今度は・・・・
「耳鼻科」です・・・・
最近、左耳も耳鳴りがして、
難聴が進んでいるような気がするので、
(突発性難聴は右耳)
念のために、
近所の耳鼻科を受診しました。
以前、突発性難聴でお世話になった病院です。
標準純音聴力検査をしていただき・・・
その結果、
前回の検査(2009年4月)と比べて、
聴力にあまり変化はないとのこと。
≪今日の結果≫(聴力レベル)
◇右側(突発性難聴)=平均65dB(デシベル)
◇左側(正常な方)=平均30dB(デシベル)
<デシベルとは?>
聞こえ始めの音の大きさ(聴覚レベル)の単位をデシベル(dB)という。
数字が大きくなればなるほど、悪い状態。
◆ 0~20dB・・・正常
◆ 30~40dB・・・軽度難聴
◆ 50~60dB・・・中度難聴
◆ 70~90dB・・・高度難聴
難聴が進行していなくてよかった!
安心しました☆
でも、正常な左側も<30dB>とは・・・
2年前も、そんなに悪かったかなー?
最近、洗濯機や炊飯器の終了サインの
「ピピピピ」が聞こえません・・・
これ以上、難聴が進行しないために
医師から注意されたこと。
1.「音」に注意!!
(大きな音で音楽を聴いたり、コンサート、カラオケなどは控えるように)
2.ストレスをためない。
3.睡眠をしっかりとる。
4.規則正しい生活をする。
「五感」の二つ(視・聴)に脅かされている私・・・
もっと、のんびり~~生きなくては・・・☆
藤あや子絶対安静 突発性聴覚障害の可能性
(スポーツニッポン) - goo ニュース
歌手の藤あや子(49)が14日、
絶対安静の状態にあることを自身のブログで明かした。
「過労とストレスによる突発性聴覚障害の可能性が高い」とし
「まだ原因が分からず、絶対安静の状態で、
毎日点滴治療をしております」としている。
当面は治療に専念する。
1日にNHK「歌謡コンサート」への出演を
体調不良を理由に取りやめていた。
☆★=☆★=☆★=☆★=☆★
藤あや子さん、ご心配ですね。
私も、2年2ヶ月前に、突発性難聴を患いました。
その時、担当医から言われたことですが、
聴覚障害は、症状が出て、2,3日以内に
ステロイド治療(点滴、投薬)を開始すると、
聴力の回復が見込めるそうです。
(できるだけ早く治療を開始することが大事です)
藤あやこさん、希望をもって治療に専念していただきたいですね。
最近、歌手の聴覚障害をよく耳にします。
(浜崎あゆみさん、坂本隆一さん、相田翔子さん、井上順さんなど・・・)
そして、サラリーマンにも、「突発性難聴」が増えているそうです(→click)。
突然襲ってくる、難聴と耳鳴り。
私の場合は、
「あれ・・・耳鳴りがしてる・・」と症状が出て、
1~2日後?、難聴になっていることに気づきました。
片方の耳が聞こえているから、
「難聴」に気づくのが遅かったのです。
病院に行くのも、発症して12日経っていたので、
そのまま、症状は回復することはありませんでした。
今も、右耳はほとんど聞こえず、
四六時中、耳鳴りがしています。
(2008年4月12日~2008年8月28日、
毎日の経過を記録しています。
突発性難聴について詳しく知りたい方は、
カテゴリーの「突発性難聴」をご覧くださいね)
<突発性難聴は?>Wikipedia参照
「老若男女問わず誰でも、健康な人がある日突然聴力を失い、
その原因は不明、確たる治療法もない病気」といえる。
そして、「耳の病気」は再発するので恐ろしいです。
私自身、昨年も(一昨年につづき)、
「めまい」を伴った「耳鳴り」「難聴」がありました。
病院(耳鼻科)で、「メニエール病」と診断され、
(2009年4月30日~記録しています)
ゴールデンウィークの間、
ずっと点滴に通院したことを思い出します。
早めに病院に行き、治療をしたので、
予後が良くて、ホッとしました。
藤あや子さんの報道にもあるように、
