あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

ゴドーを待ちぼうけ

2021-06-18 | from:sachiaki
8月にお写真展示をすることになったsachiakiです。
作品展はいつかやりたいって思っていたけれど、
まさか身内のようなところで
作品展ってわけでもない展示をするとは
予想の斜め上過ぎて、あれ?ってなっているところです。

いや、ずっと重たい腰を上げていなかったので
斜め上だろうときっかけを作ってもらえて
本当にありがたいところなんですけどね。

未だに「お前、いつからそんな自信過剰になったの?」って思われないか
ビクビクしているだけなんですよ。

ところでなんでそんなにビクビクしてるの?
写真撮ってそれを展示するなら今までもアンタやってきてるじゃん
ってやつなんですけれど。

今まではモデルがいる写真を撮って、
それをコラージュして作品化していたんですけれど、
ここ数年は自分をモデルにして写真を撮ってもらい
それにコラージュをして作品化していたんですね。
で、自分がモデルだとしても「コラージュ」されているものなら
「作品化」しているからセーフだと自分の中で決めつけていて
いつか個展やりたいって思っていたのも、
この「作品化」されたものを展示したいってことだったんです。

それがねー、今回は「作品化」されたものをチマチマ作っていても
写真がどんどん溜まっていくだけでもったいないじゃない!
ってことになってきたところで
ちょうどナイスタイミングな形で場を貸して頂けることとなり、
「作品化」されているわけじゃないけれど
自分の写真を展示しますぞいって運びになったわけですわ。

まぁ作品化されている写真もいくつかあるので
それを中心に展開していくつもりですけれど……。

というわけで、なんらかの宣伝もしていかなくちゃならんので
やっっっっっっっっっっっっっっと
すっっっっっっっっっっっっっっごく重たい腰を上げて
写真のみアップするTwitterのアカウントを作成しました。
そちらで宣伝しつつ、粛々と作業をし続けようって魂胆さ。
コメントとか付くのもすごく気が散るので
レスは入れられない仕様でアップしていく予定。
基本的に写真アカウントと本アカウントは切り離して運用するつもりなので
私自身にたどり着けないようにするつもり。

そんな感じです。
実在しない人間をツイート上で作り上げて
実在しないから応えようのないものにするつもり。

コミュニケーションが命のこの時代で
なんちゅーエラそーなことをするつもりなんだって思うけれど
そのぐらいのスタンスでないと
多分維持できないと思うので……。

とりあえず1日1枚アップを目処に頑張ります。
そんじゃまた!モイモイ。
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養老孟司さんの不安についての話

2021-06-17 | from:sachiaki
一世風靡をした「バカの壁」で名前を覚えた方も多いのではないでしょうか?
私もそのうちの一人で、養老孟司さんといえば「バカの壁」ってイメージなんですけれど
その養老孟司さんが「不安との向き合い方」という講演を行われたようで
その動画の切り出しがYoutubeに上がっているというので
視聴していたsachiakiです。

不思議な方だな〜と思いますけれど
講演中でも話されている、どうかしているエピソードの一つとして
生きてる死んでるみたいな境界線の一つとして
自分の皮膚をカミソリで一部切り取って培養し
それを冷蔵庫に入れておいて、翌日貼ってみたらくっついた
っていう話をしてまして、
どうかしてるなぁ〜って思うのと同時に
思考と実行という両輪をしっかり動かしているからこそ
この人の言葉には重みがあるのだな〜と感じたりするのでした。

しかしまぁ、戦時中を経験されている方は
価値観の転換を迫られた世代なので
信憑性というものの儚さや、
ものを作るということがどれだけ
頼り甲斐のあるものなのか、
という話を聞いていると
不安というものは持っていて当たり前だし、
不安を持っている人間の方が
人のニーズを発見できるよって話につながって
不安を持つのは怖いことだけど
可能性が多いぶん、ちょっといいなぁって思ったりもしました。
私は不安よりは楽観的なタイプなので
養老先生からするとバカな方なだけに
人のニーズに気づけないのかもなーとか
そんなことも思ったり。

まぁ、不安を持つことは悪いことではないけれど
不安を受け入れろって話もしていて、
それがうまくいかないと、より不安になるという悪循環に陥る、
それは自分を受けれ入れることができていない人で
付き合いにくい人なんですよっておっしゃっていたのも
なるほどなぁ〜って思ったりもしていました。

