何度かこの日記内でも書いてる気がするんですが
基本的に「ありのままで良い」って言ってる人って
その言葉を信じたばっかりに地獄に誘われる人のことを
あまり考えてないよなぁって思うsachiakiです。
私個人の見解で ”ありのままで良い” っていうのは
半分あってて半分間違っていると思っているんです。
半分あっているっていうのは
”ありのままの" というフレーズの歌で流行った
『アナと雪の女王』の主人公の一人である
エルザが抱えている抑圧というのは
自分の努力云々でどうにかなるものではなく
"その欠点も愛して生きていきましょう"
であって、周りにその能力で迷惑をかけることを
良しとしたままではないんですよね。
彼女は生まれながらに特別な力があり、
それはものを凍らせてしまう能力で
自分の感情次第で暴走して全てを凍らせてしまうほど
強い能力だった。
その能力が自分では持て余してしまったために
誰にも会わなければ誰も傷つけることがない、
という消極的な理由で自分を抑圧させてしまった。
そしてその解は閉じこもって抑圧し続けることではなく
"ありのままの自分の能力を受け入れて"
その能力の使い方を覚えて人との関係を築く。
だったのであって、それってありのままの
「暴走する自分を受け入れて」と
他人に押し付けるものではないんですよね。
でもこの"ありのまま"という言葉が
ある種の人たちには大きな福音となったのか
歪んだ形で受け止められて
「 "ありのまま"の私を愛さないお前らが悪い」
というような言い方にまで変化していったのだと思います。
ありのままで良いわけないだろ!!!!!
半分あっているのは"ありのまま"の自分はどうにもならないことで
半分間違っているのは"ありのまま"の自分でも
周りと折り合う努力をして関係を築けるようにならないと
孤独に陥ってしまう。
ってことなので、孤独でも構わない人は
優しさ半分のような"ありのまま"を受け入れてくれる人を
一生探し続けていくしかないのかもしれません。
その際、おそらくそういったパターンの人は
自分自身の"ありのまま"は受け入れられないままで
相手に期待し続けるような気がします。
まぁこれは悪意の高い解釈なんですけれど……。
これと似たような話で、「らしさ」についても
「男らしい」「女らしい」を徹底的に取り除こうとしている人は
逆説的に自分の首を絞めているよね。
って思う次第です。
この話はまた次の日記で書こうと思います。
(長くなりそうなので)
なんでこんな話を書いたかといえば
宮崎駿監督の最新作映画が出たのをきっかけに
監督のおっしゃっていたことを思い出したからです。
曰く
「ありのままは最低だよって俺は言うんだけど。
ありのままの人間なんて、全然面白くない。
努力して無理して、やせ我慢しなきゃダメだよ」
努力至上主義のようなセリフに聞こえなくもないですが
そういうことではないと思います。
ありのままの能力を使いこなすためにん
必死に努力して頑張る人間が魅力的だって
おっしゃっているのだと思います。
「監督が一番ありのままじゃないか」という
反論ツイートなども見かけましたが
どうしてそういう小さい解釈しかできないのか
ちょっと不思議だなと思った次第です。
もがいている人間が"人間味"ってやつで
それが魅力なんですよ。
ってことで今日はこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。