さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

慢性膵炎の経緯はこちら。重症急性膵炎の闘病記はこちら
過去の入院・検査記録はこちら。お薬の履歴はこちら
膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

ご意見のある方はayushirokun☆hotmail.comへ、☆を@に変えてメール送信してください。
当ブログのコメントは承認制になっています。

近況

2024年08月15日 10時34分00秒 | たわごと
前回に投稿してから六ヶ月以上経過しております。
更新はしていませんが、とりあえず元気に過ごしてはおります。
ブログを投稿できない原因は多忙ゆえ時間が取れないからなのですが、
その理由はと言うと。

1️⃣仕事が過去最高に忙しい。
病み上がり母をしばしば放置プレイ。

2️⃣母の通院の付添が多い。
アップしていなかったのですが、この半年の間に足の指を2回骨折しまして、
血液内科
肝臓内科
整形外科
糖尿病内科
と月に4回、母の病院があります。
骨折はつまづいて転んだのが原因で、多発性骨髄腫とは関係ないそうです。

3️⃣母が畑に行けないので、毎朝自家菜園に出動。
水遣りと収穫をしている。

4️⃣隙をついて宝塚行きに忙しい。(笑)
いよいよ、私の数年来の推しがトップスターに就任することになり、
ヅカ行きが多い。(笑)

5️⃣夜中は未だにテニスを見ている。
フェデラーは引退してしまいましたが、
スペインの若手、アルカラスのプレーを見ていると面白いので、
彼の試合はWOWOWオンデマンドで必ず追っかけている。

加えて。
柴犬のYouTube動画にハマってしまい、見るのが日課になっている。

と、他に優先することが多すぎて、こうなっております。

この半年、私は腱鞘炎と関節炎とは相変わらず仲良く?しておりまして、
CRPは常にアップ⤴️状態。
膵炎ではほぼ⤴️しなかったのに不思議ですね。😆
母は去年1クールだけ、しかも中途半端な抗がん剤の投与でしたが、
それが未だ奏功しており、腫瘍マーカーがギリギリ上がらずに踏ん張っております。
『あとは看取り』と約一年前に医者に言われましたが、
現状、足取りはやや覚束ないものの、家事はなんとかできており
友達と食事ぐらいには出かけています。
あの時、看取りを真に受けなくて良かったです・・・。

あと、特記事項としては、同い年の従兄弟のIPMNが発覚しました。
便の調子がよくないので大腸の検査をするために病院を受診したら、
まさかの膵臓の病気が見つかったのでした。
従兄弟だから体質が似ているんでしょうね。
膵臓病仲間が出来ました。(笑)

今日は終戦記念日。
母の友達にはお父様が戦死した方が少なくはないです。
正しい太平洋戦争を知るために、
山崎豊子さんの
大地の子
二つの祖国
不毛地帯

あたりをぜひ読んでいただきたいです。
私は膵炎の入院中に読破致しました。

今日は大学病院受診日。
待ち時間に久々にアップ致しました。


1月も終わり・・・

2024年01月30日 23時23分24秒 | たわごと

三が日はのんびり過ごしたものの

その後、キョーレツに忙しい日々が続いております。

そして、気が付けば1月が終わろうとしております。

1月は母の通院付き添いがなんと5日間。

(糖尿病内科3日、血液内科1日、肝臓内科1日)

で、私の観劇お出かけ3日。

用事の合間に仕事をしているのか、仕事の合間に用事をしているのか

どっちがどっちかわからなくなりそうですが、

とにかく忙しい!!

忙しすぎて、病み上がりの母を放置しております。

なんのスパルタ?って感じですが、

幸いにも母は日に日に元気になっており、

少しずつ家のことができるようになってます。

仕事の日は午前中にだけ顔を見た後は、

私が帰った時間には母は寝ている・・・という状態ですが、

帰宅後に大事件が・・・いうことには幸いになっておりません。

介護保険で借りていた手すりも半分は返却しました。

母としては最終的には全部返却したいそうです。

(やる気があるのはいいことだ。)

父の17回忌を迎えることが、まずは目標だそうです。

 

先日、仕事と用事の合間を縫って、清荒神にお詣りしてきました。

去年のおみくじは大吉だったので、

あの怒涛の日々が大吉???と大クエスチョンマークがつきましたが

あの世に行ってても全くおかしくなかった母が復活したので

大吉であっているのかもしれません。

そして、今年もおみくじは大吉でした。





年末からずっと忙しいのですが、

この忙しさを問題なく続けられることが

大吉ということなのかもしれません。

今週来週はさらにまたまた忙しく、母だけではなく

ブログも引き続き放置プレイが続きそうです。💦

 