賢い人が付き合いにくいっていうのも
そういうところにあるのかもね〜とか
ボンヤリ考えていました。

もっと突き抜けて賢い人は
また違ってくるのだと思いますけどね。

気になる方はこちらから視聴できますぜ。
養老孟司 講演会 (後)


さて、やることが色々と詰まっているのでこの辺にて。モイモイ。
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早く仲直りしたいものの

2021-06-16 | from:amo
まだお怒りが解けていないsachiakiです。

昨日は自分甘やかしのために
ケーキ買って食べて、夕飯は焼肉弁当を食べて、
ダラダラと好きなことしかしないで過ごしたのに
一晩寝たらまたお怒りがフツフツと湧いてしまい、
うーん、これは困ったなぁってなっているところです。

だいたい寝れば、よーし!復活☆
ってなるタイプなんですけれど、今回はどうもダメみたいです。
ヤレヤレです。

とりあえず、私の麒麟に触れたワードは分かったので、
そのことについてボンヤリと眺めてすかして、
なんでこんなに逆鱗に触れてしまったのか、
そんなことを考えてみようと思いました。

ポイントはたぶん
・今まで散々我慢してきた
 →という厚かましさと

・こちらが返したら傷ついて繊細なように見せて腹が立つ
 →それ、めっちゃブーメランやぞ?

ってヤツなんだと思います。

アサーティブな考え方をしていきましょうという時代になり、
自分が我慢をする必要はない、自分も相手もオッケーな話方をしていきましょう。
っていう友人たちに囲まれていることもあって、
後出しで私はこんなに苦労してきた!って言う人には違和感しかないってことなんですよね。

結局わたしも一つの方向性での世界にいたために
気遣い屋さん特有の世界には疎いってだけなんで
私も逆の立場なら、なんでこんなに苦労していることを伝えたら怒られるのかが分からない…ってなりそうだなーってなりました。

依存症の人と接する時の会話術みたいなところでは、
I Message で喋りましょうって言われるんだけど、
これって相手を思いやってるつもりで、自分の気持ちをわかって欲しいと言う遠回しな言い方を辞めましょうってやつで、

「そんなに暴れて外出たら怪我するわよ(手を煩わせないで欲しい)」
というようなものを
「お母さんあなたの手を引くの疲れちゃうから静かにしてくれると嬉しいな」
という形に直していくってものです。

素直に自分の要求を相手もオッケーな形で伝える喋り方をすると、
"気遣って欲しい"という相手ありきの考え方や行動ではなく、
自分主体で動けるようになるから、自分も相手も楽になるという考え方なんですね。

そして自分が気遣っているのと同じように
相手も気遣ってくれていることがあることを思い出して
仲良くできたら良いなって思います。

とりあえず私のご立腹については、
文章だと角が立ち過ぎてしまいそうなきがするので
早く会って焼肉囲んで
「あの時はお互いすまんかった」
って言い合えると良いなぁと。

色んなモヤモヤがある日常ですが、それもまた人生。
書いてたらだいぶ気持ちがスッキリしました。

それではまた。モイモイ。

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繊細ぶってる場合じゃねーぞ

2021-06-15 | from:sachiaki
というイライラをどこにぶつけて良いのか、
というか、ぶつけるもんじゃないことも知っているので
カラオケ行くか、歩くか、美味しいものを食うか
どれにしようって考えているsachiakiです。

言葉に出していったん整頓したいので
ひとまずブログに書き出すことにするよ。

繊細な人ってさ、すんごい気遣いを全方位にしておいて
気疲れしたし、自分はこんだけ頑張っているのに
人には気遣ってもらえない、
なんでこんなに世の中は無神経なの!?キー!!!
ってなったりするじゃない?

