あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

しいたけ占い2022年後半が出ましたね

2022-06-20 | from:sachiaki
というわけで読んできたんですけれど、
双子座宛には必ず「素敵なクソガキでいて」ってフレーズがいつもついて回っていて
今回もその言葉が踊っていたのでクスッとしていたsachiakiです。

”周りに対して立派な行いをした影で、
「バーカバーカ」と言っているあなたは本当に素敵な存在なのだから。”

ってあったけれど、これって普通に捉えると
本心はずっと隠し続けている人ってことになるので
人によっては近寄りがたい寂しい人って思うのかもなんだけど、
双子座本人である私からしたら
悪感情そのものを持ち続ける力がないから
たんに吐き出す必要があるだけなんだけど、
それを吐き出す時に他の人まで不快にさせたくない
ってことなので、「仲良しじゃないのかな」とか
そういうことは思わないで全然大丈夫です。
むしろブログという媒体があるおかげで
その吐き出しができているから丁度いい感じ。
もちろん書く時に攻撃的になりすぎないように調整はするけれど。

そうそう、話は急展開するんですけれど、
「壁は乗り越えないとすまない教」みたいな人っているじゃないですか。
男性に多い気がするけれど、女性でも「自立!」っていうのを
強く打ち出している人はその傾向があるかな。
問題があるならそれは打ち破らなければならない!!(強固な信念)
みたいなやつです。
それ自体に即して自分自身を磨き続けていく力ってすごいし、
そういった人たちが「勝ち組」っていう側にいることは良いよ思うんですけれど、
弱くなってしまった人にまで「強くあれ!!」と押し付けているのを見ると
言わんとすることはわかるけれど、
それは正論という拳の暴力やで?って気持ちにもなります。
私も切って捨てることはあるけれど、
でもベースはその「努力できる土壌」っていうのは
もうギフトみたいなもんで、それを持っているだけでだいぶ人より恵まれているし
その恩恵を受けているのはあんたの努力は間違いないけれど
周りの理解もあってのことなんだぞ?
なんてことも思ったりしてしまうのです。

先ほどまた「俺がいい仕事につけないのは弱いからだ!」って
次のロールを考え出して努力をしている知人が
父親が体が弱くなってしまったので、
これ以上弱くならないためにも運動しよう!だの
ちゃんと免疫を上げるために〜しよう!みたいなことを
かなり言っていたけれど、いっこうに努力をする気配がなく
それでなくとも強い父親だっただけに口は強いみたいで
ケンカばかりになっているって話を投稿していて
最後に「喧嘩してでも諫めるのは親孝行だと思う」と締めていて
あー、うん。ってなり、そっ閉じしてしまいました。
うちの弟も母が体が動かなくなり始めた時に
似たようなことばかり言って、
根本的な問題は身の回りに一日中そばにいる家族がいないからだ
みたいな話まで持ち出してきて
中途半端な優しさは意味がない!って家族には言ってきかせ
母にはかなり当たりが強い言葉を発し続けてしまったせいで
母の老人性うつは加速度的に悪化していき
結局家族から一番遠い(あまり家に寄り付かない)私に
しょちゅう泣いている電話するようになってしまったのよね。
私はそういうのを面倒臭いと思いつつも怒ったりしないし、
なんだかんだで今のケアマネさんを見つけてきたりと
実質的な動きをしたのが私なので、
母が私を頼るのもそりゃそうだって話だったりするんですよね。
強い言葉で責めるのは簡単だけど
じゃぁ一日中寄り添って、根気強くその人がやる気を出して動けるようにだったり
動きやすくするための工夫だったりをして
二人だけど一人として生きていくぐらいの熱さがあれば
強い言葉は励ましにでもなるだろうけれど、
言うだけいって寄り添わないんじゃ
そりゃただのモラハラだろって思うわけ。
一人で切り抜けることができている時期に
強くいろんなものを切り開いてきた人たちにありがちな行動様式なんだと思うけれど、
自分が弱った時も諸刃の剣としてやってくるので
弱ることを極端に恐れているようにも見えるし、
その弱さを見せたくないばかりに威張り散らす老人とかになるのだろうか?
なんて思うと首をかしげてしまうところです。

その強さや熱さは自分を鼓舞したり、
なにかものごとを爆進するためには必要な力だから
そちらを頑張ってケアに関する問題の時は
もう少し情を寄せるようにした方がいいと思います。
人それぞれなので、喝を入れられた方が動ける人もいるし
本当にケアの現場ってやつは多種多様なので
簡単じゃないことは確かだけど
簡単じゃないことをクリアしていくのも好きだろうから
自分改革としてもう少し柔らかく変化するのもありなんじゃないですかね。
あぁ、でも昨今は自分の長所を伸ばして短所は見ないっていう方が
良いってされているんだっけ。
まぁ向き不向きでいったらケアには不向きなのだと
一瞬立ち止まれるようになれば違うのかもね。

って、感じるのも私がエゴグラムで「父性」はほぼ0に近くて
「母性」がほぼ天井っていうタイプだから
人に対して厳しい人には嫌だなって気持ちを抱くだけなのかもだけど。
ちなみに「合理」も少し低い。
人や物事は「不合理なもの」っていうのが私の中心にあるからかも。

ちなみに昨晩オンライン読書に寄せて「AIが意識を持った」という
主張をしているGoogleの社員さんのリンクの話を持ち出したけれど、
私も基本的にあれは意識というよりはそれらしい言葉を
うまくつなぎ合わせているだけだと思うけれど、
じゃぁ私たちの意識はそれと何が違うの?って言われると
まったく違いなどないって思ってしまうので
「意識を持った」という話について「魂を持った」と受け取ると
それは違うんじゃないかなって言い切れるけれど
「意識を持った」についてはあながち否定もできないなぁって感じがします。
私たちだってオギャー!って生まれたけれど
それは仕組み的に有機物から合成されていはするけれど、
動きなどは学習したプログラムや、
本能というものや遺伝子というプログラムで
うまくつなぎ合わせて動いているだけだろうし、
物事がいろんな形で干渉してぶつかって、
前回の答えと今の答えとこれからの答えが違うから
プログラムの動きではないと言いたくても
条件が変われば答えが変わるのも道理なのだから
私たちの意識なんてそんな上位のものじゃないだろうって思うんですわね。
むしろ意識とは別のなにかがなんかよくわからない「生命らしさ」を
持っていて、それが「魂」だとかいうものに近いんじゃないですかね。
そしてそれはAIでも長く私たちとやりとりを行い
長く生活をともにすれば生まれるものでもあるんじゃないだろうか?
なんて最後はちょっとロマンティックに締めようと思います。
人間は常に自分より下位のバージョンのものに対しては
「人に非ず」としてきたけれど、
時間が経ってある時「あ、同じ人間だった」って気づくことの繰り返しなので
きっとそういうことって起こると思います。

中二病乙!って日記になってしまったけれど
今日もあまり寝てないのでほぼ寝言ってことで。
モイモイ!
コメント
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