「ストレス」と「過労」が原因で、
体調を崩すことは多いですね。
皆様もお気をつけになってくださいね☆
コロッケ36年間右耳ほぼ聞こえてなかった(日刊スポーツ) - goo ニュース
コロッケ(49)が真珠腫性中耳炎のため13歳の時から36年間、
右耳がほとんど聞こえていないことが29日、分かった。
難聴との戦いは小学生の時に泳ぎすぎで中耳炎になったのが始まりだった。
治療後はそのまま放置していたら、さらに聞こえなくなり、
中学2年の時に真珠腫性中耳炎と診断された。
中耳炎を繰り返すうちに一部の組織が真珠のように増殖し耳の周りの骨を破壊する病気で、
難聴だけでなく、バランス感覚にも影響がある。
手術で患部は除去したが、難聴は治らなかったという。
☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★
最近 芸能人の「難聴」をよく耳にしますね。
先日、山本譲二さんが難聴(顔面神経良性腫瘍)を告白され、
今日は、コロッケさんが難聴(真珠腫性中耳炎)を告白されました。
昨年の浜埼あゆみさんに続き、
今年になって、「徹子の部屋」で井上順さん、布施明さんが
「突発性難聴」であることを告白しておられます。
みなさん、そういうご病気を抱えておられることを感じさせないほど、
明るく、前向きに頑張っておられますね。
すごいな~と思います。
昨年、突発性難聴を発病して、
今も、右側の難聴と耳鳴りに悩まされている私にとって、
同病の方の困難を乗り越えるお姿は、
すごく励みになります。
私ひとりではないんだ・・
私も頑張ろう!という気持ちになりました。
私の難聴は、相変わらずです。
現在の症状としては、
【めまい】
ほとんどない。
【耳鳴り】
* 右側・・・大きい。
* 左側・・・右側より小さいけれど、している。
【聴力】
* 右側・・・聞こえ難い。
* 左側・・・会話などに支障はない。
最近は「睡眠」と「水分」に注意しているので、
めまいはほとんどなくなりました。
やはり、過労が原因だったのかな・・と思います。
次回の耳鼻科の検査&診察は、9月です。
「難聴」は辛いことですが、
あまり思い悩まないで、これからも頑張ります。
最近、過労気味なのか、
耳鳴りがひどくなった。
慣れていたはずの「耳鳴り」が、「ガンガン」響く。
昨年4月発症した突発性難聴が悪くなったのだろうか。
その上、4、5日前から、起床時に「めまい」の症状も出てきた。
「めまい」をネットで調べたら、「メニエール病」のことが書いてあった。
そういえば、耳鼻科の診察のたびに、
医師から、「めまいはありますか?」と尋ねられる。
今診断されている「突発性難聴」と関係があるのだろうか。
私は「メニエール病」なのだろうか。
先日(4月3日)、「突発性難聴」発症から1年経ったので、
数ヵ月ぶりに耳鼻科を受診した。
その時も、医師から「めまい」のことを聞かれたが、
私は「めまいはありません」と答えた(その時はまだめまいは起きていなかったから)。
(診察内容は2009年4月3日に書いています)
聴力検査の結果は、1年前とほとんど変わらなかった。
耳鳴りにも慣れて、ずい分楽になっていたのに、
この3週間で、
何故、こんなに耳鳴りがひどくなり、
めまいまで起きてきたのだろう。
私の生活で変わったことといえば・・・・・
3月に母が入院したこと。
今までの、静かな生活が一変して、
1週間に5日、母の様子をみるために、病院通いが始まった。
私は3人姉妹の二女で、
姉が養子をもらって(義兄)、亡き父の病院の跡を継いでいる。
母は、実家の病院に入院しているので、
姉が毎日母の世話をしてくれている。
(病院の食事を食べないため食べ物を持参したり、清拭など・・)
だから、私が病院に行くといっても、
母の話し相手をする程度。
母の骨盤骨折は、順調に回復していて、