いやまぁ、気遣えることはすごいと思うし
いろんなことに気づけるのもすごいと思う。
だけどそれ、あんたが勝手にやってることだからね、
ってことは忘れずにいて欲しいなーって思うし、
同じ分量で人に接してもらえるとは限らないし、
人によってのカチンポイントは全然違うから
相手が気づかず、自分は気づけることでも
自分が気づかず、相手は気付いていて言わないだけ
ってこともあるってことを忘れちゃイカンと思う。

自分の繊細さによって救われてきた場面もたくさんあるし、
相手の無神経さに救われてきた場面もたくさんあるものだと思う。
結局人間の見ている部分なんて大した広さはなくって
繊細ゆえに気づけることや、
普通の人とは違う考える力の深さは違うと思うけれど、
だからとって相手がずっと自分に無神経を重ねているって感じるのは
ちょっとお前無神経じゃないの?って感じる。

いやまぁ、いつまでもセクハラしてくるおっさんとか
交際・結婚・妊娠について無遠慮に聞いてくる年上とか
そらまー、アカンって思うけどね、
でもそれは自分が次世代にやらないで済むようにして
相手に変わって欲しいと願うのは違うって話なんよね。

受け取り方の問題だから。

でも受け取り方が悪いって話にすり替えるつもりもないよ。
やっぱり人が嫌だな〜って思うことは
基本的にはするもんじゃないと思うから。

だけんど、人には背景があって
その色は多種多様だから何がダメで何がOKなのかは
その時々で違うわけで、
そんなもんにいちいち振り回されていては
ままならないぞって話だったりするんですよね。
嫌だなと思ったことは自分がやらなければ良いだけの話。
相手に期待するんじゃないぞってこと。

というわけで、繊細さで人を傷つけることもあるよって話でもあり、
私がイライラしたことも、結局は自分の問題なので
ムカつくなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
けっこう本気でムカついてるな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
って思うことも、自分が何に怒っているのかを冷静に見つめ直して
まぁしゃーないなって傍におけるまで
少し距離を取るしかないわなって考えているところ。

怒りの原因を分析して、そんでもって
解決できる問題とできない問題に分類したら
解決できそうな場合はそれに向かって進む。
できない問題は仕方ないから放置するって方法を取ることにします。

とりあえずカロリーが必要かなー。
美味しいケーキでも買って自分を甘やかすことにするよ。

そんじゃまた。モイモイ。
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久しぶりにグーニーズを見返したよ

2021-06-14 | from:sachiaki
金曜ロードショーでやっていた時に追っかけられなかったから
改めてAmazon Primeで視聴してたんだけど、
声優さんが違うと違和感があるなぁ
なんて思いながら、やっぱ最高に面白い映画だなぁ〜
なんてすっかり夢中になってたsachiakiです。

先週の金曜ロードショーが『グーニーズ』だったけれど
その前の週が『スタンドバイミー』だったから
ちょうど『グーニーズ』も見たいな〜なんてことを思っていたところだったので
放送する側も狙ってるなぁ!なんてまんまとその策に乗せられた感じがしましたw
まぁどちらもその時間にはテレビの前にいないので
追っかけで見るわけなんですけどねw

そして、私が『グーニーズ』や『スタンドバイミー』を見ていた頃って
小学校の中学年〜高学年頃で
テレビでやっているとビデオ録画しておくわけなんですけれど
そのテープが伸びてしまうほど何度も見返していたので
見てると台詞とか思い出されてきて
古い記憶の方が忘れにくいっていうのを実感しているところです。

それにしても子供の頃には気づかなかったけれど
『グーニーズ』と『スタンドバイミー』が時々ごちゃっと記憶で混ざるのとは別で
『グーニーズ』の中にある『天空の城ラピュタ』や
『ドラえもん』の長編にある相似しているるモチーフに
大人になって気づくものなのだな〜と
その目線の変わり方というか、作品と距離が開いたことで
冷静に批評する目線で見られるというか
作品というものはどこか根底でつながっているのだ
っていう誰かの言葉を思い出したりするなど。

先日ボンヤリとTwitterを見ていた時に
小説のプロになりたい!と言ってこられた方に
「好きな作品にはあなたが書くべきものが詰まっています。
 一番好きな作品を10周しなさい」
っていう言葉があって、上記の気づきにも似たようなことってあるんだろうな
ってことにフォーカスが合った気がしました。
好きなモチーフやシチュエーションに気づけるようになるというか。

『グーニーズ』の海賊のお母さんが強強で息子たちが、なんとも情けない感じっていうのが
『ラピュタ』のドーラ一家と被るな〜とかっていうの、
たぶん父系で息子っていう構成が好きな人だと『ゴッドファーザー』とかの方が好きなんだろうな
って思ったりとか、
『グーニーズ』『スタンドバイミー』『ドラえもん長編』っていうものなら
子供時代の大冒険だし、
そういう自分の好きが詰め込まれいるものを分解して
この要素と要素を取り出してみると、自分が作りたい別のものになる
って感じなんだろうなって思ったりするのでした。