でも、忙しい日々を過ごせるということは幸せなことですから、

感謝を忘れずにやりたいですね。

今日は母の血液内科の診察日だったのですが

「タチの悪いコロナが流行っているから気を付けて。」

とのことでした。

みなさんも、お気をつけくださいませ。

(ただ、私の感覚的にはインフルのが流行っております。)


本年もどうぞよろしくお願いいたします

2024年01月07日 17時10分27秒 | たわごと

遅くなりましたが。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

元日早々、大地震が発生し、

おめでたい気分ではなくなってしまいました。

一年の計は元旦にあり、というぐらいですから、

今年は災害に注意しなければならないのでしょう。

北陸の温泉街は被害が少ないところでもキャンセルが相次いでいるらしく、

余震が落ち着いたころに北陸に旅行すれば

被災者支援になるかなと考えています。

 

さて、今年は辰年。

辰にてへんをつけると「振」、

あめがんむりをつけると「震」になるので

地震が多くなる年だとかいう説もありますが、

干支は旧暦でいくので、まだ卯年です。

本当の辰年になる節分までに

被災地の状況がある程度落ち着くことを願っています。

 

今年の抱負としては、

忙しいからといってイライラしない、です。

性格的にイライラしないのは難しいのですけれども(笑)

イライラしたところで効率はあがりませんので、

心穏やかに過ごせるよう心掛けたいです。

 

今年はコロナ渦以来4年ぶりぐらい家族がみんな集まって

にぎやかな年末年始となりました。

母も無事に新年を迎えられました。

今年のおせちです。



かまぼこを弟に切らせたら一番うまかった。(爆)
私が切ると等間隔の平行に切れないんですよね。
これからは弟の仕事に決定。(笑)

どうぞ良いお年を

2023年12月28日 23時43分48秒 | たわごと

今年の年末年始は数年ぶりに賑やかになりそうです。

そういうご家族は多いでしょうね。

もう随分前のような気がしていますが

コロナが5類になったのも今年の5月で、

まだ半年ほどしか経ってないのですよね。

我が家では私と母は無事で、

姉は正式?に罹患、弟は疑惑の陰性でした。

姉の場合は、母のあれこれがあってずっと休んでなかったので

疲れがたまったのだろうな・・・って時の罹患でした。

姉は現在、仕事の関係で週末のみ帰省する生活をしております。

姉のコロナ感染がわかる前日、私が駅まで迎えに行ったとき、

「電車の中で風邪をひいたかも。」

とか言ってたんですね。

それでも、一緒にご飯を食べて、母などは一緒にお風呂まで入った!!!

翌日、高熱が出たので家にあった検査キットで調べたらなんとくっきり陽性。

速攻お引き取りいただきましたが、

幸いにも私にも母にもうつりませんでした。

勤務先が病院なので、

厳しいPCR検査で陰性にならない限り出勤できないらしく、

姉の年齢だとだいたい陰性になるのに2週間ぐらいかかるのだそうです。

が、祖父の血を引いている姉は1回目の検査でクリアして

勤務先の人に「この年齢でこんなに回復早いとは。」と、褒められたそうです。

 

弟の場合も仕事が忙しくて休みがなかったときに

出張先で罹患したっぽいのですが、インフルもコロナも陰性。

ところが味覚障害に嗅覚障害とどう考えてもコロナっぽく、

いまだ嗅覚は治りきってないそうです。

我が家で公式25%、推測50%の罹患率なので

世間的にもそれぐらいになっているのでしょうかね。

 

ちなみにワクチン接種は母だけ4回、あとは3回で打ち止めにしました。

私はもう鬱陶しいから基本的にはマスクもしていないのですが、

冬は乾燥すると風邪をひきやすくなるので

人ごみに行くときだけはマスクしておくつもりです。

後、免疫力を落とさないように疲れをためないこと

それと手洗いをしっかりすることも必要ですね。

 

ところで、今年の初めに全般的な星の動きで社会情勢を簡単に予測しましたが

「2023年あけましておめでとうございます」の記事

我ながら、当たりすぎていて、報道にうんざりしている昨今です。

最近のいろんな企業や政治の不祥事を見るたびに思うのが

水瓶座は公平・平等の星で、成果主義・個人主義であり、

権威やお金に守ってもらえる時代は終わりつつあるということです。

といって、実力のある人しか生きていけないという意味ではなく、

実力ないのに権威をかさにきていばっている人が淘汰される。

あるいは。

自分の実力で築き上げた地位であったとしても、

その地位があれば何をしてもいいと勘違いしている人も淘汰されます。

政治家なんて、その最たるものですね。

いわゆる、カネコネは今後どんどん通用しなくなります・・・が

日本は昔からカネコネ文化なので(爆)

