師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

考えるという作業

2011年06月15日 | 神さま通信

考えるという作業には、目的意識と、集中力が必要だ。

なんのために、そして、必ず答を引きだすという、

強い意志のようなものが思考を支える。

確立するまでは、寄り道したり、

そのことから逃げたりすることもあるだろう。

しかし、その思考は誰のためなのかを考えてみただろうか。

究極の自分。世界である自分のためなのだ。

自分を置くスペースを守り、維持するため。

自分の世界を守るためなのだ。

楽しめる自分。笑える自分。

悲しんだり、怒ったりすらも許される空間こそ、自分が存在できる場。

その空間を守るために必要なことを、思考しているのだ。

自分の空間を守るために、自分の周囲の空間も大事にするのだ。

自分の空間の汚染を防ぐために。

考え抜いたその先には、考えなくてもよい世界が待っている。

それが、宇宙の真理。ことわり。(理)

宇宙は考えない。あるがままだ。

そのことを学ぶのだ。

考え続ければ、世界は逆転し、考えずとも、世界はうまくいくことに

たどり着くだろう。

そう。わたしたちは、あなたたちひとが思うように、難しくは考えない。

宇宙はとてもシンプルなのだと気づいている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天界 龍神界 そしてー

2011年06月09日 | 天意の実践

さて、先日の幣立訪問だが、

これは、龍神界の意向によるものだった。

後日、これのお伝えをいただいて、改めて、

今、この世界で起きていることは、すべてが必然であると

感じる。

神さま方のことばはシンプルで、澱みなく本質へ伝えられる。

なにをするにも、それだけしか存在しない。

ひとは、理解できない癖に、その理(ことわり)を知ろうと

あれこれ考え、そして、感情のまま詮索する。

意味があるということを感じようとしなかったり、

本質以外のものを欲しがり、進む道を間違える。

素直であること。

愚直でも、いけない。感じるままに。

それは、けっして、誰かの言いなりでよいというわけではない。

自分の進みたい方向に添う、現れる事象を取捨選択する

感覚に添うということだ。

自分の進むべき道は、あらかじめ決めてある。

その地図に添って、今、あなたは、あなたの立っている

ところまで来たのだ。そして、その地図をたよりに進んでいく。

      

『仕事場』で公開しているように、『天界』のみならず、

『龍神界』も、この"ぷろじぇくしょん"は関わっている。

その両方にお仕えして、これからも日々お伝えを

受け入れる。

地界でのことも。

ぷろじぇくしょんに参加している一員としての役目を

果たしていくことが、自分の本質に関わることだと

感じる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い込みというまぼろし または牢獄

2011年06月07日 | 天意の実践

頑(かたく)ななこころは、時にカラダを傷める。

そう。頑張るにも用いられるこの字だ。

堅いもの。動かないものは、死の属性であり、

それに変化はもたらされない。

生の属性である柔らかさ、柔和さは常に変転し、万化する。

生きていることは、変化そのものだ。

ひとが変化するのは、生きているということだ。

そして、この地球もまた、生きている。

そして、変化する。

変わらないことを望むことの方が難しい。

自分も変わっていたりして、相手を咎めたり、

自分は変わらずにいるが、相手が変わったことを

咎めるのは不毛というものだ。

変わらないことを選び、思い違いに気づかず、こころを閉ざすのは

とても、空しい。

常識とは、変化と、そのフィルターレベルに基因する。

自分と相手が違うことも楽しめなければ、

自分だけしか、存在できなくなる。

自分がいるえりあがあり、

自分がいるえりあに付随したえりあの誰かの世界がある。

お隣であったり、上下で存在したりして、この世界は

拡張している。

変化を受け入れる。

変化を感じ、自己に沿って進む。

虚牢に自身を止めることなく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古きは去り あたらしきはじまる