とても元気がいい。
食欲が無いと言っているけれど、
おしゃべりは大好き。
私自身、体が弱いので、無理はできない。
でも、母のことも気がかりで、
時間を見つけて、様子を見に行くのだが、
ちょっとだけのつもりが、
母と話していると、
あっという間に3~4時間経っている。
往復の時間を入れると、
確かに、時間的な負担は大きい。
そして、それは私の体への負担となっている。
メニエール病の症状は、
「めまい」の時に、「難聴」「耳鳴り」が伴い、
発作時のめまいは高度で、「吐き気」や「嘔吐」を伴う場合が多いとのこと。
また、原因は、「ストレス」「過労」「睡眠不足」と書いてあった。
来週には耳鼻科に行って診察してもらう予定。
もっと、自分の体を大切にしなければ・・・と反省している。
★その後、4月30日に耳鼻科受診、
「メニエール病」と診断されました。
その時の詳しいことはこちらに書いています→click
★突発性難聴とは別にカテゴリー「メニエール病」を設けましたので、
参考にしてくださいね。
今日、4月3日は、私にとって忘れられない日・・・。
1年前の今日、右耳に、耳鳴りと難聴の症状が出て、
突発性難聴と診断されました。
ホントに突然の出来事でした。
(2008年4月12日~2008年8月28日、経過を毎日書いています。
突発性難聴について詳しく知りたい方は、
カテゴリーの「突発性難聴」をクリックしてご覧くださいね)
あれから1年・・・
アッという間に過ぎた気がします。
いまだに続く、右側の耳鳴りと難聴。
あれだけ気になっていた「耳鳴り」は、
いつしか、自分の体の一部となり、全然気にならなくなりました。
「慣れ」ってありがたいですね。
でも、最近、「難聴」がひどくなったような気がして、
一度聴力検査をした方がいいのかなーと思っていたので、
発症して1年目の今日、いい機会なので、
久しぶりに近所の耳鼻科に行ってきました。
数か月ぶりの聴力検査。
周囲の雑音を遮断する防音室に入り、
ヘッドフォンを両耳に当て、気導検査と骨導検査を受けました。
昨年何度も経験した検査です。
昨年と比べ、今日は、「治ればいいなー」という期待感もないので、
ドキドキすることもなく、
どのくらいの数値になっているのかなーと興味本位?で、
聴力検査(標準純音聴力検査)を受けました。
結果は、昨年とほとんど変化はありませんでした。
聞こえのレベルは右側(悪い方)は、平均60~70dB(デシベル)で、
左側(正常な方)は、平均30dBでした。
≪デシベル(dB)とは?≫
聞こえ始めの音の大きさ(聴覚レベル)の単位をデシベル(dB)という。
数字が大きくなればなるほど、悪い状態。
◆ 0~20dB・・・正常
◆ 30~40dB・・・軽度難聴
◆ 50~60dB・・・中度難聴
◆ 70~90dB・・・高度難聴
「結果は、昨年6月とほとんど変わりないですね・・」
先生はオージオグラム(聴力検査の結果のグラフ)を示して説明を始められた。
「右側はほとんど聞こえないでしょう?」
「そうですね・・」
「左側は30dBですが・・正常値は10~20dBなので少し悪いですね」
「そうですか。。。」
「めまいはありませんか?」
「ありません」
「それでは・・・
以前より悪くなっているようではないので様子をみましょう。
何か、変わったことがあれば、また来院してください」
とても簡単に診察は終了しました。
今日の診察料は2100円(3割負担)。
突発性難聴という病気は、症状(耳鳴り・難聴・めまい)が出たらすぐに治療を始めないと
治る確率が低くなります。
発症して2、3日以内に治療を始めると治る確率はとても高く、
遅れると、だんだん治りにくくなり、
1ヵ月の時点で、聴力が改善されていないと、
その時点の聴力が生涯固定されるという怖い病気です。
耳鳴りや難聴の症状があったときには、
すぐに耳鼻科を受診してくださいね!