しばらくは世界の流れから置いていかれるかもしれません。

また、古い意味のないものは消えていきますが、

芸術や伝統がなくなるという意味ではありません。

血筋がものをいう伝統文化とかも、時代にあわせて変わっていくのでしょうね。

なくなるわけではなく、生き残るための変化が必要になるのです。

 

うさぎ年の今年は人生初っていうぐらい、本当に怒涛の日々でした。

来年は辰年。

亡くなった父の干支でもあります。

十二支のうちで唯一架空の動物なので、

少し現実感に乏しい、現実的な成果が見えづらい年になるのかもしれないです。

 

さて、私は明日が仕事納めです。

仕事が大量にあるので、果たして納めきれるのか。

なんとかフルパワーで仕事をこなして、

30日からのお休みを満喫したいと思います。

 

今年1年、お世話になりました。

どうぞよいお年をお迎えくださいませ。


この半年間の話Part8(番外編)

2023年12月18日 23時47分33秒 | たわごと

今回の母の件で改めて感じたのは、

母の人望の厚さでした。

娘からいうのもなんですが、相当なはねっかえり&ぶっとんだ母なので、

友人は多いものの、友人たちは母のことをどう思って

付き合ってるんだろうと常日頃から謎だったのです。

母の具合が悪くなって以降、

家や母や私の携帯に、

「死なれたら困る。頼りにしてるんやから。元気になって。」

という系統の電話がバンバン掛かってきたんですよ。

姉や私の友達たちも随分心配してくれましたし。

そういう方々の気持ちも、母の回復の力になったのかも。

 

それと、もう一つ忘れていけないのは母の血統。

母の実父はシベリア抑留の生き残りで、享年106で亡くなりましたが、

亡くなる数か月前にも危篤に陥ってました。

過去ブログ「事件勃発」参照。

看取りのためと入院計画書に書かれて、

生きて正面出口から出た人はなかなかいないでしょう。

この時に書いていない裏話がありまして、

母はこの時、友人たちと一緒に秋田の七曲りの花火大会を見に行ってました。

秋田についた瞬間、叔父(母の弟)から

「じいさんが危篤や。」

と携帯に電話が掛かってきたのです。

母は即答で

「帰らへんで。」←きっぱり

ずっと見たくてやっと来たのになんで帰らなあかんねん。

だったらしく、帰る気ゼロ。←おいおい

友人たちはみんな「帰らなくていいの?」と気遣ったそうですが。(笑)

こういうはねっかえり母なんですよね。

祖父も母がいないから死んでる場合じゃないと、

と思ったのかどうかわかりませんが、この時は無事に復活しました。

そんなこともあり。

母は祖父を知っている人に

「やっぱりおじいさんの娘やから強いんやね。」

と感心されたらしい。

生命力は半端ではない血筋なのは間違いないですね。

 

あと、もう一つ。

私は今回の事件で、私の主治医の能力を改めてありがたく思いました。

主治医なら専門外であっても、

判断を誤まるようなことはまずないもんなあ。

主治医にあたったのは偶然でしかないので、

医者のめぐり合わせは運だとも思います。

今のご時世なので主治医も70歳ぐらいまでは今の病院に勤務してくださると思ってますが、

引退されたら、私も大病院は引退しようと思っております。

私は母と違って子供いませんから、

65歳以降は病院とは距離を取って過ごそうと考えております。

そうすればピンピンコロリできるはずだ!!と思ってるのですが、

甘い・・・?(笑)

 


この半年間の話Part7

2023年12月18日 00時41分00秒 | たわごと

そんなわけで。

セカンドオピニオンの病院から元の病院に戻ってきました。

その2日後に医者同士の勉強会で

「私が診ます。」とおっしゃったというDr.のところへ。

たらいまわしが一周戻ってきたらば、

次のDr.の診察室が前肝臓内科Dr.の診察室の隣だった

というオチつきでした。

 

