私もブログの存在を知ってから、利用するようになった。自分でホームページを作る手間に比べれば、とても便利だ。こうして日記としても使える。そのために、ノートの日記にはあまり書かなくなった。ホームページの更新もさぼりがちになる。当然にいろんな人の目に触れる機会や可能性があるから、あまりにプライベートな問題は書けない。また私のこのブログのように、社会問題などについてのメモワールの色彩が強いものは、生活の匂いのしない、面白みのない日記になってしまう。止むを得ないかも知れない。
テレビと自動車とインターネットが私たちの世代において、生活に変化をもたらしたもっとも象徴的な技術革新かも知れない。多くの若者にとっては、そんなものは生まれた時からあるから珍しくもない。だから彼らはそれらの価値をどれだけ自覚できるだろうか。私にとって人生の後半期になってから出てきたインターネットなどは、恐らく生涯の三分の一の期間に使えるだけである。残念といえば残念である。若くして亡くなった私の親友などは、もちろんインターネットなど知らずして逝った。生きていれば毎日やり取りできたのにと思う。
これからも、引き続き科学技術の進歩によって社会の変革は続く。私の父や祖父の生きた時代とは善くも悪しくもすっかり様変わりしてきている。古き善きものの多くも失われたと思う。とくに大和撫子の失われたことなど。しかしまた、その一方で、ネットやブログで、全世界と瞬時につながり、知識や情報の交換もできるようになった。 現在の政治状況なども父たちには想像もつかなかっただろう。失ったものがあれば得たものもある。
海外のブログの活用、利用の状況はどうのようなものだろうか。外国のブログはまだ本格的に訪れたことがないのでよく分からない。ただ文化的な伝統からか、あるいは教育の拙劣のためか日本では議論や討論になれておらず、冷静に理性的にさまざまなテーマで論議しあうブログ関係は、まだ十分に構築できてはいないように思う。
大学や大学院での学術論文などの製作も、諸外国と比べて質量ともに、とくに文科系では見劣りするとも聞く。恐らくそれは日本の学校教育での、あるいは家庭教育での読書教育や文章教育が貧弱なためだと思う。その結果として、豊かな言語生活を、言論活動を享受できないのだと思う。深刻な問題だと思う。
多くの少年少女たちが非行に走るのも、言論活動が十分できるように訓練教育されていないことが原因である場合が多い。そのために、言葉によって、言論によって自分の意思や欲求を他者に的確に十分に伝えられず、その結果として、自分を知らせるために暴力や非行に走ってしまう。
子供たちの言語能力は、子供たち自身の倫理の問題、人間関係の処理能力と深く関係している。とくに学校教育関係者は深く留意すべき点だと思う。もっと子供たちの言葉の力を育て、コミュニケーションの能力を高めて行く必要がある。青少年に対する正しい情報教育に早期から取り組み、充実させて行く必要がある。今の学校教育はこの要請にきちんと応えられているだろうか。
いくつかの掲示板を覗いてみても、もちろん、そこに参加する人は必ずしも専門家ではないのだから当然としても、それにしても一般市民の参加する掲示板でも、必ずしも実り豊かな議論や論争が展開されているとは思えない。その多くは犬や猫などの動物どうしの唸りあいに近いものになっている。ブログなどを見ても、深く社会的な議論を展開したものはまだ少ない。
携帯電話やテレビなどの流行で、昔のように、子供の頃から、大河小説などに読みふける家庭環境などがなくなってしまったせいかも知れない。
また、いまだ政治や地方行政においても情報開示が進まず、医療や銀行や農協、教育、法曹関係などの利害関係団体が日本の政治、経済、文化における効率化と発展にとって大きな障害になってきた。そのために、お隣の韓国などと比較しても、情報処理、健康医療、マスコミの芸術文化の産出力などで大きな遅れを取ってしまっている。公共機関などにはホームページの充実などさらに求めて行くべきだろう。今回の総選挙でも、インターネットを選挙活動に活用できないなどという事実に見られるように、特殊な利益団体や組織がどれだけ日本国全体の発展の障害となってきたか、また、日本の政治が、どれだけ旧態依然としたものであるかの証拠となっている。
それでも、ブログなどの流行で、日本国内にとどまらず、海外からも多くの知識や情報を手に入れ、一流の論文などに(ネットに行き交っている多くの言葉や情報の90パーセントは無意味なものが多いと思うけれど)触れることができるようになった。こうした環境の変化がもたらす教育や文化上の影響は大きいと思う。必ずしも教育力の不足した多くの大学などに行かずとも、ネット上の知識や議論で十分に訓練されるかも知れない。そうなれば、教養の高められた国民が、自らの力で改革に立ち上がる日は近いかも知れない。
確かにそのとおりです。でも、遅かれ早かれブログの内容は国家権力によって組織的にことごとくしかも上手に改竄されるようになることでしょう!(オーウェル式の情報改竄!!!!)
⇒情報改竄に関する詳しい内容については以下を参照のこと:
■『解明される意識』(ダニエル・デネット)
■『ダーウィンの危険な思想』(ダニエル・デネット)
⇒進化論に関する内容については
■『虹の解体』(リチャード・ドーキンス)
■『悪魔に仕える牧師』(リチャード・ドーキンス)
⇒デストピア文学について
■『1984年』(ジョージ・オーウェル)
■『言葉のある曠野』(開高健;ノンフィクション)
結論:ブログに書いたものはすべて自分でその控えを管理するしかないようです!