「女性らしさ」「男性らしさ」「子供らしさ」というような
「らしさ」を押し付けるのは良いことではないけれど、
「らしさ」を好んで身につけている人に対して
それを剥ぎ取ろうとするのは
もはや多様性を認めるどころか、
逆方向の押し付けていることに変わりがないので
まったく意味がないよね、って思うsachiakiです。
ていうかね。
「らしさ」が求められる理由って
その社会にとってとか、
子孫を残すためのパートナー選びをする際に
要素として大きな魅力を持っているってことなので
収斂していった結果の一つだと思うんですよね。
美しい羽を持っている雄鳥が
雌鳥にとっての魅力ある鳥であるように
人間も求められているものっていうのが
押し付けられるまでもなくあって
その魅力ってものを備えていることが
好ましいって思われているってことなんですよね。
そして努力することで「魅力を持っている」人に
近づける手段であったんですよね。
当然多様性は認められた方が良いし、
努力の量が少ない方が自分の「ありのまま」に近いので
無理が少なくなるぶん、交際したりパートナーや
仲間と一緒に過ごすのに楽であると思うんです。
まぁ友達なんかは堕落している
ありのままの自分でも
けっこう仲良くできると思うんですけれど
それが交際相手や生涯のパートナーとして
うまくマッチできるかといえば
まぁちょっと難しいかもね。
って思うわけです。
マッチした後で付き合ったり
生涯を共にすると誓い合ってからは
なんだかんだで二人とも地が出てくるので
「ありのまま」に近づけると思うんですよね。
とはいえ、まず最初の印象という意味で
努力をしない「らしさ」の一つも持ち合わせてない場合
自然と身につけてしまっている人には敵わず
結局のところ「らしさ」を持っている人だけが
モテるということになるので
なんだかんだで格差が広がるばかりなんだと思います。
格差を広げないためにも
努力をするってことがベターであって
自分が「持っている」ものと
社会的に求められている方向にも
少しは合わせていった方が良いんだろうね
って思うばかりです。
主張をするのは大事なことだけど
折り合いをつけることもすごく大事だと思います。
自分の曲げられない部分があるのは
それはそれで仕方ないことですし
そこは大事に持っていて
そのほかの部分で折り合っていけば良いんじゃないかな〜と。
私も色々と曲げられないところあるし、
折りあえているのか?といえば
かなり怪しいところもあるけれど、
それでもなんとかやっていこうと思っています。
そんなことを考えてました。
さて今日も会議があるのでそのための資料に目を通してきます。
それではまた。モイモイ!