経験した私からのメッセージです・・・・☆
4月3日・・突然、右耳から聞こえてきた「耳鳴り」。
「そのうち、治る・・」
そんな安易な気持ちから
生涯の大事になってしまった。
10日目に耳鼻科を受診。
「突発性難聴」と診断された。
帰宅して、ネットで調べて、事の重大さに驚く。
あれだけ、癌の早期発見、早期治療を言い続けている私が、
耳鼻科の症状を軽視してしまった。
危機感が無さ過ぎる。
桜が満開の頃に発病して、
初夏~夏が過ぎ・・
秋になり・・
紅葉が散り・・
今、冬本番の季節・・・
2008年も残すところ、2週間。
今もなお、「ジージー」「キーンキーン」と耳鳴りがしている。
慣れたとはいえ、やはり辛い。
右耳の難聴も相変わらず続いている。
片側が聞こえるとはいえ、やはり、不便。
突発性難聴も、
癌も、
どんな病気も、
経験した人にしかその苦しみはわからない。
病気も、自分との戦いなんだなー。
昨日は新幹線で横浜へ行った。
広島から新横浜へは約3時間半。
突発性難聴になってから初めての長旅(?)になる。
新幹線はトンネルが多いので、
「大丈夫?」と周りは心配したけれど、
9月、10月と京都に行った時平気だったので自信はあった。
右耳が突発性難聴になったのは今年4月3日。
あれから7ヶ月半・・・
症状は当時と同じで、全然改善していない。
依然として右耳は「難聴」で、
右側から声をかけられると聞こえ難いし、
四六時中、金属音の「耳鳴り」がしていることも変わりない。
時々、左側からも耳鳴りが聞こえて(そんな気がして)、
「両耳が聞こえなくなったらどうしよう~」
と、恐怖におののくことがあるが、
いまのところ、左側の聴力が低下しているようではないので、
恐らくこのまま、右側だけの耳鳴り&難聴ですむと思っている。
(耳鳴りと難聴は同時に発生すると聞いているから)
片側だけに「難聴」と「耳鳴り」の症状が出るのが、
「突発性難聴」の特徴でもある。
それで・・・
突発性難聴罹患者にとって、トンネルの影響は・・・?
私の経験では、ほとんど『無い』ように思った。
その時の体のコンディションや、
個人差もあるかもしれないが、
とりあえず、私の場合は何ごともなかった。
以前、突発性難聴と診断されてまもなく、
やはり横浜に行く予定があり、
新幹線に乗ってもいいかどうか?耳鼻科の先生に尋ねたことがある。
先生の返事は「大丈夫です」ということだった。
(2008年4月14日の日記に記録しています)
突発性難聴は耳の病気なので、
トンネルに入ったときの「ツーン」という耳閉感が
素人的には、症状を悪化させるような印象をもつけれど、
影響がないとわかり、安心した。
急激な気圧の変化も影響はないように思った。
それでなくても、
閉鎖的になりがちな突発性難聴罹患者にとって、
新幹線が「OK」というのは希望がもてる。
今日から11月・・・。
早いな・・・。
4月3日、突然、右耳に『耳鳴り』と『難聴』の症状が出て、
「突発性難聴」と診断され・・・
もうすぐ7ヶ月になる。
今も、症状に改善はなく、
四六時中、「ジージー」「キーンキーン」と耳鳴りがして、
聴力もかなり低下しているようだ。
『難聴』に関しては、
静かな場所での会話は支障がないけれど、
雑音の中では、右側から声をかけられると聞こえない。
電話の声も、右耳では聞こえない。
テレビの音は、少し大きめのボリュームで聴こえる。
『耳鳴り』は徐々に慣れてきていたはずなのに、
最近、再び、その音が気になり始めた。
そして、左側からも、小さな耳鳴りがしている。
何故かな?
以前、疑われていた「進行性難聴」ではないだろうか?
