作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

西行の正月

2006年01月04日 | 日記・紀行

年齢を重ねれば重ねるほど、幼かったころに正月を迎えた時のような高揚した純粋な喜びを失ってゆくのはやむをえないのかも知れない。お年玉をもらう喜びは子供の特権だった。童謡に歌われたような「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、独楽を回して」という世界は、すでに遠くさらに幻想的になってゆく。

最近は正月になっても独楽を回して楽しむこともなく、また、子供が凧揚げや羽子板で羽根突きをして遊んでいる光景も目にすることもない。家々の門に門松が飾られることもほとんどなくなってしまった。

木村建設や姉歯秀次建築士などが建てたマンションやアパートなどの、無風流で機能一点張りの建築がこれだけ増えれば、生活から宗教や芸術の香気が蒸発してしまうのも仕方がない。しかし、人類の数万年の歴史からすれば、現代人の生活様式が、人類にとって普遍的であることを証明するものは何もない。

幸いにも、人間は言葉を残し、それによって歴史の中により正月らしい正月を懐かしむことが出来る。
折りに触れて読む西行の『山家集』などは、表紙を開けた瞬間に芸術の香気が漂ってくる。そこにも懐かしい正月が記録されている。

その懐かしい正月を思い出すために、久しぶりに『山家集』を開いた。当時はもちろん陰暦だったから、暦が代わるとともに文字通り春が待ち受けていた。『山家集』は春の歌から始まる。当時の人の季節感、時間の意識を知ることができる。しかし、太陽暦の正月は、まだ、寒さの最中で、正月の中に春の歓びを感じることは出来ない。

雪分けて  深き山路に  籠りなば  年かへりてや
君に逢ふべき

私(西行)は雪深い高野山に寺ごもりしてしまったのであなたにお会いできません。年が明けてから、あなたにお逢いできるでしょう。

西行は何か思うところがあってか、年の暮れに空海のいる高野山に籠ってしまった。そのために友に逢えるのは、年が明けてからだ。

年の内に春立ちて、雨の降りければ

春としも  なほ思はれぬ  心かな  雨ふる年の
 ここちのみして  

京都の年末正月も少し時雨れた。当時の正月は、初春と呼ばれたように、正月には春の長雨がふさわしく、雪は旧る雪で、旧年中の冬のことだった。この年、西行は雨が降っても、まだ正月が来たという実感が湧かないでいる。

正月元日に雨降りけるに
いつしかも 初春雨ぞ  降りにける  野辺の若菜も
 生ひやしぬらん

なんとも早く、もう初春雨が降ったよ。子の日に摘む若菜もきっと芽を出したことでしょうね。

もっとも正月らしい歌は次の歌。元旦を迎えるたびに、
この一首を思い出す。

家々に春を翫ぶということ
門ごとに  立つる小松に  飾られて  宿てふ宿に  春は来にけり

あけましておめでとうございます。本年も良い年でありますよう。

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