私は合成好きーな人間なので、合成でバリバリ作品を作るんだけど
その絵作りで参考にしているのはアメリカンコミックの構図だったりしてて
そういう自分の好きっていうものが、なにか別のものに受け継がれていくんだろうなって
そんなことを思ったりしていました。

それにしても見返して思ったことの一つに
めちゃくちゃ短い映画だったんだな!ってこと(それでも114分だけど)。
あのボリュームをあの尺に収めてたのか!って驚いたのと共に
大人になって見たから、あれ?なんでこの人間関係ができあがったんだ?
みたいな描かれていないところが端々にあって
そうか、子供時代にはアウトラインこそが大事で
空白部分は自分で補っていたり、いらない部分として処理していたんだなぁ
と、改めてストーリーの見せ方について考え方がグルッと回った感じがしました。
ついつい丁寧に描きこまれている作品の方が魅力的に感じてしまったりするんだけど
子供時代に必要なことってそういうことじゃないんだなぁと。

ディズニーランドの『カリブの海賊』がなんで好きなの?
っていうたら、やっぱ『グーニーズ』ですでに大冒険を心のなかでしてきたからこそ
『カリブの海賊』のアトラクションでもう一度脳内大冒険が繰り出されるわけだし、
『インディジョーンズ』や『トゥームレイダー』にある危機一髪感と
その大仕掛けなセットたちにワクワクしたわけだし
その非日常っていうものの見るからにある壮大さっていうものに
心躍ってきたわけなんですよね。
最近の映画にそういったものを感じることは少なかったけれど、
『マッドマックス』でえらいテンション上げさせられたのも
その壮大な世界観だったのだなぁといやに納得してしまったのでした。

小津安二郎が作る静かな日常を丁寧に、
絵作り、構成力が命っていう作品も今では好きだけど
心躍る度でいうと、私はやっぱり違うんだな〜と。

いやまぁ、ロードムービーで淡々としているもの本当好きなんだけど
心躍るっていうのとは違うのよね。
ただ好きの方向性っていうのは躍ることだけでもないから
その好きの方面をいくつも掘っていけば良いだけなんでしょうね。

なんて書いていたら『秋刀魚の味』が見たくなってきた……。
季節でもないのに。

あんまりドップリと入り込んで見る時間はなくなってしまっているけれど
それでも時には映画の中に身を預けて
自分が好きだったものの中に溶け込むのも良いのかもね。

さて、それではその好きを詰め込みつつも
お仕事に活かすべく、そろそろ作業に戻ることにします。
そんじゃまた。モイモイ。
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正義と正義がぶつかり合う時

2021-06-13 | from:sachiaki
なにかがぶつかり合う時っていうのは
悪事に対しての正義っていう構図にはならない
っていうのは長い歴史やら、大人になってから分かったことの一つだけど、
物事が未知な時に、どれも可能性の正義があるという状態でいると
正義と正義がぶつかり合って、一番よくない状況が起こるんだなな
なんてことを感じているsachiakiです。

可能性がいくらでも分岐するようなものごとの時に
(というのは基本的にすべてのことに言えるのですが)
自分がその道でそれなりに過ごしていると
まるで自分の言い分が正道だと思ってしまうのは良くある話で
私もついつい自分が歩んできた経験値でものごとを語り
「こちらが正しいと思う、そちらはイカン」
みたいな物言いをしてしまうことがあるので
そういう人間の認知の部分で”バカの壁”を越えるのは
本当に難しいことなのだろなって思うんだけど、
現代の私たちが相対している危険ってやつは
見えない脅威であるからこそ
恐怖の本能で冷静になるのが難しいのだろう
なんてことを感じたりしています。

東日本大震災後の放射能の時も、
今もまだ疑問はあるし、脅威は去り切っていないし
新しいテクノロジーへの推移への力になったりと
様々な余波が残っているところなんだけど、
今回の新型コロナワクチンに関しても
あまりに新しい技術のせいか、様々な憶測が飛び交い
実に馬鹿馬鹿しい話から、きちんとした体験論まで
たくさんの話が出てきているところで判断が難しいところです。

