あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

持っていることと持ってないこと

2021-07-29 | from:sachiaki
最近、なんというか救いのない話でもあるんだけど、
結局努力は報われることの方が稀、
みたいなことがだんだんと知れ渡ってきて
それは大学の入試問題だったり
スポーツ界隈のことだったり
音楽関係だったり、それぞれの分野によって
努力さえできる環境や状況であれば
ひっくり返せるっていう土壌が
実はそれすらもそうではありませんでした
ってことがわかってきて、
なんて世知辛いんだろう…なんてことを感じていたsachiakiです。

どういう分野に「持つこと」ができるかは不明だけど、
それを持っている場合、いわゆる個性としての長所だったり
ギフトと呼ばれるものの正体だったりするんですけれど
例えばそれが「才能」とチヤホヤされる分野なら
まだ多少なりともギフトとして感じ入れることがあり
他の人たちよりも恵まれていると感じられる分
それを持たない人への同情にもなったりするのでしょうが、
例えばそれが抜きん出るようなギフトでない場合、
例:人とちゃんと話すことができる。洋服を状況に合わせて着ることができるなど。
それができない人のことは理解ができず
それを一種の努力のせいだと思い込んで
できないお前が間違っている、
と断じてしまうことってのが多いのだと思います。

私はなぜか年長者に好かれることが多く、
とくに厳しいと言われるような人と仲良くなることが多く
それはただたんに自分が言葉遣いをしっかり意識してるから、とか
基本的に人を立てるように態度を作るから、とか
そんな風に体系立てて解釈することができるものの
やっぱり抜きん出て「持って」きたものがあるのだと
感じるわけですわな。
なんかよくわからんけれど一目置いてもらえたり、
可愛がってもらえたり。
そういう環境になりやすいことも一つのギフトなのでしょう。

とすると、いままでできて当然と呼ばれていたものの大半が
実は「持っている側」がマジョリティ側であったってだけだったりするので
それを持てなかった側のことを想像するのが難しいぶん
どうやったら埋め合わせができるのか
もしくは埋める必要がないのか
そんなことをダラダラと考えていました。

なぜそんなことを考えていたかといえば
昨晩Twitter上のリツイートで回ってきた
岡田斗司夫さんのYoutubeが神回だったのと
最近読んでいる本たちの影響が大きいのだと思います。
私たちたちは思っているほど
自分のことをコントロールできているわけではない
というか、奇跡のような足場の上に立っているってことに
自分では気づけないってことだったり
そんなことを思うことが増えたって感じです。
例えば異性に振り向いてもらえないっていう悩みを持つ人に
自分たちがしてきた努力と同じことでその人が報われるかといえば
「それは難しい」ってことに気づかないとならない
ってことだったりします。
んなこと認めてしまったら大混乱ですよね。
だからそれができない人の努力不足ってことにして
蓋をしておきたいんです。

サンデル教授の挑戦状!『実力も運のうち~能力主義は正義か?』を語る SDGsを掲げる人類が解決するべき真の課題 岡田斗司夫ゼミ#404(2021.7.25)/ OTAKING Seminar #404


サンデル教授の本はコレ

当然反論もあるし、岡田さんの意訳もあると思うので
本を読んでしっかり自分自身で考えた方が良いと思います。

正義とはなんだ?ってところをしっかり考えるのは
自分の生き様や、他人とどうやって暮らしていきたいかってことなので
考える癖をつけておくと良いと思いますよ〜。

ってことでこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
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noteにまとめる前に

2021-07-29 | from:sachiaki
ブログに書き起こしておこうと思う。
noteにまとめるのは……どこかのタイミングで。
とりあえずこのブログは私の思いの丈を
ただただ徒らに書き綴っているものでもあるけれど
今ではほぼ現れない相方こと
あもさんへの近況報告としても使っているので
私的な使い方をしているなと
いつもそんなことを思っているsachiakiです。

喜劇の台本だったりするのなら
もう、あもさんなんて人はいなくって
私が作り上げたイマジナリーフレンドだと言っても
そうかもしれないって感じの立ち位置にいらっしゃるけれど
あもさんは現存しているので
あんまりこういった茶化し方をしてはいけないようにも思う。

こんな風に字数を無駄に稼いでる場合でなく
なんの話をしたいかといえば
まだまだ引きずっているハリネズミのことですよ。

いまだにケージを片付けていなかったり
フード類を捨てたりしていないので
うっかりするとフードをふやかして
ケージの中に入れてしまいそうになるし
なんなら晩年にハリネズミが居座っていた
ソファの下を覗き込んで、
いないってことはあっちの部屋かな?
なんてことを思うぐらいには
まだまだ生々しい記憶がこびりついています。
なんだったらその姿が見える時もあるぐらいで
まぶたの裏に焼きついた記録というものは
なかなかに強烈なものなのだなぁ
なんてことを感じたりしています。

いろんな人に
「こんなに愛されてハリネズミくんも幸せだったろうね」
なんて慰めの言葉をもらったりするけれど
私からしてみたら彼が幸せだった保証はないので
そうであったなら良いなぁってぐらいのものでしかなく
その優しい慰めが痛く私の心を痛めつけたりして
なんとも複雑な気持ちになったりしています。

とりあえず今やっている作業が一区切りついたら
そしたらハリネズミに関してのnoteをまとめ、
最後の方でずっとメモし続けていた手帳の一部も
公開しようかな〜なんてことを考えています。
ただの自己満足であり、自分を慰撫したいだけなんですけどね。
とにかく最後の日の自分の行動がいまだに許せないので
しょうがなかったとか、そういったものへ落とし込むまで
もう少しかかるんじゃないかと思います。

そんな感じ。
あ、そうそう、今日は病院に再々検査しに行ってきたのですが
ベビーフェイスな若手のお医者さん(に見えた)が担当になるらしく
紹介状の宛先となった先生と違う!!!ってことに衝撃を受けていました。
正直治療してもらう場所が場所なので
男性医師なのは仕方ないけれど、
若手はやめてくれって気持ちになりましたw
こんな年で羞恥心とかどうなの?ってところもあるけれどw
婦人科特有の病気をやらかすあたり年だなぁとも感じるし
結局使うことがなかったなぁなんてことも感じたりで
人生けっこう複雑な気持ちを何度も味わえるものなのだな
なんて少し面白がっているところです。

再検査の結果は私の展示会の真っ只中なので
今日みたいに半日も病院内に閉じ込められるものでないことを祈ってます。

以上。
それじゃそろそろ寝る!モイモイ。
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