あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自分が大事にしている熱量のある話は難しい

2022-06-23 | from:sachiaki
先日の日記ですでにかけらがこぼれたのですが
その翌日に私が実行委員として関わることになった
とある団体の委員長さん(関わる前からの友達)と
実行委員会のミーティング後で知人のたい焼き屋さんへおでかけしたのです。
で、その時になんでもない会話をするつもりが
なぜかけっこうな本音の部分に入ってしまって
むちゃくちゃ恥ずかしいことに店内でイートインしている中
泣いてしまったsachiakiです。

人前では泣かない、怒らないを原則で過ごしている私にとって
むちゃくちゃ致命的な瞬間だったのですが
なんでそんなことになってしまったかというと
その先日の日記でも書いたように
強い人の思想(人は強くならねばならない)というものの危なっかしさについて
話をしていた時に、私は子供時代から父が関わっている
車椅子の人たちを見ているので
弱者という人たちが弱いわけでもないし、
そもそもその人たちが乗り越えられたことは強いことでもある。
しかしながら彼らが乗り越えられたのは環境のおかげだし、
もっといえばそれは生まれた資質によるところも大きい。
自分が巻かれた土壌がどんなところかもわからないのに
人が自分と同じような環境にいるとは限らないし、
そもそもその場で精一杯咲くしかない。
そして咲くためには必要なことがあって
その必要な条件もない中ではなにもできないのも真なのだ。
というような話をしてきたんです。
そんな話を私よりもずっとハードモードで生きてきた友人が
真摯に聞いてくれて「私もそう思うよ」って同意してくれたことで
感情がブワーーーーーーーっと溢れ出てしまったようで
人前でグシュグシュと泣いてしまったのですねぇ。

めちゃくちゃ恥ずかしかったわー。

私は感情が大事だとは思っているけれど
人との会話の時にそこまで感情を大切にしているわけではないので
(感情よりもノリの方が大事というか、心地よく進むことの方が大事)
感情によって言葉が遮断されることの苛立ちもあったりしつつ
この人はそれでも聞いてくれる人だという安心感があったみたいで
ブワーっとしちゃったみたいです。
そして熱量のある話というのは、
こんなにも話をするのが難しいのかと実感した次第です。
熱がこもれば言葉が拙くなるし、
言葉が流暢だと熱意が伝わりにくい。
とはいえ、そんなに熱意のある話なんてする機会なんて
早々にはないので困ることはないんですけれど、
感情というやつは本当に厄介だなぁって思いました。

その前に人前で泣いたのは悔し泣きだったので
今回は全然いい方向だったけれど、
もう少しうまく感情を制御できたら良いなと改めて思いました。
ちなみに前回人前で泣いたのは、
あまりに尊大で周りの空気を壊すことを厭わない
パワーハラスメント的な状況だったのに
私が止めに入ろうとすると他の人たちに
今はダメだって止められて何もできなかった時です。
あの時ほど無力を感じた時間はなかったかもしれません。
業界の重鎮だかなんだか知らんけれど
たしかにその人の叱っていたことには正当性があったかもしれないけれど、
たくさんの人が楽しく過ごしている時に
自分よりも立場が下の人に対して大声で叱り続けるなんて
普通に考えてあり得ないって思ったんです。
けれど
「あれは耐えないといけないやつだし、現に耐えている。
 だから今は引っ掻き回してはいけない」
って言われた時の理不尽さと「パワハラなどから救う」とか
うたっている団体の中身がこれかと心底呆れたというか
とにかくただただ悔しくて大泣きしちゃったんです。

私がもっとうまく立ち回れることができれば
あの場をもっと和やかにしつつどうにかできたのだろうか?
自分の青さにも呆れつつ、
やはり山口六平太術があれば道化として立ち回り
打破できたのではないかと夢見てしまったりもします。
どの人のメンツも潰さずに立ち回るのは
たぶん不可能に近いのだけど、
もっと賢くなりたいなぁと心の底から思います。
ここでもまだ自分の感情がうまく扱えていない気がするので。

タラレバなんて話をしても仕方がないし
現実に戻るとしましょうかね。
引き続きお仕事お仕事。
頑張ってまいりますよ〜。
モイモイ。
コメント
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