その中でも、少なくともイスラエルでの成功や
その他のエビデンスでキチッと体系化されているところに
水を差しまくっている「ワクチンで人が死ぬ」という話と
副反応の激しさに「悪いものだ!」という論調で
わめいているうちは良いけれど、
他の人に喧伝したり、あまつさえワクチンが打てなくなるように
電話で抗議したりする勢に勢いがついているのは
愚かさどころか脅威としか受け取れず
本当に恐ろしいことだなと感じているところです。

私たちが行うことの因果っていうのは
必ず決まっているものではありません。
ある程度のことは決まっているけれど
それはその条件が整っている時であり
だいたいのことは再現性があります。
だからこそ科学は発達してきたし、
私たちは料理をしたり、なにかを作ったりして
日常を過ごせているわけです。

だけど、私がこの1秒後同じように呼吸して笑っていられるとは限らない例として
今夜突然の風が吹いて、何かが倒壊し、
それがあれよあれよと連鎖して私の家が潰れるってことだってあるし、
コンビニに行った際にたまたま突っ込んできた車に轢かれることだってあるかもしれないんです。
すべては可能性の上に立っていて、
その可能性の中でも脅威が低いものにベットし続けて生きるぐらいがせいぜいなんです。

ワクチンが未知の技術で、
10年20年と培われるような時間が足りてなかったりと
不安なことがいっぱいあるのも不思議はないし、
その中でも大きな副反応が出るってことで
自分が万が一でも(それより大きな確率だとしても)
その悪い方に当たってしまったとしても
それは ワクチンを打ったから死んだ
とは言えないんです。
たしかに私の直接の原因はワクチンを打ったことが引き金かもしれないけれど
その時に自分の持っていた他の原因がどれだけあるか分からないんです。

例えば飛行機事故が万に一つの事故を起こすからといって
飛行機に乗らないっていうの一つの道だと思いますが
あなたはその万が一のことを他の人にも喧伝し
飛行機は落ちるものだから乗るなと言い続けるのですか?

自分が体験した最悪をその他全員の最悪とつながると
なぜ言い切れるのですか?
そんなことを思っていたところです。

不安があるのも仕方ないし、
自分が経験した怖い経験をみんなと共有するのも大事なことでしょう。
注意喚起というのは、他の人の備えになりますからね。
それでも他の人の行動の制限になるようなことを喚起するのは
それは多分 良いことではない と思います。

あまりにヒドイ投稿を見てしまったので
今も視界がグラグラするような気持ちでいるけれど
人の不安を煽るようなことばかりしているメディアも悪いし、
きちんと説明をしてこなかったサイエンス側の人たちも悪いのだろうし、
結局人は自分の信じたいものしか信じられないのだから
その人にはそういう一面があった、ということだけにして
その人自身のことを嫌ったりしないように
フラットな付き合いが変わらないように
自分自身にも喝を入れているところです。

ー罪を憎んで人を憎まず

うまくバランスを取っていきたいものです。
ということで今日もこの辺にて。

お誕生日プレゼントを送ってくださった方たちに
お礼状を送る準備に戻りますよ。
そんじゃまた。モイモイ。
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かわいいと言い聞かせる

2021-06-13 | from:sachiaki
鏡を見ている時に「自分かわいい」と言い聞かせたり
「めっちゃスタイルいいじゃない」って自分褒めをするのって
すげー大事なことなんじゃないか?
って思い始めたsachiakiです。

最近は本当によく自分褒めをするようになっているんですけれど
思い込みの力って強くって、
なんとなく言い聞かせていると
あれ?そうかもしんないっていう暗示がかかるみたいです。

昨日もそんな日記を書いてましたけどね、
この言い聞かせることの重要さに関しては
昨日の撮影した画像の即出しをしてから
久しぶりに連絡をくれた方などいらっしゃって
現金だなぁと思いつつも、
けっこう”とうが立ってる” のに
作り込み次第ではなんとかなるのも
現代なのやな、なんてことを思ったりしてました。

とはいえ、ベースはやっぱり大事なので
プラシーボだけでなんとかするんじゃなくて
筋トレをきちんとしたり、バカみたいな食事をしない
っていうことは目安になりますけどね。

なんてことを書いてましたが……

今日作った海鮮うどんが美味しかったので
お腹いっぱいになるまで食べてしまった反省おしまい。

明日からがんばる。
それではまた。モイモイ。
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バニー撮影終わりました