診察室に入って、姉がここまでの経緯を説明したところ

「それは大変でしたね。」

とおっしゃっていただけました。

はい、ほんとに大変でした、この1か月。

腹水に対しては入院適応の利尿剤があり、

効くかどうかは人によりますが、それをやりましょう。

ということで、再入院が決定しました。

「サムスカ」という利尿剤です。

8月退院時に処方された利尿剤はフロセミド20mg。

セカンドオピニオンで行った病院でこれに追加して

アゾセミド30mg、スピロノラクトン25mg。

そして、入院でサムスカ7.5mgが追加。

入院時に54kgぐらいあったのが、毎日体重が順調に減っていき、

入院して4日目ぐらいに大量に尿が出てお腹がぐんと小さくなって、

無事7kgぐらい体重が減って、1週間ほどで退院できました。

腹水が溜まりまくっていたせいでまともに歩けなかったのが

腹水が減ったら歩きやすくなったそうで、

退院時は車いすにも乗らずにゆっくりですが歩いて退院できました。

 

退院の2日後には一族恒例の墓参りがあり、

それにも、よたよたしつつ参加できました。

「墓に入りそびれましたって挨拶しとき。」

というブラックジョークを飛ばしたのは私です。

 

退院後は4種類の利尿剤が継続でしたが、

少しずつ減って、今はサムスカ7.5mgとスピロノラクトン25mgだけです。

利尿剤を使っているとカリウムが下がるので、

処方されていたアスパラカリウムも半分に減りました。

1.8ぐらいまで下がっていたアルブミンも3台にまで復活。

中途半端にやった1コースだけの抗がん剤のおかげで

IgGも3000台継続で、白血球も3000ぐらいにまで復活しました。

結局、最初の肝臓内科のDr.の言っていた

「肝臓に変化はないので血液内科の副作用。」

というのは当たっていたということです。

(ヤツは性格には難があるが、腕には問題ないというのが定説)

肝臓内科と血液内科、どちらにも腹立たしい思いがありますが、

末期で看取りといった血液内科のほうがより罪が重くないか??

というか、同僚なら、ヤツが仕事せんっていうぐらいわかってるはずだ。

(患者だって知ってる。)

腹水が減って元気になったのはよかったけれど、

元気になったらなったで、また腹が立ってくるという。

姉は同じ医療者として、どう考えても今回の事件は許しがたいと言って、

結局、二人で相談窓口の看護師長さんに今回の経緯を訴えました。

平たくいうと、クレームってやつですね。

「そんなことがあったとは俄かには信じがたいです。

でも、両方の先生に確認したうえで、院長にも報告します。」

と言っていただき、後日、院長より

「私から責任をもって指導します。」

という返事はいただきました。

。。。ほんまやろな。。。

 

私自身は二度と血液内科のDr.の顔は見たくなかったのですが、

母がそのままで言いというし、

亡くなった友達に免じて許すしかないか・・・と思うことにしました。

(それでも、今も時折腹がたってくる。)

 

血液内科のDr.は患者に神のように崇められているので、

患者からクレームきたのなんて初めてかもしれません。

大病院の看板を背負っていると、いつの間にか過信が生まれたのかも。

バックの力を自分の力だと思ってはいけない・・・というのは

他山の石として、自分自身にも戒めたいです。

 

5月末から、忙しいはずの弟も折を見て帰省してくれて、

10月には介護ブザーを取り付けてくれました。

その日以降、数か月ぶりに自分の部屋に戻って眠ることができました。

我が家はきょうだい3人の仲がいいので、

乗り切れたのだろうとは思います。

3人寄れば文殊の知恵といいますしね。

(&ほぼ4人目として僧侶の友達が暗躍、違、めっちゃ助けてくれました。)

 

今回をもって、この半年間のお話は終了です。

なんとか、年内に終わりました。

現在の母は家事もだいぶこなせるようになり、

買い物は私と一緒に行っていて、

老人会の活動も再開させました。

今、仕事がめちゃくちゃ忙しいので、

母が復活してくれて助かっています。

明日から年末までやるべきことを片付けていきましょう~。

(ただし、現在は水星が逆行しているので、なかなか物事がうまく進みません。💦)


この半年間の話Part6

2023年12月17日 01時32分02秒 | たわごと

ふと気づけば今日も日付変更線を超えてる!!

今日も短めに続きをば・・・。

 

*****************************

セカンドオピニオンに行く病院の外来日まで母のお腹が持つかどうかわからなかったので、

致し方なく、元の病院の肝臓内科を受診しました。

この時の受診は姉はさすがにそこまで頻繁に休めないので

叔母が心配して付き添ってくれました。

(外来師長さんがどう話をつけてくれたのかわからないけれども、

 その日は普通?に診てはくれました。)