ふと、不安がよぎる。
8月28日、A病院(耳鼻科)で、診察を受けて以来、
どこの耳鼻科にも行っていない。
一度、聴力の検査をしたほうがいいのかな、と思いつつ、
検査をしたところで、この病気は治るわけではないし、
先生も手の施しようがないのだろう・・・と引いてしまう。
発病当初は、治したい一心で、
いろいろな病院に行き、一生懸命だった。
4月~8月にかけて、
4人の著名な専門医に診ていただき、
相談したのだが・・・
(当時のことは、4月12日~8月28日の闘病記録に綴っています)
私が慌てた時は、すでに手遅れで、
どんなお薬も効き目がなくて、
結局、回復することはなかった。
発症後1ヶ月目の聴力が固定すると聞いて、
もはや諦めざるを得なかった。
以前から何度も書いているように、
癌の治療は日進月歩で、
いまや、早期に発見して適切な治療をすると治るのに、
ごく一般の耳鳴りや難聴が治らないことは信じられない。
『突発性難聴』は、本当に辛い病気だ。
A病院のA医師は、最後の診察のとき、
次のように言われた。
「突発性難聴の場合、
①三分の一の人は完治して、
②三分の一の人は、少しは改善するが、難聴や耳鳴りの後遺症が残り、
③三分の一の人は、まったく改善が見られない人です」
私は少しの改善があったので、2番目だと言われた。
私が診ていただいた4人の医師には見解の相違があり、
ある先生は、
「耳鳴りなどの症状が出たら、
一刻も早く耳鼻科を受診してください。
突発性難聴も、2、3日のうちに治療を開始すれば、
ほとんどの人が完治します」
そして、ある先生は、
「耳鳴りなどの症状が出て、すぐに治療を開始した場合も、
10日くらい経って治療を開始しても、
その効果にあまり変わりはありません。
何が原因で難聴になっているかが問題なのです」
とのこと。
私の場合、耳鳴りの症状が出た時、
「いずれは治るだろう」と軽くみていて、10日目に受診した。
もっと早く治療を始めても、治っていたかどうかはわからないが、
10日目からは、最善のことをしてきたので、
今、治らなくても諦めがつく。
病気というものは、
本人でないとわからないことが多い。
お医者様は患者の申告により、検査して診断する。
なにか、体に変わった症状が起きれば、
すぐに専門医を受診すること、
そして、自分の症状のすべてを医師に伝える。
どんな病気においても、
これが一番大切なことだと思う。
手遅れになって、一番辛いのは自分自身だから・・・。
【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(135)
★2008年8月28日(木)★
<突発性難聴・・・投薬治療中止65日目>
<前頭洞炎・・・投薬開始44日目>
今日は一日中厚い雲に覆われた。
時おり、小雨が降る中、
耳鼻科受診日のため、
A病院に行ってきた。
7月3日以来、8週ぶりの診察なので、
聴力のこと、
前頭洞炎のことが気がかりで、
昨日からずっと憂鬱だった。
診察前に、聴力検査室に呼ばれ、
久しぶりに、ヘッドフォンをつけて標準純音検査。
その後、診察室に呼ばれる(電光掲示板に番号が出る)。
診察室に入り、挨拶をした。
すごく久しぶりの気がした。
A医師は、パソコンに向かって私の検査結果を見ながら、
挨拶をされた。
「聴力は前回と変わっていませんね・・・」
「そうですか」
私はオージオグラムを見ようとして
必死で、パソコンの画面に目を向けた。
≪オージオグラムとは?≫
純音聴力検査によって測定された
気導聴力閾値と骨導聴力閾値を記入したグラフのこと。
(聴力検査については、5月16日に詳しく書いています)
「現在の聴力が固定する可能性が強いかもしれません・・・」
「そうですか・・・・ やっぱり・・・・・
発症から数ヶ月経ったので、
そうなるのかなーと覚悟をしていました」
先生は私の覚悟にホッとされた。
「今日の聴力はどのくらいですか」
「右側は平均65dBで・・・
左側は正常値です」
「左が悪くなっていなくてよかったです」
「あとは、耳鳴りが問題ですね」
「先生、耳鳴りは大分慣れてきました。
だから大丈夫そうです」
「そうですか」(先生はホッとした表情をされた)
