あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

<問い>いかに生きるべきか

2018-09-06 | from:sachiaki
ってのをずーーーーーーーーーーーーーーーっっと
多分、思い起こせば小学生の頃から。
そんなことを思い続けながら今日まで生きてきて、
紆余曲折しながら、「後悔しない人生を」の”後悔しない”に
楽しいこと、やりたいことはやり尽くす、が入っていたんだけど
一周回って、やはり道徳的に生きること
これが大事なんじゃないだろうか?
ってなってきているsachiakiです。


そんなことを書いているけれど、
やっぱり道から外れたいってのもあって
どこまでを外すのか?
そもそも自分にとっての道ってなんぞや?
なんてことを思ったりしているところ。

先日京都大学で教鞭を振るっていたという
鎌田東二先生という変わった方を教えてもらって
なるほど現代の南方熊楠みたいな人だと
興味を持っているところ。



人の道とはなんでしょね?



鎌田先生のプロフィールより、

「十五にして学に志し、
 三十にして立つ。四十にして惑わず、
 五十にして天命を知る」という孔子の言葉を人生の模範にしてきたが、
 四十にして大いに惑い、五十にして今なお天命を知らない。
 しかし、順調に老人力を身につけ、
 神道ソングライターとしてますます磨きをかけつつあるのが現状である。

なんてものを読み、彼が研究した中国から輸入した「道」という概念の粗などをたどると
道教の老子の教えの最初に「道の道とすべきは常の道にはあらず」と言ってるわけで

道には「天の道」と「人の道」がある。天の道とは、老子が説くところの、小賢(こざか)しい人知の及ばない無為自然の道であり、人の道とは、儒教などが説く、いわゆる“べからず集”の道だ。
一章でいう道は、この「人の道」をさす。つまり「人が道と名づけた道は、天の道ではない。だから永遠不変の道ではない」と、老子はいっているのだ。
道徳にしても常識にしても、しょせんは人がつくったものだ。そうした人為の自己規範に縛られて、自分自身で苦しんでいるのが人間なのだ。
ー日本道観より


らしく、これは私が最近とても気に入っているカントの思想にも近い。
結局道教がいうところの「我執を放かす」ってことなのかなぁ、って感じもする。

結局宗教に戻るの?
って言われると、そういうことじゃないんだけど…とお茶を濁してみたり。

あ、そろそろ頭になにかわいてきた感ありますねwww

私の頭の中なんて、しょせん
「超おもしろかっこいいぜ!」って言いたいだけなので
メロンパン補給してきます☆

それと、次回のアート探訪用の服どうしようかなーって感じ。
欲しい服はあるけれど、高くて買えねーーーーーーwww

そろそろpolcaりますか?
いやいや、まだまだ。
とりあえずもう少しネバーギブアップの精神で!

今日はこれから健康診断の再検査です。
大事でないことを祈ってますよ(ノ∀`)アチャー

ほんじゃまた!
コメント
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