「相当腹水が溜まってますね。今日、抜きますか?」

私が調べたところによると、腹水を抜くとアルブミンも一緒に抜けてしまうので

一概に抜くのがいいとは言えないらしい。

そこで、最近は腹水を循環させて戻す方法というのもあるのだそう。

「腹水濾過濃縮再常静注法」

透析の施設があるところではできるようで、

入院適応であるということと、どこの病院でもやっているわけではないらしい。

その日に抜くのであれば腹水穿刺?で抜くようで、

腹水濾過濃縮再静注法で抜くのであれば他院紹介になるとのこと。

「将来的にはそこの病院で抜くことを考えたほうがいいですよ。」

とは言われたものの、

その日は転院前の急場しのぎだったので、腹水は抜かず、

アルブミンの点滴と利尿剤の点滴をしてもらいました。

利尿剤の点滴をしてもらうと随分楽になるようで、

とりあえずこれで2,3日は凌げるかな・・・とホッとし、

翌週の肝臓内科の受診日を迎えることとなりました。

 

ところで。

セカンドオピニオンは自費なので22000円掛かりました。

致し方ないとはいえ、母が具合が悪くなって以降、

病院の説明だの入退院だので私も何度も会社を休んでますし

姉も何度も休んでいます。

次の肝臓内科も二人してまた仕事を休み、母を連れて向かいました。

受付で紹介状を渡し、「ようやく転院できる。」と多少の希望を持ちつつ

3人で診察室に入ったらば、

耳を疑うような言葉を聞かされることになりました。

(これって、何度目?)

 

この日は月曜日で、この病院の予約を取ったのは木曜日でした。

その木曜日の夜に、元の病院で肝臓の勉強会があったそうです。

そこで、新病院のDr.が元の病院の副院長と肝臓のDr.(母の主治医とは別の人)に

「こういう話がありまして・・・」

と話をしたらしい。

なぜ、受診前に知っているのかということになりますが、

これはおそらく、血液内科のDr.が肝臓内科に

「〇〇病院から、かくかくしかじかで、こういう患者さんが来ますよ。」

と前もって伝えていたと思われます。

で、その内容を聞いた副院長が言ったそうです。

「それはこちらで診るべき患者さんですから、戻してください。」

まあ、そりゃ、普通に考えたらそうですよ。

抗がん剤の副作用で腹水の溜まった患者を

他の病院に押し付けるほうがおかしい。

副院長がそういうのはごもっとも。

でも、貴方(副院長)の病院の医師お二人は

そろって診療拒否して、紹介状までお書きになったんですけどね。

 

だもので。

「〇〇病院(元の病院)に戻っていただけますか?」

と言われたわけですよ。

・・・・・・・・。

一瞬絶句。

というか、この1か月で何回絶句したやら。

「帰れとか、あっちでもこっちでも診ません診ませんとかって

振り回されるほうの身にもなってください。」

と私、ブチ切れ。

そもそも、医者同士の間で話がついているんだったら、

前もって電話してきたらどうなのよ。

こっちは二人して何度も仕事休んで、具合の悪い母を連れてきてるんですよ。

医者は高給だから、下々が会社を休む大変さなど

わからないのかもしれないけれども💢💢💢

私はブチ切れた結果、勢い余って、看護師さんに向かって

「今日の給料払ってくれるんですか!?」

と詰め寄ってしまいましたが、横にいた姉に

「看護師さんは悪くないから。」

と窘められました。

・・・はい、その通りですね。

いや、しかし、それにしても、ひどいやろ。

たらいまわしという言葉はあるけれど、

たらいまわしで元に戻るなんてことある???

 

ただ、ここで私がぶちきれたおかげ?で先生が本音を口走りました。

「今日何もしないと言っているわけではありません。

現在出されている利尿剤は腹水の治療にしては少なすぎるんです。

ですから、今日、利尿剤を追加でお出ししますので。」

・・・つまりは、やっぱり元の病院の肝臓内科も血液内科も

ろくに腹水の治療してなかったってことじゃないですか。

・・・・・・・。

(2回目)

呆れ果てて、そして疲れ果てて何も言えません。

(と書いてはいるが、しっかり文句は言っている私。)

結局、そこで再度元の肝臓内科の病院の予約を取り直しになり、

2日後に受診することとなりました。

 

母が腹水を溜めて退院してからここまで、

1か月ちょっとが経過していました。

長かった。

 

続く・・・。


この半年間の話Part5

2023年12月15日 23時28分34秒 | たわごと

毎日忙しすぎて、どうにか年内に完成させようと思ってますが

自分の自由になる時間が夜11時以降という状態・・・。

なんでこんなに忙しいねーん。

・・・気を取り直してと。

*********************

3人の医者に拒否された後、姉と相談しました。

そもそも、本当に母は末期でもうすぐ死ぬのか?