そのまま、診察が終わる雰囲気だったので、
前頭洞炎のこと切り出さなければ、と思い、
そのいきさつを話した。
痛い治療をされるのが怖くて、
あまり言いたくなかった。
けれど、脳神経外科の先生に、
8月末にはA病院で耳鼻科の診察を受けることを話していたので、
約束を守らなければならなかった。
もしかしたら、
突発性難聴と関連があるかもしれないし、
なにより、自分の体のためにも。
7月14日頃から額(左側)がズキンズキンと痛くて、
7月16日、脳神経外科で、再び、MRIを撮ったこと、
「前頭洞炎」と診断され、
薬(ムコダイン)を服用していることを話した。
痛みがあったのは、2、3日だけで、
すぐに落ち着いたことも話した。
そして、脳神経外科の先生からいただいたMRIの画像のコピーを
A医師に渡した。
何を言われるかと怖かったが、
A先生は、前頭洞炎のことを全然問題にされなくて、
頭の中は他のことを占めているようだった。
「左側ですね」
そう確認されて、
パソコン(カルテ)に、一応、打ち込まれた。
「突発性難聴と関係はないのですか?」
「ないと思います」
「今後・・・薬は・・・」
「痛みがないのであれば、もう必要ないと思います」
「え? もういいのですか?」
前頭洞炎のことが心配で仕方なかったので、
治療の必要がないと言われ、
嬉しかった。
「では、これで・・・・・・よろしいですか?」
先生の言われる意味が、とっさに、理解できなかった。
不思議そうな顔をしていたら、
「あまりいい結果にならなくて悪いのですが、
もう・・・これで終わりにします」
「えっ!? もう、診察に来なくていいということですか?」
「そうですね・・・」
先生はパソコンに私の診療内容を打ち込みながら、
申し訳なさそうに言われた。
私は、急に寂しくなった。
もう、来なくていいって??
突発性難聴が治ったわけでもないのに、
もう、診療の必要がないってこと?
治療の術がないということ?
複雑だった。
「あまり、いいことにならなくて申し訳ないのですが・・・」
「いえ、突発性難聴は半分の人が治らないと聞いていますので、
最近は、半ば、諦めていました」
「半分ではなくて、三分の一ですよ。
三分の一の人は完治して、
三分の一の人は、少しは改善するが、難聴や耳鳴りの後遺症が残り、
三分の一の人は、まったく改善が見られない人です」
「私はどこに入るのですか?」
くだらない質問だとわかっていながら、
聞いてみたくなった。
「貴女の場合は、
1回目より、少し聴力に改善が見られたので、
二番目です」
「そうですか・・・
でも、左耳で聞こえるから大丈夫です!」
「頑張ってください」
「もし・・・今後なにかあったらどうすればいいですか?」
「なにかあれば来院してください」
「わかりました。
ありがとうございました」
こうして、A病院での耳鼻科の診察は終わった。
嬉しいような(進行性難聴でないことに)、
寂しいような、複雑な気持ちだった。
でも、大病院は、こんなものだと思った。
重篤な患者ばかりを診ておられるのだから・・・。
近所の開業医だったら、もっと対応が違ったかも。
ビタミンB12などのお薬だけでも、
ずっと飲み続けるとか・・・・。
でも、そんな気休めの薬を続けるより、
A医師のようにはっきり打ち切られた方がいいと思った。
少なくとも、私にはそのほうが向いている。
結局、突発性難聴は、
治療を開始して、1ヶ月で聴力が回復しないと、
それ以上、通院しても、無駄ということだ。
4月以来、4人の著名な耳鼻科の専門医に診ていただいて、
それでも、こういう結果になったこと。
悔いはなかった。
夕方、夫から、
「今日の結果はどうだった?」と電話があった。
夜まで待ちきれないようだった。
「うん、前頭洞炎は問題はなかった。
もう、病院に来なくていいって言われたの」
「えっ!? ショックだね・・・」
「これ以上、回復の見込みはないからだと思う」
「えっ・・・・かわいそうに・・・」
「そんなことはないわ。
もう、この数ヶ月で、諦めてきてたから大丈夫。
夜、詳しく話すね」
夜、夫が帰宅して、
病院での様子を話した。
いろいろ会話しているなかで、
「僕、今日、電話で聞いた時、
歌音が可哀そうで、涙が出た・・・」
私は、夫の言葉にびっくりした。
