連休のふぬけた空気の中、
先日お出かけして本屋巡りをして
手に入れた本を読破してたsachiakiです。
まぁラノベよりも?あっさりとした
口語文体だというのもあって
ほぼ漫画を読むような感じで読んでたのは
宇佐美りん著の『推し、燃ゆ』。
2020年の芥川賞を受賞した作品で
コロナ禍の中で話題をかっさらっていたのを
よく覚えています。
表紙のイラストも印象的だったのもあって
いつか読みたいと思いながら
ズルズルとしてたんですけれど、
本日が閉店日の方南町にある本屋さんにて
読みたかった本を買おうと決めていたので
やっと購入できた次第です。
そして昨日の夜でサクリと読み終え
読み口は軽いのに残されたものが
あまりに重たいのでビビり散らかしているところです。
作中で「推しは命に関わるからね」とあるのですが
これって自分の命を自分のために使えない人には
かなり刺さる話だと思いました。
なにそれ?って思われるのでしょうけれど、
自分のことを否定され続けて
自分でも自分のことを否定し続けていると
だんだん自分のことができなくなってくる
そういうのがあると思うんです。
自分よりも他人を優先しないといけない、
みたいなやつです。
この本の中の主人公はおそらく発達障害を持っていて
それが自閉症スペクトラム障がいの中でも
比較的頑張れば社会と馴染めなくもないけれど、
人として並べる0の基準になるまでが
すごく大変だという人なんだと見受けられました。
でもだいたいの一般人って0になるまで
なんてことを想像することなんてできないんですよね。
歯を磨くなんてことも当たり前なら
服を着替えるってのも当たり前だし、
なんなら朝目が覚めたら体を起こすってのも
生き物として当然と思っているところがある。
けれど、それができない、
もしくはするのにすごく力を使う人っていうのがいて
それは脳の神経の接続の仕方が違うので
とっても大変だってことなんですよね。
そんな性質を抱えているため、
主人公は普通にできることができないため、
親には苛立たれるし、
姉には「努力しているなんて言わないで」と泣かれたりして
主人公は自分のことを認められないというか
ダメだというレッテルをべったり貼っている感じなのです。
そんな彼女(主人公は女子高生)が
小さい頃に見た舞台の子役がアイドルになっているのを知り
そのアイドルに自分の中に興奮があったことを思い出させてもらい
アイドルの推し活をすることになります。
まさに全身全霊で。
5分前に言われたこともうまくできず
九九を覚えることも困難だった人が
推しのことを解釈するためだけに
受験勉強さながらなノートを作成し、
何度も曲を再生したりビデオを見たり、
推し活のためにバイトをしたりと
ちゃんと生きてるように見せかけられるようになるのです。
彼女は自分のために自分を動かすことはできないけれど、
推しのためなら文字通り生きていけるんですね。
そんな推し様が炎上することで
彼女の生き様がどう狂っていくのか……。
前述した通り語り口は軽いのに
読み終えた後の自分のことを自分で面倒みられない人は
どうしたら良いんだろう?
なんてことを考えてしまいました。
巻末にあった解説にて作家の金原ひとみさんが
自分も推しのために頑張っていると綴り
推しのためだけでなく
自分を奮い立たせるものを
色々と活用しているとしていたので
よくいう「依存先はたくさん持て」という話に
通じるのかな?なんてことを思いました。
自分のためだけに動ける人なんていうのは
ほとんど稀だと言ってもよく、
誰かしらなにかを理由に生きているはずなので
『推し、燃ゆ』の話は自分の中にもあるな
と深く考えさせられました。
や、ほんと”推し”を一本にしていると怖いよ。
その推しを”誰か”にするのか”何か”にするのか
それはまた別の話なんだろうけれど、
人のために生きるって時に
人は人、自分は自分って境界線を持っていないと
本当に生存に関わるので気をつけましょう。
そんなことを思いました。
それではまた。モイモイ