本当に末期であれば、バタバタせずに日々を過ごさせてあげたほうがいい。

しかし。

仕事で患者さんをたくさん看取ってきた姉曰く、

どうみてもすぐ死にそうな人には見えない、と。

そして、私と姉の霊感(爆)も、まだ寿命はありそうな気がする、と一致。

なら、どうすればいいのか。

看護師に相談して、主治医を変えてもらえばいいのか。

うーん・・・。

ここで、僧侶の友人が

「セカンドオピニオンや。患者の権利や。」

 

肝臓内科が元凶なのだから、肝臓内科でセカンドオピニオン?

と最初は思いましたが、いや、血液内科のほうじゃないのか???

と思い直していたら、姉も意見一致。

そこで、まず血液内科の外来にセカンドオピニオンの相談に行きました。

これが退院して3週間後ぐらい。

セカンドオピニオンは拒否できないので、看護師さんが

「先生に書いていただきます。」

ということで帰ったのですが、翌日の仕事中に電話があり、

「承諾書にサインが必要なので、もう一度来てください。」と。

仕事中で行けないので、その次の日に行くことになりました。

承諾書の内容は

「セカンドオピニオンの後は必ず元の病院に戻ります。」

という内容です。

この承諾書ってどうなのよ、とは思いますが、

病院同士の患者の取り合いでもめないように作ってあるのでしょうね。

特に個人病院から公的病院だと、個人病院が患者を取ったとうるさいんでしょうね。

小さな病院から大病院にセカンドオピニオンに行くものでしょうけれども、

私たちの場合は大病院から少し小さな方にいったので、

あまり当てはまらない気はしましたが。

 

セカンドオピニオンのお願いに行ったのが火曜日、

承諾書にサインをしたのが木曜日で、

予約が取れたのは翌週水曜日でした。

1週間待ち。

その間、母の腹水はどんどん溜まる・・・。

 

セカンドオピニオンには姉と一緒に行ったのですが、

受診前に姉が言いました。

他の病院で揉めた患者を医者は嫌がる傾向があるので、

肝臓内科も血液内科も本当にひどいけれども、

ここはあまり悪口を言わないほうが得策。

血液内科のセカンドオピニオンなのだから、

肝臓内科の先生が協力してくれなくて血液内科の先生も困っている。

こちらで受けてくれると血液内科の先生も助かります。

みたいに言ったほうがいいのではないか?

という話になりました。

 

1週間後のセカンドオピニオンで上記のような話を姉がしたらば、

案の定、医者同士は知り合いだったので、

悪口言わなくて正解だったーーー。

医者の世界は狭い狭い。

血液内科の先生は

「血液の治療に関しては病院を変わっても同じですが、

そういう事情があるのなら肝臓内科の紹介状ももらえるのであれば、

こちらでどちらも見ますよ。

でも、そういう偏屈な先生が紹介状書いてくれますかね?」

と心配されました。

 

そこで、血液内科の先生は紹介状の返事に

「肝臓内科の紹介状があれば、血液内科もこちらで引き受けます。」

と書いてくださったのです。

その紹介状の返事をもって、そのまま元の病院に引き返し。

両方ともに紹介状を書いてもらえることになりました。

順番的には急ぐのは肝臓なので、まずは肝臓内科の紹介状。

血液内科の紹介状も書いてくれましたが、

万一、肝臓内科で断られると行く病院がなくなると困るから

血液内科の予約は残しておいたほうがいいよ、

と外来師長さんにいわれたので、その通りにしました。

しかし、そこから病院を通して予約を取ると、また時間がかかります。

予約が取れたのはさらに翌週の火曜日。

最初にセカンドオピニオンの相談に行ってからは2週間後です。

なんで、こんなに時間がかかるねん。

 

母の腹水は溜まる一方。

利尿剤の点滴は肝臓内科からも血液内科からも拒否られているので

どうしようもありません。

もう見るのも可哀想なぐらい、全身パンパンに膨らんでいます。

どうしたものか。。。

外来師長さんに直接相談し、次の病院までの間に合わせで

一度肝臓内科を受診することにしました。

(時間切れ、続きはまた明日。)

まだ一山二山あります。


この半年間の話Part4

2023年12月15日 00時05分45秒 | たわごと

続きです。

今日は時間がないので短めに・・・の予定。

 

肝臓内科の主治医に、抗がん剤の副作用だから血液内科に行け、と言われ

予約を早めてもらって血液内科を受診しました。

(肝臓内科で緊急対処的に利尿剤の点滴をしてもらった5日後)

血液内科のDr.は本当にお優しくて、

悪性リンパ腫で亡くなった私の友達は

「〇〇先生は神様やから。」と言ってましたし、

実際、患者さんからは神様仏様のように崇められているDr.です。

 

まあ、普通に考えたら、今度こそ普通に対応していただけると思うじゃないですか。

クリニックでは総合病院に行け、と言われ

肝臓内科では、肝臓の仕事ではないから血液内科に行け、と言われ

ここまでですでに相当なたらいまわし状態です。

それで、今回の経緯を話したらですね、

耳を疑うような言葉が返ってきました。

「あなたは(母のこと)はすべての医者が手放したいような病状だということなんですよ。」

・・・・今、なんと言いました???

