あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

かなしみよこんにちは

2020-10-03 | from:sachiaki
そこそこ議論は好きだけど、
水掛け論みたいになってしまうのは好きじゃない
そんなことを思っているsachiakiです。

あんまりにモニョっているので、
ちょいとDiscodeをしたろうかな
なんて気分にもなっていたり。

なにをモニョっているの?
というと、女性は最弱なんかじゃないぞ!
古来より女は守られているぞ!
みたいな主張を目にしてしまって、
いやまぁそうなぁ。
例えばイスラームの人たちなんかをみれば
たしかに女性は守られているけれど、
女性が”人間らしい”生き方
つまるところ、服装の自由だったり
勉強だったり、伴侶を選んだり
とか、そういうのって長く禁止されていたわけだし、
守るというのはパターナリズムそのものであって
それをやめようっていう動きの時に
フェミニズムがあって、権利を主張しているわけよね。
なのに、女は守られていたじゃないか!
なんて言われても、論点が違うんじゃないかなー
ってことを感じてしまったりするわけです。

私は女性だから、男性だから
っていう性でなにかを語ろうとすることが嫌いだけど
性をまとっているからこそ被る被害もあることは分かっているつもり。
自分が女の体で生まれてしまったからこそ
変なおっさんにDMで変なことを送られてきたり、
痴漢にあったり、追いかけまわされたりしたわけだし、
なにかをしようと思うたびに
女性の体であるからこそのリスクを考えると
できないことも多かったりしたわけで、
それでも先達の女性たちが「私たちは道具じゃない!」って
怒ってくれたからこそ今はある程度男性と同等に働けるし
同等の娯楽を味わうことができるんだよな
って思ったりもする。

だから今もまだリスクはあるとはいえ、
ある程度生きやすさを手に入れた女性たちを取り上げて
フェミニズムがある一定の男性を蔑む結果を起こしている
といわれてもピンとこないわけです。

私のイメージではこれから世界がフェアになっていくための過程にとって
フェミニズムというのは一つの布石でしかなくて、
フェミがちゃんと浸透してから次の生きる権利を考えることになるんじゃないか
ってそんなことを思うわけですわ。

だから今フェミを叩くのは、
未来の自分たちの権利を叩くことにしかならないわけで
あんまりフェミを敵対視することが賢いこととは思えないわけです。

にしても……。
なんかモニャモニャモニャモニャ。

もう少し考えを整頓したいなぁ。

今日はこの後高円寺へお出かけ予定。
そこで他の人たちからのお話も聞けそうだから
そこでモニャモニャがいくつか晴れればいいなぁ。
モイモイ
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伝えたいことがある時の態度のようなもの

2020-10-02 | from:amo
クソみたいな話だけど、伝えたいことを伝える時
どういった手法があるか?というのは
表現者だけじゃなくてもたくさんの方が考えることであって
例えば子供が親にものをねだる時なんてのもその一つで
プレゼン力が試されるものなんだろう。
って、そんなことを思って本当にクソだな……
なんていう気持ちになっているsachiakiです。

こんなんだからコミュニケーションオバケみたいなやつだけ
もてはやされて不器用は埋もれていくしかないのか……
なんて気持ちになったりもするんだけど、
そういうのは置いておいて。

純粋に。
むしろ、単純に。

最近になって覚えた様々なものがあるけれど
それらの中にフェミニズムとか、ミソジニーだとか
そういったものも含まれるんだけど、
色々と見てきて思い辿りつきつつある考えの一つに
”感度の問題”と”伝え方”の二つがとても大切なのだろうな
なんてことを思ったりしているところです。

つまり、”感度”が足りない人にとっては
いつまでたっても”辛い”と訴える側の”辛さ”に思いを寄せることはできず
ただ他の人はなんにも”辛い”と感じていないのに
ただ喚いているいるだけの人に見えるということだったり、
「私は平気なのに、あんたはなんで辛いと思うんだ」であったり、
「そんなことを問題にするぐらいならもっとちゃんとしろ」
と一蹴するだけであったり。
そもそも「それは問題なのか?」だというものだったり。

ニーチェ的にいうなら超克して、超人になってしまえば
すべての悩みから脱し、
新人類として新しい文化を築いていくことも可能なのでしょう。

だけど、まぁ、そういうのってブッダが云千年から言っている通り
「悟りたまえよ」みたいなもので
それができないから悩みがつきないのも本当なわけですわな。

そもそもフェアでないことを受け入れる
その悩みから脱却するのが最善であるという解決方法では
それこそ自己責任の極みであって、社会を営んでいる意味があまりない。
個人個人の悩みは自己責任でもよろしいかと思うけれど、
個人個人とされる悩みが集まり出したら
それは個人ではなく仕組みの問題なんじゃないだろうか。