2011年06月04日 | 天意の実践

2011_0603_150431cimg0003

思い立って、幣立神宮へ向かった。

天から地と、地から天へ向かう場所であった、幣立と天岩戸。

これらが封鎖されてからは、神域が気枯れしているので、

行くことはなくなっていた。

その幣立の龍神の湧水が枯渇しているという話を耳にしたのだ。

仕事部屋で公開しているように、龍神界でのゲートはすでに

閉じられ、唯一のゲートは龍王陛下の御裳裾しかないので、

龍神界ゲート閉鎖以降、龍神さま方は、続々と龍王陛下

のもとへ集われ、旅立つものはそのゲートから、

おのおのの世界へ昇られていると聞く。

2011_0603_152216cimg0008

本殿の裏方向へ下る林は、以前と比べて様相が変わっていた。

平日にもかかわらず、ここを訪ねる人は多い。

2011_0603_150445cimg0004

北辰さまは、気枯れ、祓い清めを司られておられる龍神さま。

この龍神さまが座しておられなければ、神域は保てない。

2011_0603_150600cimg0007

冒頭の写真。水取り口のところ。

ここと、もうひとつ。

2011_0603_150519cimg0006

2011_0603_150502cimg0005

枯れてから時間がたっているようだ。

龍神さま鎮座の折は、神域にふさわしく霊気が感じられたが

今はありふれた日常の里山の中の一風景となっている。

古き神は立ち去った。

わたしたちはあたらしき神をお迎えするのだ。

古き神にこの地に留まるよう願うのは、執着だ。

人間の勝手な欲であり、思い込みだ。

その想念が、神を貶しめることになるのだ。

古くから、あたらしき神々をお迎えする地は、

あたらしき地に依りいただく。

それが、連綿と伝わっていたのに、いつのまにか、

途切れ、古き祠は朽ち果て、その役目を終わろうとしている。

終わっている地もある。

物事がそうであるように、

古きを捨ててしか、あたらしきは入ってこない。

そう、改めて教えられたと感じた。

追記

お参りをしていると、しめ縄についている紙垂の右側だけ

がくるくるとまわっていた。

師匠がそれを指さし、つぶやいていた。

帰路。

雨が降りはじめた。

途中は、ワイパーも効かないほどの豪雨の中を走った。

前日の瞑想時、龍王陛下と語らっていたという師匠。

東方向の空がかすかに紅い。

紅龍さまのお姿を感じた。

どうやら、祓い清めの雨をいただいたようだ。

やがて、雨が降る地域を通り過ぎ、降った後の

清々しい空気の中を走ることができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早い決断 急がない結論

2011年06月02日 | 天意の実践

今、起きていることをどう捉えるかも、ひとそれぞれのフィルターレベル

に因るところが大きい。

受け止め方がひとそれぞれなように、(物事が)起きている時間と、

そのひとが起きている(目が覚めている・もしくは活動している。)

時間も、ひと、それぞれだ。

以前、熊本の霊能者のM社長に神さまから

時間の感覚についてお伝えしたことがあった。

自分のまわりを流れている時間が、感覚的に変化している。

M社長にとっての一日は36時間ぐらいの量を過ごしていると。

今、それは、誰でもそうなのだと思う。

突発な事象には、素早い決断が必要とされる。

だが、物事の捉え方の結論を急いではいけない。

全体に関わる人たちの流れが、とても流動的で、

流れを把握することはさらに、とても難しい。

いろいろな情報が流れていて、どう受け止め、

どう、自分で必要な部分を、補うかを

自分で決めるのだ。

今までだって、そうしてきたこともあったのだ。

してこなかったのであれば、今から、必要とされる感覚なのだ。

それに、気づくかどうかも、本人次第。

ハタレやサスラは、本人が、結論を下した結果だ。

あれはこうだと、決めつけた結果、それに囚われ、

自分を貶しめる方向へ向かわせたのだ。

すべてがつながっていることに気づき、信じ、ゆだねていれば

自らが高まることを知るだろう。

ひとは、そのエネルギーを高めながら、進んでいるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする