関東に再接近するということで
かなり沸き立ってますけれど、
私的にはちょっと前の大雨で
大きな被害を受けた山形や秋田に
この台風→熱帯低気圧となる流れで
また雨による被災が広がるのでは?と
ちょっと心配になっているsachiakiです。
都内なんてさ、冠水しないようにと
かなり整備されているし、
家でおとなしくさえしていれば
そんな大きな被害にはならないんですよ。
だから大騒ぎする必要なんてなくて
それよりも自治体の力が弱まったりとかして
支援に行くのに時間がかかってしまったりするような
地方の方の被害の方が心配なわけ。
ただでさえ農家とかそうとう被害にあっていて
お米とか野菜とか値上がりしてるんだし、
自分ごととしても悩ましいものあるじゃないですか。
だからなるべく被害が小さいものであるように
祈るしかありません。
あ、沿岸部の千葉の被害もかなり大きいようなので
どうか無事でありますように。
さて、昨晩読み終えた『テスカトリポカ』を読んで
良心ってなんだろう?
罪の意識ってなんだろう?
って考えていたんですよね。
ちょうど先日芸能人のFさんが大炎上した時に
その延長上で犯罪などをする人の中に
反省文を書くのが異様にうまく
教官ウケなどもいいやつがいるけれど、
彼らは反省をしているのではなく
反省している人の真似がうまいという話を聞いて
そりゃ反省を促す側もなにがどう悪いと
説明できないからじゃない?
なんて思ってたんだけど、
この本を読んでから、そもそも罪を感じる意識、
なにかを痛めつけたりする時に
心が軋む痛み=良心とはどうやって身につけたんだろう?
なんてことに思い当たったんですよね。
親の虐待だったりでその子の中に育つはずだった
情緒を全て剥ぎ取り、
力こそが全てで、それ以外はなにもない
って状態で育つとまさにそんな感じになるようなのですが、
それでも虐待を受けたような子でも
根気強く向き合って情のやりとりをすると
少しずつでも情緒が育ち
良心や罪の意識が芽生えるそうなのですが……。
罪の意識を持っている人間の方が
人に対して優しくなるのは
その罪によって自分の価値をやや下げるからだと思うんです。
自分が偉いわけじゃないのだから
他人に尊ばれるものではない、
そんな謙虚さが生まれるのではいでしょうか。
そしてその謙虚さを万人に持たせるために
宗教では「神のもので平等」というような
お前たちは罪人なのだから謙虚でいろ
みたいな話も通りやすいのかなって気がします。
『テスカトリポカ』の中では
”我らは彼(神)の奴隷”という表現がされていました。
と、まだまだ書きたいことはあるけれど
えらい眠気が襲ってきたのでこの辺にて。モイモイ