2021-06-11 | from:sachiaki
あの不安はなんだったんだ?
ってぐらい、めちゃくちゃ楽しい時間だったものの
やっぱりギャー!てことはあって、
まさかブラストラップが壊れるなんて
本当にビックリだよ!ってなりました。。
でもそれ以外は本当にかなり良く、
あたいのファン増えちゃうかもよ?
なんて舐めたことを思ったりしていたsachiakiです。

朝起きて「顔が死んでる!」って思うぐらいひどくって、
メイクする時もむくみが全然取れなくて
これマジでダメかもしらん……orz
って泣きそうになっていたんですけれど、
顔のむくみが取れるというツボを何度も押して、
最終的に心の中にドラッグクイーンのお姉さんを召還して
その人に
「あんた綺麗よ。大丈夫よ」
「もっとガッツリ塗りなさい。顔はキャンバスよ」
「もっと自信持ちなさい。じゃないと失礼よ」
とかいっぱい励ましてもらっていたら
あら、なんかちょっとマシな顔になってきてるじゃないですか。
プラシーボ効果ってすごい!!
なんてね、単純な脳みそで良かったなと思います。

実際は湯通し(美肌アプリを通し)たり
レタッチを入れてもらわないとアレだったとは思うんだけど
それでも上がってきた写真の一部を見て
撮ってもらってよかったなぁ〜と思えるぐらいには
いい感じになってましたよ。

本当、撮ってもらったものがずっとお蔵入りでもったいなかったので
これからはもう少しオープンなところにも出していこうかな……
なんてことを思ったりしています。
マジメにもったいななーって感じたものでね。
自分の写真なんてなぁ…て思ってきたけれど、
それをコラージュバリバリにして作品にしないと出せないって思っていたけれど、
コラージュしてないものでも、いいやつは出していった方がええんちゃう?
なんて心境の変化が起こったわけです。

どんなものを撮ってきたか、
まぁお楽しみにってことで
たぶん今年の夏あたりには少し変わった報告ができるんじゃないかと
予告だけしておきますよ。

そんじゃ今日は疲れたのでこの辺にて。
モイモイ。
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ぐだぐだ日記という名の昨日の続き

2021-06-10 | from:sachiaki
明日のテーマは「吉祥」。
本当はガッツリと皮肉ったものをやってやろうかと思っていたんだけど
なんかせっかくだからあまりやらないテーマでやってみっかなーと
そんなことを思いましてん。
とはいえ、そう分かりやすくやるつもりもないので
ちょいとばかし分かりにくくはするつもり。
女性という器を最大限に活かせたら良いな〜
なんてことを思っているsachiakiです。

最近わりと自分の外見を女性らしくするってことに
写真撮影時だったらあまり気にならないってことに気づきまして
自分とは極端にものになるという意味で
ゴスロリから始まり、色々とコス的なことをするようになって
そこからさらにもう少し違った見せ方をしてみよう
なんてことを思うようになったのは
今更ながら面白いことだなぁ……などと思ったりもします。

見る側からしたらBBAになる前にそういうことに気づいて欲しかった
とか、そういうのもあるかもしれないけれど
ここまで至るには、これだけの時間が必要だったのだと
スタートダッシュが持ち味のくせに
ここはトロ臭かったのだな、なんてことも思ったりします。

ところで、そんな自分の中の”女”な部分を受け入れるまで
すごく時間がかかったからこそ昨日書いた日記は
それなりにちゃんと思い入れたつもりなのですが
ブログのアクセス数を見てみたら大した人数はいらしてなくて
まぁそんなもんかもしんないなぁ
なんて思いつつも、残念だな〜って感じているところです。
まぁnoteにも転載して、そちらでも多少アクセス数があって
届いて欲しい数としては足りないけれど
残り続ける記事だし、届いて欲しい人たちにも
いずれ届いてくれるだろうな〜なんてことを願っているところです。

本当、年の差婚とか別に構わんと思うけれど
未成年に手を出すなよなぁ……。
どんだけお前の精神年齢低いんだよ、って言いたい。
若い子って貴重だからさー、
懐いてくれればそれは嬉しいし、
身を捧げるようなことをしてくれれば
そりゃ喜びもひとしおなんだろうけれど、
そこで大人側がしなくちゃイカンのは
「君は自分の価値を安売りしている。
 もっとちゃんと自分のことを大切にしなさい」
なんじゃないですかね。
自分の恋心を受け取ってくれない大人ってものに
多少の不信感や拒絶感を感じたとしても
いずれ分かるんじゃないかなーていうのもあるよ。

