あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

カミサマがいるかいないか

2022-06-27 | from:sachiaki
レイジングループの暴露モードも今朝がたまでかかって
ようやっとプレイし終えました。
ここから先、おまけのボーナスストーリーがあるそうで
まだもう少し寝る時間が削られるみたいです。
眠気でシンドイけれど、
珍しく夫婦で揃って謎解きを楽しんでいるので
無碍にするわけにもいかずガムバッテいるsachiakiです…( ˘ω˘)スヤァ

さて、このゲームは先日の日記でも書いた通り
「ひぐらしのなく頃に」や「サイレン」にも通ずる
日本独特の宗教観や進行を逆手にとったストーリーであり、
ぶっちゃけ「それを言っちゃぁおしまいだよ」というような
謎の超常現象もあるし、「脳がそう認識するから」という
謎解きにあるまじき言い訳が用意されているので
ンモォウ!真面目に考えていてのが馬鹿馬鹿しいワーイ!
っていうところもあったりするんですけれど、
概ねのことはメーカーさんが意図していた通り、
謎の超常現象とかあるけれど、ほとんどのことは
超常現象にみえる犯罪が行われているだけなので
一応の解答は用意されています。
京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」や「魍魎の匣」が好きな人には
けっこう刺さる内容なんじゃないかなーって思います。

さて、この辺のゲーム解説的なところにずっと囚われておりましたが
このゲームの中で「カミサマ」というのは
人間の心が作り出した「正しくありたい」という心の形が
顕現したものであり、ほとんどの人がそれを持っており、
心の底から「カミサマ」から自由である人はいないと言っておりまして、
だからこそ主人公が人の心の機微には鋭いものの
倫理観や情に欠けたサイコパスで謎をガンガンに打ち砕いていく様は
さながらマジックの種明かしみたいで面白いものがありました。

で、このことを踏まえて先日ツイッターをぼんやり見ていた時に
京大出身引きこもりニートで有名なphaさんがツイートされていた
「禅とはしがらみをなくした状態でものを見ること」
というものとリンクするなぁ、なんて思っていたのでした。

私はなんだかんだで「善」というものを信じるけれど
(ただし、その「善」がなんだかはわからない。
 でもたぶんみんなが心に元から持っている
 子供には優しくありたいなどの小さな親切心のようなものを
「善」と呼んでも良いんじゃないかと思っているぐらいのもの)
それらだって物事を見る時の足かせになっている、
というのはたしかにそうなのだと思っていて
そういった意味では「神」や「カミ」や「至高の御方」のようなものは
おそらくどこにもいないだろうってことを思ったりしているのです。

とはいえ、なんていうか。
人間の心ってそんなに強くないというか、
集団で生きていこうという時に
一つ一つの事象をしっかりと見て吟味し
なるべく集団に貢献しつつも個人の自由を謳歌するというには
世の中が複雑だし恐ろしいので
なにかに縋る対象として「カミサマ=正しいもの」というものが
必要になり、それを統べたい人にとっては
利する形で運用したいってことはあるんだろうな
なんてことを考えていました。

私はいまだに暗所恐怖症ですし
家の中になにか見知らぬものが見えたとして
それは基本錯覚だろうし、怖いという危機感は
夜を恐れる動物の生存本能がまだどこかに残っているか
神経過敏なだけなんだと思ってもいます。

ちなみにこの考えの延長で「幽霊はいるだろうな」っていうのもあって
目が見えない人にとって、目とは別の様々な別のセンサー(神経)が動き
目が見える人より深く探知できるように
またこちらが確認するより前に誰かの視線などに気づくように
この世の中には見えない「なにか」が溢れているのは確かなんじゃないかしらん。
なんてことを思っているわけです。

あらゆる能力は想像力を失った時に奪われた。
みたいな話で、子供の時に認知が未発達な時の方が
異変に気付きやすかったり共感覚が優れているような
そういうものが大人になっても残っている人がいる
ってぐらいのことはある気がするんです。

まぁ他にも色々と思うところがあるんですけれど、
またsachiakiが胡散臭いことを言いよっているなぁ
って思ってくれればそれでいいです。

「カミサマ」について、私の父方の祖母(祈祷師的な人)に言われた
「あなたはあなたの神様をみつけなさい」って言葉とも
妙に符合するなぁって思ったってぐらいの話です。
ちなみにその父方の祖母こと奄美の婆ちゃんは
別に沖縄地方にある信仰としてのユタではなく
伴侶としていた私の爺ちゃんが30代の半ばという
若い身空であちらの世界に呼ばれてしまったため
爺ちゃんがその一帯の面倒見る人であったこともあって
自分もなにか「力」みたいなものが必要だと思い
四国のお寺で修行して免状をもらったという
神仏習合も甚だしいような人です。
なんで「自分の神様」というものをみつけたなんてことを
言えるのか不思議なものですが、
まぁもしかしたらユタ信仰だのなんだのが息づいている地域なので
うまくいったってだけなのかもしれません。
そして私は未だに「自分の神様」なんてものは見つけていないので
変わらずフラフラとしているような感じです。

と、盛大に話が逸れていきましたけれど
人間の想像力というものは厄介でもあり
素晴らしいものでもあるので
うまく使いこなせたら良いですよね。
と、当たり障りのないことで締めようと思います。

そろそろおでかけしなくちゃなので。
そんじゃまた。モイモイ。
コメント
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