最初に体調不良の兆しがあったのは2003年6月のことでした。
お腹から背中に抜けるような腹痛を覚え、かかりつけの内科を受診。
自分では胃潰瘍だろうと思い込んでいたのですが、
『腹痛にも色んな原因があるから。』
と、血液検査をされました。
すると、“アミラーゼが高い”との結果が出ました。
基準値の1.5倍ぐらい。
ただ、
『アミラーゼは唾液腺の病気でもあがることがあるので、もう一つ膵臓の酵素であるリパーゼを計ってみて、それでも高いなら膵臓でしょう。』
と言われて、再検査をしました。
数日後結果を聞きに行くと、リパーゼも基準値に比べ軽度の上昇。
ただ、この時は既に症状が治まっていたので、経過観察に。
それから、定期的に血液検査に行きましたが、
常にアミラーゼとリパーゼの軽度上昇が見られたため、
念のためにCTやMRIも撮ったものの異常なし。
そのまま経過観察を続けることに。
2004年10月の中頃のこと。
仕事で外出中に下痢を伴う激しい腹痛を起こしました。
仕事を早引きして、クリニックに行って検査したところ、
アミラーゼがそれまでの最高値である300(基準値は190まで)ぐらいまであがっていました。
それまでで一番高い数値を出したために
『痛い時だけ飲んでみてください。』
とフオイパンを一日3錠出され、
『脂っこいものは避けるように。』
とも言われました。
ただ、この時の痛みは一過性ですぐに治まりました。
しかし、同年の12月の中旬頃から仕事のストレスが原因なのか
鳩尾の重苦しい痛みと背中の痛みが出てきました。
Drから「背中は痛くないか?」と聞かれるので、
気にしすぎかなと当初は思っていました。
年末に向かうにつれどんどん痛みが強くなり、
全身倦怠感に食欲不振もひどくなってきました。
年始の仕事中に、耐え難いレベルの腹痛に襲われました。
クリニックを受診して採血と点滴の処置をして貰いましたが、
膵炎が増悪した場合にクリニックでは対応しきれないからと、
かつて胆石症の手術をした総合病院を紹介されました。
数日後、紹介状を手に受診すると、
当日のエコー検査で大腸の炎症所見があったため
大腸カメラをすることになりました。
(当初は潰瘍性大腸炎を疑われていたそう。)
大病院では検査に時間がかかります。
(大腸カメラ1週間後、結果1週間後。そこからMRI検査2週間後、CTは更に1ヶ月待ち・・・等)
とても体調が悪かったので、
クリニックのDrに診断書を書いて貰い自宅療養していました。
が、一向に痛みが治まりません。
痛くて食べられないので日に日に痩せていき
この段階で8~9キロは減っていました。
そこで、かかりつけ医の勧めもあって検査入院をすることになりました。
検査内容は、入院前にした検査も含めると
採血・エコー・胃カメラ・大腸カメラ・MRCP・CT・胆道シンチグラム・口唇生検等。
痛みで食事が取れなかったので、主治医の勧めで絶食してみたところ
嘘のようにぴたりと痛みが治まりました。
4日間の絶食後の血液検査ではアミラーゼが下がっていました。
検査の結果、やはり画像は異常なし。
ただし、P型アミラーゼとリパーゼが軽度異常。
また、膠原病に関係のある抗核抗体(ANA)が弱陽性で、
更にSS-A抗体が陽性、SS-B抗体は弱陽性。
この結果、膵炎の中でもシェーグレン症候群に稀に併発する
自己免疫性膵炎ではないかと言われました。
ところが顕著に上昇するはずのIgG4は正常で、
シェーグレン症候群の確定診断をおろすためにした口唇生検の結果も異常なし。
そのため自己免疫性膵炎もシェーグレン症候群もこの段階では否定されました。
結論は、画像異常はみられないものの、
『(普通の)膵炎でしょう。』ということになりました。;
退院した後は基本的に月に一回の通院で、
