今日は福祉関係で照準が合いやすい友人と
「茶飲み友達」って映画を見てきたsachiakiです。
この映画は高齢者をターゲットにした
高齢者にさせる売春もので、
これがまぁ、背景が複雑でしてね。
まず、自分達の行き場のなさを抱えた高齢女子に
「誰もが孤独を抱えている」と言ったり
「私たちはファミリーだ」と言ったり
「これは孤独を支える性のパイオニアなのだ」と
甘い言葉で嘯いて覆い尽くし
問題を抱えている人の目を曇らせるんですよね。
「これしかないのだ」と思い込ませ
「私たちは善いことをしているのだ」と
言い聞かせている主人公の
嘘をつく人特有の優しさにイラッとしました。
本当にその人の孤独を癒すためにすることが
売春斡旋でいいのか?
それともそんなことは気にも留めないのかな?
自分が親に反発するために
体を売った経験を昇華するために
他の人を引き摺り込んでいるのか、
とにかく終始映画を見ていて
イライライイライライライライラ……してました。
私は商売に貴賎なしと思っているので
ヘルスでもデリでもソープでもなんでも
その人が考えた末で行うことなら
全然構わないと思っているし、
むしろ性は開放的であった方が
健康的だとも思っているけれど、
行き場のない人を「善いことをしている」
テイで騙して道に嵌め込む人が
大っっっっっっっっっ嫌いなんです。
なによりも「善いこと」と
思い込んでいるところが許せなくて、
ずっと甘い言葉が囁いているシーンが来るたびに
自分の手を握り込んで歯軋りしていたので
今年の怒り全部使い切ったんじゃないか?
って思うほどでした🤣
またストーリーはそれだけでなく
出てきたキャラクターそれぞれの苦悩が
これまた甲乙つけがたいほどに
シンドイものがあって
例)「彼女はいないと言ったが嫁はいないとは言ってない」
とのたまう男が、若い女の子にできてしまった子の
認知をしないとか。(おかげで強制認知って言葉を覚えました)
映画の中ではちゃんと最後に摘発されたし
その中で主人公に婦人警官が言ったセリフで
「自分の孤独を他人の孤独で埋めるな」
って言葉は肝に銘じました。
主人公は組織を回していた女の子なんだけど、
その女の子に対して「買春するような娘はいない」
といって拒絶していた母が
逮捕後の面会に来てくれたところなどは
少しだけホッとしたかな。
まぁ「正論」ばかりいう人を上に持つと
下は抑圧されて良くない方へ進むという
典型的なアレだったので、
拒絶していた母も猛烈に毒親だったのが
ニントモカントモなんですけどね。
子供を褒めない親ってどうかと思うよ。
マジで。
そういった”家族に飢えた”人っていうのが
落ちこぼれていってしまうのは
よくある話で、”家族”という飢えを癒すために
偽物の”ファミリー”を作り上げるのも
なんていうかダークゾーンではよくある話だよな。
なんてことをも思ったり。
結局、ただただ寂しいのだよな。
そんなことを思っていたら、
オノ・ナツメの「not simple」って漫画の中で
「本当に感じたいのは、もっと近くの人のぬくもりなのに」
という言葉を思い出しました。
私は考えるんだけど、
多かれ少なかれ人は誰かに「必要とされたい」もんで
その「あなたが必要」って言葉をもらうために
自分を傷つけるってことってあると思うんです。
だけど、それが自分自身をすり減らすものであるかどうか
そこは一度しっかり踏みとどまって
考えた方が良いと思うんですね。
「あなたが(私にとって都合が良いから)必要」
って言う人のなんと多いことか。
まぁそれでも
騙されていても なにもないよりはずっとマシ
ってものには敵わないのも事実で
これを超えるものがあれば良いのにって思いました。
そして私は支える側につく時に
”私にとって都合がいいから”になっていないだろうか?
そんなことも考えて内省してました。
性の合法化も進めつつも、
判断力を鈍らせて消費するスタイルが
激減すれば良いと願って
私にはなにができるんだろうなぁ
なんてボンヤリしておくことにします。
こんだけ怒り狂ってきたけれど、
すごく良い映画でした。お勧め。
Facebookに書いたら
ウンともスンとも反応がないので
まぁ見てないとコメントもできんかな
なんてことも思いつつ、
反応のなさについて考えるのも面倒臭くなったので
まぁいいやって放置することにしてきましたw
最近反応が鈍いんよねぇ。(twもFBも)
自分の活動をしてない人のSNSなんて
見たくもないか〜
って思ったり思わなかったり。
そんなこんなです。
明日はお店当番なのでそろそろ寝ないとです。
今日はこの辺で!モイモイ。