今日は雨が降っていたので
母親のお供(運転手)でスーパーに行きました。
入り口のところで母親と同世代の女性に
「こんにちは。」
と声を掛けられ。。。
あれ、誰だっけな・・・?
しばらくして話の流れで思い出しました。
今から2年9ヶ月前。
私が重症急性膵炎で3ヶ月入院していた時のことです。
年末年始を挟んで入院していたため、殆どの人は年末で退院してしまい
年始にはがらりとメンバーが代わっていました。
内科病棟といえば、
私でもギャル(死語)と言えそうなぐらい平均年齢が高いです。
そのため、少し若い人が入ると嫌でも目に付くのですが
年明けに掃き溜めに鶴?と形容したくなるような、
髪が長く、色白で華奢な可愛い女の子が一人入院してきました。
私より少し年下かな?という雰囲気。
当初は別部屋だったものの、
年始のどたばたで同室に。
話してみたら、年齢は私より一つ上。
同じ校区(小学校、中学校が一緒)で、家も近所。
父親同士が同級生でした。
内科病棟で年の近い人と一緒になることは少ないので
すぐ仲良くなったのものの
とにかくとても具合が悪くて、話を出来るような状態でないことが殆ど。
吐き気がひどいということで当初は消化器の病気を疑われて入院となり、
小姓が担当医でついていました。
何を食べても吐いてしまい、水分すらまともに取れません。
病院食はただでさえまずいので
お母様が少しでも食べられるものをと毎日何かを持参されていました。
ところが消化器系統は何を調べても異常なし。
採血では血中カルシウムのみ異常高値。
カルシウムが高いのは卵巣の腫瘍が疑われるということで
産婦人科も受診したけれど異常なし。
消化器ではないとの判断で内分泌のDrに廻されたけど、これまた異常なし。
結局、私のいた病院では病名がわからず
内分泌科のDrの勧めで大学病院に転院になりました。
大学病院を受診したら、内科ではなく産婦人科の病気だった。
・・・とここで彼女の消息は途絶えてました。
当時の私が見ても本当に大丈夫???というぐらい具合が悪かったため
その後どうなったのか心配していたのですが
去年の春頃、母がスーパーでお母様とばったり再会。
大学病院で卵巣ガンが見つかったけれど
手術して元気になり、今は仕事の復帰も果たしたとのことでした。
去年の春といえば、私はインフルエンザ騒ぎの中で
相変わらず良くならない体調に気分が落ち込んでいた頃。
その後の消息を聞いて、
ええっ?
元気になったの?
負けちゃったね。
私も頑張らなくちゃ!
と思っていたのです。
ところが。
今日、再会したお母様から出た言葉は
「うちの子、亡くなったんです。。。」
でした。。。
手術後、先生から120%頑張りましたねと褒められ
その後の経緯もとても良かったので
診察を三ヶ月間隔にしましょうといったところだったのに
その三ヶ月の間に再発し、去年の11月に亡くなったと。
「今でもまだ嘘みたいで、受け止め切れていないんです。」
一度はとても元気になったのに
そこからの再発、急死。
ご両親としては余計にやりきれない思いだったことでしょう。
私もかける言葉が思いつきませんでした。
とても切ないです。。。
膵炎が痛い、苦しいといっても
ちゃんと付き合っていける病気です。
愚痴は言わずに前向きに生きていかなくてはいけませんね。
生きたくても生きられない人もいるのですから。。。