正直ウンザリする話なんですけれども
「よし、良いものできたぞ!」って思っても
絶対に上には上がいるってもので
毎度やるだけ無駄なんじゃないかな?
なんてことを思ってしまうsachiakiです。
とはいえ、そんなことを言うたかて
作りたいものは作りたいし、
作ったからには見てもらいたいってもんで
なんとも業の深いものですよなぁ
なんてことを思ったりしているところです。
悲しいかな。
私は昔っから評価される場にでると
まったく箸にも棒にも引っかからないという
ニッチな性質を持っているので
おそらく一生「好きなことをやっているだけ」
っていう状況を楽しむポジションとなりそうですw
評価をする・されるっていうのは
評価をする場があって、
その「場」が求めているものっていうものがあって、
それをちゃんと理解して「求められている世界」を
表出させる必要があるんですよね。
私はクライアントさんがいて、
そのクライアントさんの望みをリスニングして
それを表出するのは割と得意ですが
大勢の人が求めているだろうことを代表し
選考されるものとは相性が悪く
オーディションやコンテストの類がまったくダメなんです。
広義の意味で求められているものが全く分からない
そういうタイプなんですわね。
流行りものや新しいものをあまり追いかけないというところが
そのニッチさに拍車をかけているものと思います。
なので、私がいくら友人知人だけで繋がっている
Facebookで「いいね」を稼いだとしても
それは「凡人の友人がこんなことをするなんてスゴイ!」
みたいなもので、
下品な言い方をすれば
「隣の奥さんの下着が見たい」みたいな
欲求を満たしているに過ぎないので
少ない人たちのための道化にいつまで甘んじていられるのか?
というようなところはなくもなかったりします。
これも承認欲求っていうやつになるんでしょうか。
まぁごちゃごちゃ言うてはいるけれど、
とりあえず「やりたい」って思っている間は
排泄物を見せられているようで不快な人もいるでしょうけれど
しばらくは作り続けているので
見るのが嫌な人はブロックでもしておくれって感じだったりします。
そもそもな話をすれば
明らかに世界規模で通用するような
素敵な作品を作る人っていうのは
それこそ魂込めて作品を作り上げているので
趣味性の高いものとはやっぱり別格ですし
そういった人たちと同じようなことをしているなんて
おこがましいにもほどがあるって話だったりするんですよねぇ。
なのでこれからも趣味性が高く
人の評価なんてお構いなしで
だからこそ売れもしないものを作り続けるかと思いますw
もっと他人に媚びていこうとも思うんだけど、
どう媚びれば良いのかもわからないので
こんな感じで進んでいくんじゃないかとw
そんなことを考えて自分をなだめておりました。
ようはコンペでまた酷評されたので
あちゃーってなったって話ですw
何を求められているかもわからない中で
とりあえずあるもの出せって言われて過去作を出したら
「パンチがない」と一蹴されたって話ですw
今でも思い出すのは中学時代の彫刻の授業で
先生にべた褒めされていたんだけど
区に出す作品は別の友人のものが選ばれて
私には声もかからなかったっていうやつです。
今思い返せば、区が求めているものというやつが
例えば「自然である」とか「学生らしい」とか
そういったものだったのだろうけれど
私はのびのびと作りすぎたってことなのかもなぁとw
技術はあったけれど、
区に出すには「らしく」なかったってことなのでしょう。
そんな感じです。
さて、頼まれているお仕事をこなしてこないとなのでこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
「よし、良いものできたぞ!」って思っても
絶対に上には上がいるってもので
毎度やるだけ無駄なんじゃないかな?
なんてことを思ってしまうsachiakiです。
とはいえ、そんなことを言うたかて
作りたいものは作りたいし、
作ったからには見てもらいたいってもんで
なんとも業の深いものですよなぁ
なんてことを思ったりしているところです。
悲しいかな。
私は昔っから評価される場にでると
まったく箸にも棒にも引っかからないという
ニッチな性質を持っているので
おそらく一生「好きなことをやっているだけ」
っていう状況を楽しむポジションとなりそうですw
評価をする・されるっていうのは
評価をする場があって、
その「場」が求めているものっていうものがあって、
それをちゃんと理解して「求められている世界」を
表出させる必要があるんですよね。
私はクライアントさんがいて、
そのクライアントさんの望みをリスニングして
それを表出するのは割と得意ですが
大勢の人が求めているだろうことを代表し
選考されるものとは相性が悪く
オーディションやコンテストの類がまったくダメなんです。
広義の意味で求められているものが全く分からない
そういうタイプなんですわね。
流行りものや新しいものをあまり追いかけないというところが
そのニッチさに拍車をかけているものと思います。
なので、私がいくら友人知人だけで繋がっている
Facebookで「いいね」を稼いだとしても
それは「凡人の友人がこんなことをするなんてスゴイ!」
みたいなもので、
下品な言い方をすれば
「隣の奥さんの下着が見たい」みたいな
欲求を満たしているに過ぎないので
少ない人たちのための道化にいつまで甘んじていられるのか?
というようなところはなくもなかったりします。
これも承認欲求っていうやつになるんでしょうか。
まぁごちゃごちゃ言うてはいるけれど、
とりあえず「やりたい」って思っている間は
排泄物を見せられているようで不快な人もいるでしょうけれど
しばらくは作り続けているので
見るのが嫌な人はブロックでもしておくれって感じだったりします。
そもそもな話をすれば
明らかに世界規模で通用するような
素敵な作品を作る人っていうのは
それこそ魂込めて作品を作り上げているので
趣味性の高いものとはやっぱり別格ですし
そういった人たちと同じようなことをしているなんて
おこがましいにもほどがあるって話だったりするんですよねぇ。
なのでこれからも趣味性が高く
人の評価なんてお構いなしで
だからこそ売れもしないものを作り続けるかと思いますw
もっと他人に媚びていこうとも思うんだけど、
どう媚びれば良いのかもわからないので
こんな感じで進んでいくんじゃないかとw
そんなことを考えて自分をなだめておりました。
ようはコンペでまた酷評されたので
あちゃーってなったって話ですw
何を求められているかもわからない中で
とりあえずあるもの出せって言われて過去作を出したら
「パンチがない」と一蹴されたって話ですw
今でも思い出すのは中学時代の彫刻の授業で
先生にべた褒めされていたんだけど
区に出す作品は別の友人のものが選ばれて
私には声もかからなかったっていうやつです。
今思い返せば、区が求めているものというやつが
例えば「自然である」とか「学生らしい」とか
そういったものだったのだろうけれど
私はのびのびと作りすぎたってことなのかもなぁとw
技術はあったけれど、
区に出すには「らしく」なかったってことなのでしょう。
そんな感じです。
さて、頼まれているお仕事をこなしてこないとなのでこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。