とはいえ、私の小学校時代の一番仲良かった子が
高校を出たのと同時ぐらいにデキ婚してて
相手が20近く上だったので驚いたのと同時に
これで疎遠になってしまうってことを想像もしていなかったので
ライフキャリアっていつどこでどうなるか分からないもんだなぁ
なんて思い返したりもしてます。
結婚後に会ってないから分からないけれど
21歳頃に連絡のやり取りした時には
3人目が授かりましたとかそんな話だったから
まぁそういうケースもあるわなぁと。
とはいえ、これでも高校時代から付き合っていたとして
中学生ではないからなぁ。。
とか色々ともにょる。
そういえばあの子の家系は早婚だったから
今頃孫を抱いておばあちゃんになっているのかもしれない。
そういう人生もあるのだから、
むやみやたらと年の差婚を否定するつもりもないけどね。
幸せの形は人それぞれだし。

また会って話をしてみたいけれど
きっと話は宇宙の距離のごとくかけ離れてしまって
会話が成立するかどうかも怪しいかもなぁ。
とはいえ、それは杞憂であって
そうでもないのかもしれないし
やっぱりそうなのかもしれない。

とりあえず、恋なんてまやかしが
ちゃんとした何かになるのなら、
それは多分いいことなのでしょう。

と。
ついついペシミストな部分が顔を出してしまうま。

そろそろ夜もいい時間だから寝まするよ。AM1:00
それではまた明日。モイモイ。
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年の差婚云々について

2021-06-09 | from:sachiaki
元服の時代とか色々と事情があったりするから
古い時代のことを出すのはどうかと思うんですけれど、
一応人間の体が妊娠できる年齢に達するのと
生殖能力を持つ年齢から交配可能として
生物としてティーンエイジャーが妊娠する云々についても
私は別に構わないじゃね?って思っていることをあらかじめ前置きに置いておくよ。
どうも、歳の差7つでケコーンしているsachiakiです。

私も二十代の時は4つ以上離れた人と一緒になるっていうのは
心理的に無理だなーって思っていたクチなのですが
二十代も後半になると、
自分の年齢と精神年齢が割とゆるやかなカーブを経て
離れていくことに気づきまして
今は別に十歳離れていてても別段大したこっちゃねーな
なんてことを思ったりもしたり。
肉体年齢は常に歳を取っていくけれど
精神的な年齢は二十代の真ん中あたりを中心に
そこからわずかに理性の積み上げがあるぐらいで
そんなに変わらないなーって思ったからなのですよね。
ジュネレーションについても、生まれてから離れていた距離分は埋められなくても
ある程度の年齢になってくると経験してきたこと
体験した時代背景が同じになってくるので
共通体験が増える分、大した差異を感じなくなるんですね。

もちろんキャリアアップやら、ライフキャリアやらで
年齢プラス責任の重さが変わってきたりで
精神年齢がうんと変わっていくことも承知しておりますよ。
私は親にもならなかったし、経営者になったわけでもないので
(まぁアシスタントがいた時代もありましたが)
精神年齢が低く止まってしまったってこともあると思うし
私よりも若い人たちの方が素晴らしい人格者だなって思う人も
だんだんと増えてきました。

まー、そういう云々カンヌンも二十代を経て
三十代をやり過ごしてきたからこそ言えるわけで
そういった云々カンヌンを経ていない
未来が定まっていない時代の
体はまぁまぁ出来上がってきているけれど
やはり精神的には未熟な未成年に
同じような精神年齢で接するにしても
十以上離れている人が近づくのはどうなのかな
って思うわけです。
当然、未成年が青年や熟年に対してひそやかな恋心を持ったりもするのは
女子校時代に身の回りで起きたことなどを考えれば
あるね、そういうのもって思うし、
恋は盲目なので女性の方から近づいていったりすることもあるだろうし、
恋が成立することもあると思うけどね。
でもその人と付き合うって言う時に
相手を敬ってなにかしらの対等さを結べない限り
恋以上にはならんのじゃないですかね。