仮に事実だとしても、そんなこと患者に言う???

呆然としていたら、

「あとは看取りだけですから、〇〇内科(最初に肺炎と診断されたクリニック)にでも行ってください。」

と、さらに呆然とする言葉が続きました。

母は血液内科の主治医の言葉をどう受け止めたかどうだか

「先生、あと1回だけ診てください。」

とか答えていました。

「あと1回だけ来るんですね?」

と返すDr.。

私はもう呆然として言葉が出ませんでしたが、

腹水の対応に困っているので、

「この間の肝臓内科で利尿剤の点滴をしてもらったら随分楽になったので、

今日も利尿剤をしていただけませんか?」

とだけ頼んだところ、

「利尿剤の点滴をしたらカリウムが下がるし、点滴で何かが起こったら

誰が責任を取るんだって話になるんですよ。

本当は〇〇内科(前述のクリニック)で利尿剤をやってもらうのがいいんですけど。」

・・・いやいや。

何の経緯もわからないクリニックで利尿剤をさせるって、

それこそ誰が責任取るねんって話じゃないのか???

Dr.はかなり渋っていましたが、ほぼ患者側の責任でやってもらうみたいな条件で

利尿剤の点滴はなんとかやってもらえました。

利尿剤の点滴をしたら、母の具合は確実に良くなります。

 

この日の経緯を姉に伝えたら

「責任はとるのはお前じゃと言うたれ。」

と言ってました。

だよね、同業者から見てもそうだよね。

私はこの1週間ほどで具合の悪い母を連れた状態で、

連続して診療拒否にあい、激しいストレスを感じた結果・・・

突発性難聴を発症してしまいました。

 

一体、誰が母を診てくれるのだか。

僧侶の友達が母を心配して、何度も我が家に来てくれて

「腹水さえ抜けば絶対元気になる。」

と何度も励ましてはくれましたが、

私はもう疲労困憊で何も考えられないようになっていました。


この半年間の話Part3

2023年12月13日 23時57分13秒 | たわごと

腹水で妊婦になった母が40日ぶりに退院してきました。

退院時に糖尿病でかかっていたことのあったクリニックに

血液内科の主治医が紹介状を書いてくださいました。

「これから〇〇先生(クリニックの先生の名前)の役割が大きくなると思うから。」

とのことで、年齢的にも看取りを見据えて、

クリニックと連携してやっていきたいという意図であったと思われます。

ちょうどお盆の時期だったので、私もお盆休みだったのは幸いでした。

母は入院中に塩分ほぼ0の食事をさせられていたので、

塩分制限食を作る必要があったのですけれども。

塩抜き(醤油もソースもマヨネーズもケチャップも塩分が入ってます。)で

どうやって料理するねんってお話ですよ。

基本的には出汁を効かせて、酢、レモン、七味等で味付けをするわけですが、

これがまあ、本当に大変。

さすがに塩分0では料理が難しいので、減塩の出汁醤油(結構高い)を買ってきて

これとダシを濃くとって料理を作ってました。

膵炎食の脂質制限なんて、

塩分制限食を作ることに比べたら楽なものです、はい。

普通に食べられるものを作れますからね・・・。

 

そうやって塩分制限食を頑張って作っていたのですが、

腹水は減るどころか少しずつ増えていきます。

おなかどころか手足のむくみもひどくて、

「ゾウ足」という言葉がありますが、まさに本物の象のような足になっていて

足の指がここまで腫れ上がれるのか???と驚くほど。

 

入院中は利尿剤の点滴をしていたのに、

退院後は内服薬(フロセミド10mg)だけだったので

水分の排出が間に合わずにどんどん溜まっていった模様。

 

外来の予約は3週間後ぐらいだったため、

血液内科の主治医が紹介状を書いてくれていたクリニックを受診することにしました。

「利尿剤ぐらいなら、クリニックでも出してくれるよね。」

というのが、姉と私の共通認識でした。

 

