師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

古きは去り あたらしきはじまる

2011年06月04日 | 天意の実践

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思い立って、幣立神宮へ向かった。

天から地と、地から天へ向かう場所であった、幣立と天岩戸。

これらが封鎖されてからは、神域が気枯れしているので、

行くことはなくなっていた。

その幣立の龍神の湧水が枯渇しているという話を耳にしたのだ。

仕事部屋で公開しているように、龍神界でのゲートはすでに

閉じられ、唯一のゲートは龍王陛下の御裳裾しかないので、

龍神界ゲート閉鎖以降、龍神さま方は、続々と龍王陛下

のもとへ集われ、旅立つものはそのゲートから、

おのおのの世界へ昇られていると聞く。

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本殿の裏方向へ下る林は、以前と比べて様相が変わっていた。

平日にもかかわらず、ここを訪ねる人は多い。

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北辰さまは、気枯れ、祓い清めを司られておられる龍神さま。

この龍神さまが座しておられなければ、神域は保てない。

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冒頭の写真。水取り口のところ。

ここと、もうひとつ。

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枯れてから時間がたっているようだ。

龍神さま鎮座の折は、神域にふさわしく霊気が感じられたが

今はありふれた日常の里山の中の一風景となっている。

古き神は立ち去った。

わたしたちはあたらしき神をお迎えするのだ。

古き神にこの地に留まるよう願うのは、執着だ。

人間の勝手な欲であり、思い込みだ。

その想念が、神を貶しめることになるのだ。

古くから、あたらしき神々をお迎えする地は、

あたらしき地に依りいただく。

それが、連綿と伝わっていたのに、いつのまにか、

途切れ、古き祠は朽ち果て、その役目を終わろうとしている。

終わっている地もある。

物事がそうであるように、

古きを捨ててしか、あたらしきは入ってこない。

そう、改めて教えられたと感じた。

追記

お参りをしていると、しめ縄についている紙垂の右側だけ

がくるくるとまわっていた。

師匠がそれを指さし、つぶやいていた。

帰路。

雨が降りはじめた。

途中は、ワイパーも効かないほどの豪雨の中を走った。

前日の瞑想時、龍王陛下と語らっていたという師匠。

東方向の空がかすかに紅い。

紅龍さまのお姿を感じた。

どうやら、祓い清めの雨をいただいたようだ。

やがて、雨が降る地域を通り過ぎ、降った後の

清々しい空気の中を走ることができた。

コメント
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