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写真好きの建築女子が綴る、日々のあれこれ!

茨城町指定史跡「勘十郎堀跡」

2019年06月08日 | 土木の風景
今日は、茨城空港に近い場所で、農地転用の許可申請による現場立会い。
会社から涸沼のそばを通り約50分、仕事も早く済んだので、道沿いの標識の方向へ車を走らせました。



勘十郎堀跡といわれる、大洗町の大貫運河は見ていましたが、茨城町の紅葉運河は今回初めてです。
真ん中が道路になっていますが、道路の両側に運河の痕跡が見られます。







かつて水戸と江戸を結ぶ内陸水路として、那珂川・涸沼川・涸沼・北浦・利根川が運送路として利用されましたが、涸沼と北浦の間では陸上輸送となるため、この間に運河(紅葉運河)を作ることで、利用の増大と経済の発展、さらには通船税で藩の財政を立て直す予定でしが・・・


(関東農政局の地図です)


延べ130万人が動員されましたが、砂地という地質も悪かったようで・・・絶えず修復工事に追われていたようです。
農民たちは田畑を耕すこともできず、過酷な労働と賃金が払われないなどで1708年には農民一揆がおこり、松波勘十郎は改革の責任をとり牢獄に入れられ獄死したそうです。今はうっそうと緑に覆われていますが、まわりの地形からみても掘削した深さの苦労が想像できます。






もしこれらの運河が残っていたら、大洗町の大貫運河から紅葉運河まで、今ならサイクリングロードにでもなっていたかもしれませんね。


[勘十郎堀についての詳しく説明]

運河の掘削と宝永の一揆(関東農政局)

茨城県の紹介のページ



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