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高齢者は脳が萎縮→早めに投薬を

2018年06月27日 | 病気
1.脳は委縮する

私は52歳くらいから、サーキットのタイムが落ち始めました。毎年ショートコースで0.5秒、ロング1秒ほど。やめた原因の一つです。加齢で反射神経が落ちると云われています。

脳は30歳から老化し、40~60歳で萎縮が目立ってきます。脳神経科医であれば誰でも知っている事でしょう。
医学的なリンク先: http://zutsu-raku.com/nou-isyuku-zutsu-759.html



海馬が大脳へ記憶を植え込みますが時間が掛かります(数年~数十年)。昔、ロボトミー手術で海馬を壊された方の記憶は5分間しかなかったそうです。認知症の方が昔のことだけは覚えているのは、既に大脳に書かれたことであるから。しかし、大脳も萎縮が進めば忘れてしまいます。



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2.昔の高齢者は、めったに切れませんでした

祖父が憲兵隊の少佐で父は満州生まれ。大正生まれの職業軍人でした。終戦時は軍用列車で帰国できました。しかし、大勢の仲間が帰れませんでした。

民間人の女性はソ連にさらわれ輪姦され殺害、これを見た男達も殺されました。中国までたどり着いても同様で子供も殺されました。正月にオヤジの戦友が自宅に集まっては、最後には泣いていたのを思い出します。

最期の病床でも、「俺は十分長生きした」「みんなに(死んでいった方)笑われちゃうよ」と笑って取り乱しませんでした。脳(大脳)の方々に記憶されているので、萎縮しても全ては消えなかったのでしょう。

「みっともない」という思いでしょう。内地で空襲や飢餓から生き残った方も同じです。死を日常的に見ていますから。まあ、一昔前は寿命が短かったのでボケる前に亡くなったりも致しますしね。

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3.最近の熟年~高齢者はキレます

しかし、"団塊の世代"辺りから変わったように思います。高度成長で苦労してないもんね。50歳代までは就職も楽で大切にもされました。昔に較べて様々な"有難み"の記憶が弱いように思うのです。



恥じらいの無い、最近の50歳以上はキレます。アルツハイマー型認知症の初期症状は、"忘れる""怒る"

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4.それでも最後は認知症
「みっともない」の思いがあっても、その記憶が脳の萎縮で消えれば同じです。身近では亡母でした。
「怒りっぽく」「忘れっぽく」「メモだらけ」になり、「優しい言葉を掛けてくれる身近な人だけを信じ」ました。

このような書類も書かされました。印鑑証明付きです。親しくしている爺さんの差し金でしょう。

一人息子も信用できなくなってしまいました。勿論、正常であれば書かせないような文面です。ケアマネに通院(診断書入手目的)の後押しを依頼しましたが本人が嫌がって駄目でした。

そのうちに「お金を取られた」と言い始め「徘徊」します。母は夜中に徘徊して2度、警察のお世話になってしまいました。結局、母が信頼した爺さんは、認知症が進んだ母の面倒は放棄しました。水道も出しっぱなしです。漸く病院の診断も得てグループホームへ移ることになりました。

貯蓄は母名義の「先物買い」で減っていました。本人に経験はありません。実際には爺さんが全て指示したのでしょう。病状が重くなってから家裁に申請して私が後見人になりましたが、「貯蓄を切り崩した時期も認知症だった」証明ができずに訴えられませんでした。

自分も、このようになる可能性があるのです。

認知症は悪化し、グループホーム内でも暴力事件を起こしました(相手は脳挫傷の重症です)。この頃は、私の顔も名前も判別できましたが、「今日は学校へ行かないの?」が精一杯でした。大脳の記憶ですね。そして精神病院に移ってからも悪化の一途で「1,2,3,4,・・・」「この野郎、バカ野郎」しか話せなくなりました。

寿命が延びることは、必ずしも良いことばかりではありませんね。

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私、最近になって昔のアルバムを見ていると"撮影したシチュエーションが浮かんでこない"写真があります。「コレ、どこ?」みたいな。たぶん、減った脳ミソに書かれていた内容なのでしょう( ̄□ ̄;)!!

「怒りっぽくなったな」と自分で気がついたり、他人に云われたらマズイ状態です。今は、認知症を遅らせる薬もあります。早めに処方して貰いましょう。いやコレ、ほとんど自分のために書いています(苦笑)。
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