あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

病んだりしょうがいを抱えたり

2021-03-06 | from:sachiaki
今日は友達が主催している"しょうがい"を持つ人と
そうでない人の垣根を超えたい、って感じのイベントに遊びに行く予定のsachiakiです。

今はパンダさんが病院に行っているので、奴の帰宅待ちをしています。

さて、"しょうがい"とはなんなんでしょうね。
しょうがいって奴はその環境に合わない人のことを指すんじゃないかな
なんてことを最近は考えるようになりました。
言い方があっているのか分からないけれど……。

なんていうか、発達”しょうがい”と呼ばれるような
アスペルガーってしょうがいは、
正確にはアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)と呼ばれるもので
自閉症という概念の中に取り込まれているものの一つなのだけど、
主にコミュニケーションへの偏りが集団生活をする生き物にとって
かなり生活を営むには困難なだけなのよね。
仮に自分が知っているコミュニケーションとは
別の形のコミュニケーションをとる集団に放り込まれたら
私だって相当不安になるし、
それが抑圧を伴って鬱に発展することもあると思う。

で、こういう話を書くとたぶん
「誰もがなにがしかのしょうがいを持っているし
 いま訴える声の強いものは自分に甘いだけなんだろ」
なんていう人も出てくるんだけどさ、
まぁ誰もがなんらかの障害を持っているのは正しいでしょう。たぶん。
だけどさ、あんた生活になんか支障あるんか?
って問い返したい。
なんの支障もないんだったらそれは良いこと。
よかったね、あんたのしょうがいはこの世界では障害たりえなかった。
そんだけ。

だから逆に一般的にしょうがいとされている人が
なにかしら乗り越えて社会生活を営むのに問題ないなら
それも良いこと。
だけど、あなたが乗り越えられた原因はなんだろう。
理解のある親や友達、上司などに恵まれてきたのではないだろうか。
様々な幸運の上に成り立つところに、
慢心せずにたゆまぬ努力をしたこともあるのかもしれない。
それはすごいことだけど、生存バイアスで生き延びたということを忘れてはいけない。
ほとんどそんなものは確率の問題だ。
もちろん、良い方向に変われるという努力を促したり、
その成功例の一つとして人々を勇気付けるのは良いことですけどね。

一個人の幸せと公の幸せというものの天秤は
いつも難しいことばかり聞いてくるものだけど、
とりあえず今苦しんでいる人に対して
「あんたは怠けている」とかそんなことを言える神経が
すでにビョーキなのかもしれない。

と、かなりキツイことばかり書いてしまった気がするけれど、
ともかくそれぞれの愁訴を持つ人たちの感覚などを
持ってない人たちが擬似的に体験できるっていうイベントを
友人が行っているのです。

例えばADHD・注意欠如多動症の人の脳の中はどんな感じなのか?
といったものを擬似体験するのに、
一つの文章をバラバラにした言葉が書かれたパズルピースを、
たくさんの別の言葉パズルピースたちの中に混ぜて
そこから拾い上げてもう一度元の文章にするといったものなど。

常に自分が持っている重さというものと向き合ったり
それを手放したりできる仲間を探せたら良いし、
理解できなかったものの一端を知って無碍な態度を取らない
一つのレッスンとしても有効だと思います。

人は集団で生活する生き物だから
それぞれに大変なことってあるけれど、
まずは優しくなりましょう。
そしたら世界は少しずつでもハッピーになるかもしれない。

そんな感じ。
それではそろそろお出かけ準備に取り掛かりますのでこの辺にて。モイモイ
コメント
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