というわけで、じゃぁア・セッションプリーズ!って
聴衆を鼓舞して問題提議してみたものの
ある集団とある集団を分断するなんてことはもってのほかだし、
無駄に煽るんじゃねーよっていうのもあるよね。

人々の興味をそそるための”怒り装置”を使うのも
それは戦略上ある話ではあるけれど、
燃料がでかいものの取り扱いが難しいのは
物理の問題とも共通するわけですよね。
つまり、”怒り”っていうもののエネルギーはでかい。
だから”怒り”を扱う場合は、より高度なテクニックが必要だということ。

だからここにきて、”伝え方”というテクニックが必要になるね。
っていう話に戻ってくるわけ。

誰かが目の前でぶん殴られるなどの暴力にさらされている時、
これはエネルギーがでかい事象なので
”怒り”エネルギーで自衛をしたり、
誰かを守るための力の発散が必要だと思うけれど、
現場から離れていけば離れていくほど、
その”怒り”が別のものにすり替わる可能性もあるわけで
よりクレバーな情報伝達が必要となると思います。

というわけで、いたずらにアジテーションしてみたところで
全ての人にフックするかといえば
むしろ「あいつウルサイな」なんて言われかねない状況。
怒っている人をバカにするなんて態度は最悪だけど、
バカにされていて伝えたいことも伝えられないのは
もっとよくない状況なのかもしれないな、
なんてことを思ったりもするのです。

なんでそんなことを思っているかといえば
とある人の「こんなに辛い」という訴えに対して
あまりにも周りが「そんなことよりも自分が幸せになりなよ」
って嘲笑して(いるわけではないと思うけれど)
問題をなかったかのようにしようとするのを見て
こちらまで悔しい気持ちになっていたからだったりして。

ー肩の力を抜けよ。

そりゃそうなんだろうけどよ。

どうして「辛い」という言葉を封じようとするのか
なかったことにしたいのか、とっても謎なんですよ。

なんてことを考えていたらもう夜ですわ。
今日も今日とて終わっていない作業を進めてきます。
そんじゃーまた。モイモイ
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10月…ってことは、今年ももうあと3ヶ月しか残ってない

2020-10-01 | from:sachiaki
ってことに気づいてヒェェ…ってなっていたsachiakiです。
今年なにをしたっけ?
って思い直しても、ほとんど何もしていなかったのでは?
と気づいてさらにヒェェ…ってなっています。

昨年は「赤鬼ちゃんの哲学地獄」なんてイベントを始めて
わちゃわちゃとしていたわけですが、
今年になって2月の下旬にてコロナ禍による
世の中の締め付けがキツくなる前のギリギリ間際に
なんとか一つの節目となる10回目を行うことができ、
よし、これからはもっとより作り込んでいこう!
イベントだけじゃないものもやっていこう!
なんて意気込んでいたところで
ボッキリと意思をくじかれたのもあり、
なんだかんだで活動が停止してしまったなぁ
なんてことを思ったりしていました。

なので、今年はひたすらドラゴンクエストウォークをしていた
っていう残念な思い出しか残りそうにない予感です。

あー、あと強いていうなら、
去年より引き続いて、動画の作り方が少しだけマシになったかな?
って感じ??
依頼されたものとはいえ、自分で考えて作る動画が増えたおかげで
多少はツールにとっつきやすくはなってきたかなと。

とはいえ、使いこなせているか?と聞かれたら
まるでダメってことぐらいは分かっているので
お仕事にするには厳しいなぁ、
なんてことを思ったりしているのです。

もう少し色々と覚えないとですね。
あとはセンスがクソなので
もっともっと外からの外部刺激をもらわないとイカンな
なんてことを思いました。
美術館や展示を積極的に見に行かないとだよね〜。
そして図録を買ってたくさん研究せんと……。
凡人が世間を泳いでいくには努力が必要ってもんだもの。
それでも「好きこそものの上手なれ」な人には敵わないんだけどw
まぁ”ほどほど”で良いと思っているから
それで全然構わないんだけどw

色んなことを思うし、それこそ「ハチミツとクローバー」で
タケちゃんがずっと心に抱いて苦しんでいた
「あなたは誰?」と問われているような辛さはすごく分かるし、
だからといって「誰か」になろうとしたって仕方がないのも分かっている。
ジタバタしてたって、もうあとは若い人たちのために
どうやって死んでいくかを考えるターンなわけなので
若い人たちが少しでも楽な道を歩んでいけるように
そういった栄養度の高い屍を目指していこうと思うわけです。

と、書いてる暇はあんまりないはずだった!
いかんいかん。
さて素材まとめて作業に戻りま〜す。
そんじゃーね!モイモイ
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