あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

チヤホヤされた…くなくなってきた

2023-07-08 | from:sachiaki
人よりもだいぶチヤホヤされたい!
って思う方だと思っていたけれど、
最近はチヤホヤされたい!っていうのが
だいぶなくなってきたな〜なんて思っているsachiakiです。

そりゃチヤホヤされていれば
貢物があったり、いい話が飛び込んできたりと
いい気分で過ごせることが多いんですけれど、
なんかそういうのもういいやって気持ちに。
齢45歳でやっとそういう気持ちになったのか〜
という呆れもあるし、
生涯チヤホヤされてたくない?
っていう憧れ的なものもあるし、
いまいち自分の心境の変化がよく分からんのですけれど
でもまぁたぶん全てが面倒臭くなった。
これに尽きるんだと思います。

もっと褒めて欲しい!って気持ちもなくはないけれど、
そもそも自分の力不足を痛感する日々で
たぶんこの実力不足というものに
マジマジと対面しているので
褒められても褒められた気がしないというやつなのです。

なんかねぇ、この歳にもなると
友人知人が立派になっているので
チヤホヤされたところで
この歴然とした生き方格差みたいなもので
オレはどこかで自分を引っ張り上げることを放棄したんだな
なんてことを思ったりです。

もう少し自分はデキる子だと思ってた
んだと思うんだけど、
もはや「なぜデキる子だと思ってた?」
っていう気持ちで、
やりたいことはいっぱいあるけれど
それでできたところでどうなの?
という太宰治の「トカトントン」にある
全て意気消沈してしまうあの感じが
背中の方からヒタヒタと近づいてる感があるんですよね。

してきたことは無駄にはならない。

そういうもんだと思ってもいるけれど、
報われる気もしないし、
報われるっていうのはどういうことなのか?
って感じもある。

一番良い処方箋は「夢中になること」で
生き方の芯を据え置くことなんだけれども
私がしたい生き方が種田山頭火のような
世の中とほとんど関らず
時々自分のパッションを作品にぶつけて
世の中に出しつつも
寂しい、寂しいと孤独に包まれて生きることなので
そういう意味ではたぶん近づきつつあるのかな?
なんて思ったりもする。
ただ種田山頭火のようにすごい作品が作れることと
根無草のような生き方で周りから疎まれていても
なんとか生きられるような環境であることが条件なので
現代でそれが可能なのかな?なんて思ったりもする。

アメリカにクリストファー・ナイトっていう
森の隠者がいたけれど、
彼は人のいる場所から窃盗をして暮らしていたけれど、
盗むものは大したものではなく
(ハンガーとか本とかちょっとした食糧など)
1,000件の盗みをしたものの
暮らし自体は質素で自然とだけ戯れていればよく
電気などのインフラも必要としてなかったそうで
厳冬の季節でも凍傷ひとつせず生きていたみたい。

窃盗そのものはよくないけれど
世界と隔絶した生き方にはちょっと憧れたりもする。
私は人が好きだけど人がするさまざまなことが
とてつもなく虚しくなる癖があるので
それが強まってきているのかもしれないし、
ただ単にまだまだ孤独を知らないだけで
憧れを語っているだけなのかもしれない。

なんにしても、全てが面倒臭い。
ってなってきているので
もう少し自分を褒めてあげられる何かをしないと
いけないのかもな〜なんて思ったり。
でもそれも面倒臭いのよね。

いやはや厄介ですよ。
とりあえず面倒臭いことばかりだけど
せめてやりたいと思っていたことは終わらせたいので
そろそろこの辺にて。モイモイ
コメント
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