声有秋といふことをかさねけるに
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松風の 音のみならず 石走る 水にも秋は ありけるものを
松の梢を吹きわたる風はもうすでに秋、ということを題に北白川というところで人々と歌を詠みました。その題に重ねて、また川を流れる水音にも秋がある、ということも詠みました。
松の梢を吹きわたる風だけではなく、岩の間を流れ降る水にも秋の訪れを感じられることよ。松のこずえを揺する風と川流れのせせらぎの音。西行の身体の全感覚に、秋の到来が刻まれる。
山家待秋(山家秋ヲ待ツ)
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山里は そとものまくさ 葉をしげみ 裏吹きかへす 秋を待つかな
山家で暮らしながら秋を待つ
私の暮らす山のほとりにある里には、家の外一面に葛がはびこって葉を繁らせている。葛の葉裏をそよがせる秋風の吹くのももう間も無くだ。
六月祓(みなづきばらへ)※
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禊して 幣きりながす 河の瀬に やがて秋めく 風ぞ涼しき
川辺で禊しながら、幣(ぬさ)を切って河の瀬に流していると、すぐに秋めいた風が吹いてきて涼しい。
※六月祓(みなづきばらへ)、夏越し祓へ(なごしのはらへ)、名越しの祓へ
陰暦六月水無月の晦日、宮中や神社において半年間の厄を払う厄除の行事。邪神を和めるために川原で禊(みそぎ)しながら厄落としのために幣を切って川に流したらしい(全訳古語辞典)。西行自身は真言僧だったから神官のように実際に川の流れに入って幣を切って流すことはなかったのかもしれない。おそらく彼自身の体験ではなく、観察や見聞を和歌にしたのだろうか。西行にも縁の深かった上賀茂神社には今も「ならの小川」が流れている。
あらためて上賀茂神社のホームページを見ると、今日でも「大祓式」は年二回(六月・十二月)に行われているそうで、罪穢を託された人形を「ならの小川」に投す大祓式が今も行われているとのこと。おそらく西行は上賀茂神社の六月祓(みなづきばらへ)を体験して、この歌を詠んだに違いない。私はまだこの六月祓へは見たことがない。来年にでも忘れていなければ見る機会があって、この西行の和歌を思い出すこともあるかもしれない。これらの歌はいずれも山家集の夏の巻尾を飾っている歌である。晩秋に入ろうとする今、時期外れの記事になってしまった。
上賀茂神社のホームページより
ひととせ | 賀茂別雷神社 https://is.gd/bmlSqN
「大祓式」では二回(六月・十二月)に行われ、古来より半年間の罪穢を祓い清めて来る半期を無病息災に過ごせる事を願い全国神社でも行われています。当神社では「橋殿」にて宮司が中臣祓詞を唱え氏子崇敬者から式中に伶人(神心流)により、当神社の大祓式の情景を詠まれた下記の和歌が朗詠されます。
風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
藤原 家隆
家隆は西行のこの夏の禊の歌をきっと知っていたに違いない。