クリニックなのに予約が必要なのですが、運よく予約の空きがあり

電話の翌日に予約が取れました。

それが、退院約1週間後でした。

母は2か月近くの入院でまともに歩けないので、病院の入り口からは車椅子。

長い待ち時間を座っていることができなかったので、

処置室のベッドに寝かせてもらって2時間ほど待ちました。

で、ようやく順番が来て、紹介状を渡して、経緯を話したのです。

そしたらば。

「私が〇〇病院(入院していた病院)の処方をどうこうすることはできません。

 お薬を出してもらいたいんだったら、〇〇病院に行ってください。」

・・・・・はぁ???ですよ。

何のためにその紹介状があるねんって話。

でも、ガンとして何もしないと言い張るので、

致し方なくそのクリニックを後にしました。

さて、どうしよう。

どう考えてもこの母の状態は放っておけない。

まだ午前中で時間的に入院していた病院の受付時間に間にあったので

急遽予約外でしたが、そちらに行くことにしました。

 

と、ここで、少し前置きがあります。

母は血液内科で入院中に肝臓内科の診察日がありました。

普通、入院中に外来日があると病室まで来てくれるか

外来に呼ばれるものですが、このDr.は何もしてくれませんでした。

(仕事をしないことで有名なDr.)

血液内科のDr.が電話で相談はしてはいたようですが、

おそらく協力的ではなかったとは思われます。

そんなわけで入院時も退院時も肝臓の薬のオーダーをしたのは

血液内科のDr.でした。

(すでにここでだいぶおかしな話になっています。)

 

さて、クリニックに断られて総合病院のほうに急遽移動することにしましたが、

その日に外来があったのは血液内科ではなく、肝臓内科のDr.でした。

でも、腹水というのはそもそも肝臓の範疇だし、

肝硬変からの腹水といわれているのだから、肝臓のDr.が診るべきだと思われます。

車いすの母をまた車に乗せて、病院に行って、またそこの車いすを取ってきて

・・・・とそれだけでも私も大変、母も大変。

で、肝臓内科の診察を受けたのですが、

信じられない言葉がDr.の口から出てきました。

「肝臓の数値に変化はないので、腹水は抗がん剤の副作用です。

私がやることはないので、血液内科を受診してください。」

はぁぁぁぁ????

あまりのことに絶句しました。

今ここに苦しんでいる人がいるのに、しかも自分の患者なのに、

自分の仕事ではないから、別の日にまた来いというのです。

朝から2回連続の「私は知りません」で私もブチ切れ。

(怒りではなく、絶望です。)

「なんで、誰も見てくれないんですか!?」

って泣き叫んでしまいました。

でも、その医者はそれでも血液内科の予約取っておきます、としか言わず

診察室を追い出されました。

その後、看護師さんが申し訳ない顔をしながら

「一番早くて(血液内科の予約は)来週火曜日です。」

と伝えに来ました。

その日は木曜日。5日後です。

この状態で5日間待てと?

「誰でもいいので血液内科の先生、診ていただけませんか?」

と聞いてみたら、

「ちょっと待ってくださいね。」

と一度姿を消されました。

はぁー、5日間か。

そこまで待って大丈夫だろうか。

そしたら、看護師さんがまた出てきて

「今から診ます。」

私「血液内科ですか?」

看「いえ、〇〇先生(肝臓の主治医)が。」

え??あの仕事しないオッサンと戦って勝ったのか。

すごいわ、この看護師さん。

(ちなみに私も入院中にはお世話になったベテラン看護師さん)

 

で、結局、その肝臓内科のDr.が診てくれることになったのですが

(最初から診ろよ)

「本来は私の仕事じゃないんですが(まだ言うか)、

 今日は代理で見ます。(いや、だからお前の仕事)」

 

触診で「腹水がだいぶ溜まってますね。」と言って

利尿剤の点滴をすることになりました。

その利尿剤の点滴のおかげで、母はその日、ずいぶんと楽になったようです。

 

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あかん、まだまだこれは続く。

さて、全何回になることやら。

 

ところで、こういう風に書いてくると、

私や姉が母に無理やり延命を強いているように見えるかもしれません。

が、我が家は基本的に延命治療は一切望んでおらず、

気管切開だの、胃ろうだのは本人も家族もする気はありません。

なので、多発性骨髄腫や肝硬変で死ぬのは仕方ないと思っています。

ただ、今回は腹水さえ治療できれば、なんとかなりそうな気がしたので

やれる治療があるのであれば、してほしかった、それだけでした。

 

というわけで、まだまだ続く。(笑)