私こと臣は、今年、元日に、初詣に行きました。
と、書く時点で、普通はしてません・・・ってことなんですけどね。(笑)
私の産土神である早吸日女神社と、地区でお祭りをしている神社
のお社が新しくなったので、ごあいさつに行きました。
(ほぼ、連行されて。(笑))
いつもは早吸さまでは、お参りをして、本殿の周囲をまわるのが
参拝の作法なのですが、雪が降っていて、寒いからと、省略。
新しくなった地区のお社の前に立ってお参りをしていましたら、
それまで雪降りの曇っていた空から、お日様が出てきて、
それも、一筋の光となって、私を通り抜け、社へ差し込んで
消えました。
その間、3分ほど。不思議な感覚でした。
師匠「おぉ。アマテラスさまの降臨ですな。」
私 「もう、びっくりしました。」
師匠「地区のお社にも来られたってことだよ。ありがたいねえ。
新年からいいことがあったな。」
今年はどんな年になるか、なんて、考えるより、笑って過ごせることに
感謝できる一年にしていこうと思います。
追記
加筆、修正しました。
先日のテレビで、『伊勢神宮の参拝』ということばに誘われて
ある番組を観ていました。
番組の内容は、日本人と神社仏閣との係わり合いについてでした。
『伊勢神宮』は、ほとんど終わりの方。ちょこっとでしたね。
ビートたけしさんが言っていましたが、私も同じことを感じていました。
以前、私も伊勢へ参拝した時は、
「あれもお願いしよう、これもお願いしよう。」
と思って行ったんですよ。
ところが、前に立つと、そんなことは考えられなくなるんですね。
圧倒される存在感とは、このことなのだと感じました。
伊勢では五十鈴川から神域らしいので、(師匠は、橋を渡り始めた
時からトランス状態。(笑)走ります。あの天狗走りです。)
だから、木々の間を流れる気の感じは、すごいのだと思います。
軽々しく言われない、言ってはいけない大いなる存在が在ります。
こんなことを書くと、師匠がまた、「伊勢へ行くーっ。」
と騒ぎそうなので(苦笑)、今日はこのへんで。
臣でした。
あけましておめでとうございます。
新年、そーそーの師匠からのメールは
『信』
私 「なんすか、これ。」
師匠「夕べの夜中(元旦の早朝)、2時半ごろ瞑想してたら、
降ってきたんだ。
『信』
このあとに続くことばが、そのひとへのメッセージになっている。」
私 「『信』のあとに?『信(頼)』みたいな?」
師匠「そーそー。
でね、詳しく感じたのは、自分自身への信用みたいな話になった
んだ。今年はそれがキーワードみたいになってるようだ。」
私 「『信』ねえ。」
ちょっと、感じてみませんか、自分自身のこと。大事に思っていれば、
信用に足りる、最高のパートナーだと思うのですが、どうですか。