まぁ恋が悪いとは全然思わないので
いいんじゃねーのって思いもするんですけど。

とりあえずどちらの年齢がどうであろうと年上が年下と接する時に、
年下の人を敬えているかどうか、
ある種の畏怖のようなものを抱きつつも
その関係が対等であり得るか、
そこが交際する際には大事なボーダーになるんじゃないでしょうかね。

昔は「家」を維持するために早い輿入れを望んだり、
生命そのものの期限が近いこともあって
なるべく早く産めよ増やせよってこともあって
女性の方が若いことを望まれ
男性はそれを支える経済力としての熟年を望まれたのだろうけれど
今はそういう時代じゃないですしね。

同じ時間を過ごしていく時に
その時間を大切に思える人と一緒になった方が良いと思いますよ。
性的な関係を維持するだけにしても
その人と同じ時間を過ごす時間は他の人たちが過ごす時間と
等倍で過ぎ去っていくものなわけですし。
その時間があったらなにができただろう?
ってことを念頭に置いて、その価値があるかどうかとか
(そういったことを無限の時間を持て余して無価値なように感じている
 若い人たちには分かりにくい概念かもしれないけれど)
それを諭すのが大人の役割なんじゃないですかね?

そんなことを思いました。

若いってだけで大人の、とくに四十代以上の人たちから見たら
それはすごい価値なのだから
十代や二十代はその価値を簡単に手放してはいけないと思います。

そういったことを140文字で、
とあるツイートが秀逸だなと思ったのですけれど
保存しそびれてしまった……。

たしか二十前半の兄がいる女の子が
自分が好きな人が二十代後半だって話をしたら
「もしその人がその恋心に応えてくれるとして
 十代の女の子に近づくのはまともじゃないってことを
 覚えておいて欲しい」と言っていたもの。

何度も書くけれど、私は歳の差婚とか別に構わんって思うし、
いろんな事情や嗜好があるから本人たちの問題以外は
あんま外野が言うもんんじゃないだろうって思うけれど、
とりあえず対等性が失われるような関係の時は
ちょっと疑った方がいいんじゃない?ってことです。

あとは自分がしたことについてケツがふけるかどうかですよね。
ようは責任が取れるかどうかってこと。
未成年の責任は一応親の責任ってことになっているので
未成年と関わりたい時は、実は本人との関係云々というよりも
その背後にいる人との責任関係なんだと思いますよ。

親御さんに向かって「この人と交際したいです」って言えるかどうか。
そういうことなのかもしらんね。

まぁその未成年の親が責任放棄しているような場合は
なかなかそういう収まり方はしないんだろうけれど……。

とりあえず性交可能な年齢を引き上げようとなんだろうと
そんなもんあんま変わらんだろってことと
そもそも未成年にそういったことしちゃダメなんだぞっていう法律があるんだから
そっちで捌けばいいんじゃねーのってことでした。
真剣に付き合っているって時は、親御さん次第っしょ。
そういう自分で責任取れない時代の子たちにとっては
啓蒙していくぐらいしかできないんじゃないですか?
真剣に付き合うってことがどういうことなのかってことを。

大人の魅力っていうけどさ、
大人だって排泄したり、馬鹿になったりするよ。
年齢が嵩めば嵩むほど体力がなくなっていったり
色々と足りないことも増えていくし、
それでもその人と同じ歩調で歩けるのかな?
同じ歳の時の異性が幼稚に見えることもあるけれど、
自分はその交際する人と対等にしてもらえるほど
ちゃんと大人の精神でいてるのかな?

フェアネスな関係が結べそうなら交際すればいいし、
それで子供ができて未来を築いていくのもいいと思うよ。
子供を育んでいくのって体力勝負だと思うから
早い方が楽かもしんないし、
子育て後の時間が長い方が楽しみが味わい深くなるかもしんないし。

「子供育てるとか考えてないしー」
っていうようなことを言っても
出来ちゃった時どーすんの?
中絶するにしても、お母さんやお父さんに謝ってお金出してもらうの?
体に残る負担は大きくて、もっと未来にちゃんと欲しいと思った時に
できなくなる可能性だってあるんだよ?
そういったことを大人が説明できるようにならんとですよね。

そんなことをつらつらと考えていました。
以上でございます。
そんじゃ今日はこの辺にて。モイモイ。
コメント
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