夫の涙って、見たことがない。
めったに(全然?)泣かない人だから。
「えっ!珍しい(笑)。
どうして涙がでたの??」
「だって、一生、難聴と耳鳴りが治らないと思うと、
ハンディを背負って生きていく歌音が可哀そうで・・・
僕だったら、耐えられないと思うから」
「でも、突発性難聴って、そんなものよ。
治らない人も多いんだから」
私の方が強い。
「突発性難聴は、突然症状が出るから怖いね。
もう、回復しないなんて・・・
何が原因なのだろう・・・」
4月3日、突然耳鳴りの症状が出て、
この148日間、ずっと、傍で私を見てきたからこそ出る夫の正直な感想だと思う。
「原因がわからないのも、
突発性難聴の特徴だから、わからない」
「これから、大変だね・・・」
「全然、大丈夫。
片方の耳があるから、聞こえるし・・・」
「そういえば、最近、耳鳴りのことも言わなくなったけれど、
今、どうなの?」
「うん、今も耳鳴りはしているけれど、
慣れちゃったから、平気・・・」
「そうか・・・」
「でもね、お願いがあるの。
あなた、涙が出るほど、私のことを可哀そうと思ってくれたのなら、
協力してほしいことがある。
テレビの音を、大きくしていることがあるかもしれないけれど、
我慢してね」
「うん、もちろんだよ!
僕もそのうち、その音に慣れるだろうから(笑)」
「よろしくね」
「でも、これからも奇跡が起こることを願ってるよ」
夫って、ホントに優しい人だな、と思った。
こうして、突発性難聴の治療(?)は、
完全に終了した。
4月3日、突然、難聴と耳鳴りに襲われ、
奇跡を信じて闘った148日間。
耳鼻科の医師から、
今日、はっきり「終わり」を告げられ、
私も完全に吹っ切れそうだ。
吹っ切らなければならないと思う。
今夜、夫とも話したけれど、
医学は日進月歩なので、
突発性難聴の治療も、
これから何か良い薬が出るかもしれない。
その希望をもちつつ、
これからの苦難を乗り越えようと思っている。
☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★
★お知らせ★
「もしかしたら・・・」という希望をもって、
4月3日以降、毎日、突発性難聴の闘病記録を綴ってきましたが、
もう、これ以上なす術がないことを医師から告げられ、
今日で、このシリーズ(?)を終わることにいたします。
たくさんの皆様にご閲覧していただき、心から感謝しております。
ありがとうございました。
これからも、他の記事の合間に、
突発性難聴にも触れることがあると思います。
また、覗いてみてくださいね。
【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(134)
★2008年8月27日(水)★
<突発性難聴・・・投薬治療中止64日目>
<前頭洞炎・・・投薬開始43日目>
今日は晴れのち曇り、
夕方から雨になった。
雨の中、カープはヤクルト戦が行われた。
今、3位は中日、カープが4位、ヤクルト5位で、
3位から5位までは3.5ゲーム差。
クライマックスシリーズに出場するために、
3チームが競っている。
だから、絶対に負けたくない試合。
高橋健が先発投手だったが、
5回の時点で、ヤクルトが勝っていた。
途中で雨はかなり強く降り、
砂を入れたり、中断された。
これ以上雨が強くなって、コールドゲームになると、
ヤクルトの勝利になるので、
気が気ではない。
「カープも点を入れて・・・」と願っていたのに、
9回まで試合は続行されたけれど、
結局、<4-1>でカープは負けてしまった。
今日はいろいろなミスが重なり、
カープは負ける試合だったのかも?
あのアレックスの守りは最悪だった。
突発性難聴は・・・
「耳鳴り」には慣れてきていても、
「難聴」は慣れることがない。
難聴は正直で、
聴こえないものは聴こえない。
だから、ちょっと不自由している。
お店で、特別騒がしくなければ、
普通に話ができるし、
レジの方の声も聞こえる。
ただ、テレビの音が、
以前のボリュームで聞こえにくいのは嫌だな。
突発性難聴と診断された当初は、
難聴より、耳鳴りが我慢できないと思ってたけれど、
今となっては、難聴のほうが深刻だ。