★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

新井選手、阪神へ…

2007年11月21日 | スポーツ

FA宣言をした新井選手は、
世間の憶測どおり、
阪神へ移籍が決定した。


『カープの新井』が、『阪神の新井』になった。


「永久にカープの選手です。」

そう言っていた新井選手は、

カープファンの気持ちに答えることなく・・・

「優勝できるチームに行きたい」

そう言って、
カープを去っていった。 

新井選手に対して、
いろいろな思いがあったけれど、

今となっては・・・


「頑張ってください。
でも、カープの試合では打たないでね。」かな。


新井選手のカープ退団の記者会見の翌日、
地元の新聞(中国新聞)に、
私たちカープファンが、
今思っていることすべてを表した記事が掲載されていた。


       ~中国新聞(11/9)「球炎」~

広島球団の基本理念を揺るがす「FA宣言」としか言いようがない。
今のプロ野球は、
4番打者を自力で育てられない球団が大半の中で、
カープの新井は数少ない成功例だった。
しかし、そこに費やした時間と、重ねた黒星と我慢も、
取り戻し始めた時に失った。

金本の阪神移籍で迎えた2003年に誕生した「4番・新井」。
この年の新井は極度の不振で
チームは何試合、何十試合と白星を落とした。
それでも続いた起用には、
経験させて一人の主軸に育て上げる大局的な発想だった。
FAは選手の権利だが、
周囲からみれば、あり得ない選択である。

それは広島出身でカープファンである新井も分かっていた。
球団理念や育成に努める事情も、
FAによるファンへの影響も、承知しているからこそ悩んだ。
球団は慰留に全力を尽くし、
破格の待遇を提示した。
できることは、やり尽くした。

カープは好きでも、
新井の球団やチームへのさまざまな思いもあった。
本塁打王獲得以降の、
この3年間の成績で得た自信とともに、
新しいレールを走ってみたかったのかもしれない。

だからこそ思う。
会見で何粒もほおを流れた涙に苦悩ぶりは伝わる。
しかし、だ。
「泣くんだったら出て行くな」
「後悔しないと胸を張れ」。
そうでなければ、
残された選手や球団、ファンの喪失感はやるせない。
                 (書・木村雅俊)


 


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