フオイパンを1日6錠とコスパノンを1日3錠処方されました。
しかし、時折食事も取れないほどの痛みに襲われ、
2007年9月までに3度の入院を経験。
(治療は絶食とフサンの点滴)
その後お薬は変わり、痛み止めはボルタレンとブスコパンに。
消化剤としてセブンイー・Pとパンクレアチンが処方されました。
フオイパンを処方された時よりも消化剤が追加処方された時のほうが、
効果を感じられました。
2007年9月の入院では点滴がFOYのジェネリックである
レミナロンに変わりました。
これがとんでもない薬でひどい血管炎を起こしました。
元々血管の細い私の両腕は退院する頃には刺すところがなくなっていて、
腕が腫れ上がってました。
退院後に8度近くの熱が1週間ぐらい続き、
レミナロンの薬剤漏れが原因とわかりました。
こんなひどい目にあったのに効果はフサンの半分もありません。
副作用はきつく、作用は少ない。
こういう経験から私は“ジェネリックが先発品と同じである”
という厚生労働省の宣伝には懐疑的です。
2007年はずっと膵臓の調子が悪く、
特に9月の入院以降は毎日のように点滴に行ったり、
救急外来に駆け込んだりということが続くようになりました。
そのため、長年避けてきたERCPをすることになって再入院しました。
ERCPをしてみると当初疑われた十二指腸乳頭の機能異常はなし。
ところが、造影剤を入れると膵管の中に停滞する=膵液の流れが悪いのです。
この原因は胆嚢摘出手術(2002年)の影響で胆管が太くなっていて、
胆汁の勢いが強すぎ膵胆管合流口で膵液の流れを邪魔していたことでした。
そこで膵液の流れをよくするために、
胆管を切って膵液と胆汁の出口を分けるという処置(十二指腸乳頭切開術=EST)と
ステント挿入をしました。
膵管の姿はとても綺麗だったため、
リスクの高い膵管切開を避けて胆管のほうを切開したとのこと。
この結果
重症急性膵炎という合併症を引き起こしてしまったのは、
遺伝子異常が根底にあったからかもしれないと後になって言われました。
約3ヶ月の入院を経て、2008年1月に一旦退院しましたが、
その後も体調が優れず、約1ヶ月後に再入院。
痛みを緩和させるために「腹腔神経叢ブロック」をすることに。
しかし、神経を傷つけた痛みに苦しめられただけで、膵臓の痛みは緩和できず。。。
痛み止めにリン酸コデイン(麻薬)を使うことになり、
更に鎮痛効果を目的にルボックスという抗うつ剤も処方されました。
結局、2ヶ月入院しました。
同年、秋頃にまた体調悪化。
外来でトリプシン900という数字を記録し、11月に再入院。
当初は3週間ぐらいの予定が、食事を再開したら悪化。
フェンタニルのPCAポンプにフサンも離せず、年末年始の一時退院を挟んで、3ヶ月近く入院していました。
その間、コデインの使いすぎで膵炎発作がひどくなって腹水を溜めたり、
アミラーゼは200ぐらいなのにCRPがなかなか下がらなかったり、
モルヒネの使いすぎで中毒症状を起こしたり、
かと思うと食事をアップしたらアミラーゼが650(トリプシン3000over)まで跳ね上がったり
・・・と色んなことがありました。
薬剤性(ルボックスが原因)でプロラクチンが異常高値になったために、
麻薬の中毒症状でひどい嘔吐発作が出た時にも
吐き気止めを使うことができずに、とても苦しい思いをしました。
この入院中には産婦人科や脳外科も絡んだ
色んな紆余曲折がありました。
でも、そのおかげでPSTIの遺伝子異常があるのでは?
という疑いがうまれたので、何が幸いするかわかりません。
現状は、CTで膵尾部の萎縮が見られ、膵管も拡張してきているそうです。
これ以上悪化させないよう、ここが踏ん張りどきと思ってます。