★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

生きてみようよ

2008年08月30日 | 好きな言葉・詩



誰の人生でもないんだよ 誰の命でもないんだよ
誰の今日でもないんだよ
みんな自分に与えられたものなんだよ
それをたのしくしてゆくのも自分 それをだめにしてゆくのも自分
自分が動けばまわりもうごくんだよ
生きることはすべて自分しだい
やってみようよ
力出して生きてみようよ

~須永博士・詩集~



★画像の花は我が家に咲いているポーチュラカ★
ポーチュラカは8月21日にご紹介しましたが、
今日は黄色が3つ仲良く咲いていたので、
とても可愛いくて、
思わず撮影しました。
まるで私たち3姉妹みたいです♪

☆花言葉・・・「いつも元気」「無邪気」☆


一昨日、突発性難聴の最後の診察を受け、
複雑な心境の今・・・
この詩を引用しました。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突発性難聴(発症148日目★最後の診察)

2008年08月28日 | 突発性難聴(右耳)

【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(135)

★2008年8月28日(木)★
 <突発性難聴・・・投薬治療中止65日目
 <前頭洞炎・・・投薬開始44日目

今日は一日中厚い雲に覆われた。
時おり、小雨が降る中、
耳鼻科受診日のため、
A病院に行ってきた。

7月3日以来、8週ぶりの診察なので、
聴力のこと、
前頭洞炎のことが気がかりで、
昨日からずっと憂鬱だった。


診察前に、聴力検査室に呼ばれ、
久しぶりに、ヘッドフォンをつけて標準純音検査。

その後、診察室に呼ばれる(電光掲示板に番号が出る)。

診察室に入り、挨拶をした。
すごく久しぶりの気がした。
A医師は、パソコンに向かって私の検査結果を見ながら、
挨拶をされた。

「聴力は前回と変わっていませんね・・・」

「そうですか」

私はオージオグラムを見ようとして
必死で、パソコンの画面に目を向けた。


≪オージオグラムとは?≫
純音聴力検査によって測定された
気導聴力閾値と骨導聴力閾値を記入したグラフのこと。
(聴力検査については、5月16日に詳しく書いています)



「現在の聴力が固定する可能性が強いかもしれません・・・」

「そうですか・・・・ やっぱり・・・・・
発症から数ヶ月経ったので、
そうなるのかなーと覚悟をしていました」

先生は私の覚悟にホッとされた。

「今日の聴力はどのくらいですか」

「右側は平均65dBで・・・
左側は正常値です」

「左が悪くなっていなくてよかったです」

「あとは、耳鳴りが問題ですね」

「先生、耳鳴りは大分慣れてきました。
だから大丈夫そうです」

「そうですか」(先生はホッとした表情をされた)


そのまま、診察が終わる雰囲気だったので、
前頭洞炎のこと切り出さなければ、と思い、
そのいきさつを話した。
痛い治療をされるのが怖くて、
あまり言いたくなかった。

けれど、脳神経外科の先生に、
8月末にはA病院で耳鼻科の診察を受けることを話していたので、
約束を守らなければならなかった。

もしかしたら、
突発性難聴と関連があるかもしれないし、
なにより、自分の体のためにも。


7月14日頃から額(左側)がズキンズキンと痛くて、
7月16日、脳神経外科で、再び、MRIを撮ったこと、
「前頭洞炎」と診断され、
薬(ムコダイン)を服用していることを話した。
痛みがあったのは、2、3日だけで、
すぐに落ち着いたことも話した。

そして、脳神経外科の先生からいただいたMRIの画像のコピー
A医師に渡した。

何を言われるかと怖かったが、
A先生は、前頭洞炎のことを全然問題にされなくて、
頭の中は他のことを占めているようだった。

「左側ですね」

そう確認されて、
パソコン(カルテ)に、一応、打ち込まれた。


「突発性難聴と関係はないのですか?」

「ないと思います」

「今後・・・薬は・・・」

「痛みがないのであれば、もう必要ないと思います」

「え? もういいのですか?」

前頭洞炎のことが心配で仕方なかったので、
治療の必要がないと言われ、
嬉しかった。


「では、これで・・・・・・よろしいですか?」

先生の言われる意味が、とっさに、理解できなかった。
不思議そうな顔をしていたら、

「あまりいい結果にならなくて悪いのですが、
もう・・・これで終わりにします」

「えっ!? もう、診察に来なくていいということですか?」

「そうですね・・・」

先生はパソコンに私の診療内容を打ち込みながら、
申し訳なさそうに言われた。


私は、急に寂しくなった。

もう、来なくていいって??


突発性難聴が治ったわけでもないのに、
もう、診療の必要がないってこと?
治療の術がないということ?


複雑だった。


「あまり、いいことにならなくて申し訳ないのですが・・・」

「いえ、突発性難聴は半分の人が治らないと聞いていますので、
最近は、半ば、諦めていました」

「半分ではなくて、三分の一ですよ。
三分の一の人は完治して、
三分の一の人は、少しは改善するが、難聴や耳鳴りの後遺症が残り、
三分の一の人は、まったく改善が見られない人です」

「私はどこに入るのですか?」

くだらない質問だとわかっていながら、
聞いてみたくなった。

「貴女の場合は、
1回目より、少し聴力に改善が見られたので、
二番目です」

「そうですか・・・
でも、左耳で聞こえるから大丈夫です!」

「頑張ってください」

「もし・・・今後なにかあったらどうすればいいですか?」

「なにかあれば来院してください」

「わかりました。
ありがとうございました」


こうして、A病院での耳鼻科の診察は終わった。

嬉しいような(進行性難聴でないことに)、
寂しいような、複雑な気持ちだった。

でも、大病院は、こんなものだと思った。
重篤な患者ばかりを診ておられるのだから・・・。

近所の開業医だったら、もっと対応が違ったかも。
ビタミンB12などのお薬だけでも、
ずっと飲み続けるとか・・・・。
でも、そんな気休めの薬を続けるより、
A医師のようにはっきり打ち切られた方がいいと思った。
少なくとも、私にはそのほうが向いている。


結局、突発性難聴は、
治療を開始して、1ヶ月で聴力が回復しないと、
それ以上、通院しても、無駄ということだ。

4月以来、4人の著名な耳鼻科の専門医に診ていただいて、
それでも、こういう結果になったこと。

悔いはなかった。


夕方、夫から、
「今日の結果はどうだった?」と電話があった。
夜まで待ちきれないようだった。

「うん、前頭洞炎は問題はなかった。
もう、病院に来なくていいって言われたの」

「えっ!? ショックだね・・・」

「これ以上、回復の見込みはないからだと思う」

「えっ・・・・かわいそうに・・・」

「そんなことはないわ。
もう、この数ヶ月で、諦めてきてたから大丈夫。
夜、詳しく話すね」


夜、夫が帰宅して、
病院での様子を話した。

いろいろ会話しているなかで、

「僕、今日、電話で聞いた時、
歌音が可哀そうで、涙が出た・・・」

私は、夫の言葉にびっくりした。
夫の涙って、見たことがない。
めったに(全然?)泣かない人だから。

「えっ!珍しい(笑)。
どうして涙がでたの??」

「だって、一生、難聴と耳鳴りが治らないと思うと、
ハンディを背負って生きていく歌音が可哀そうで・・・
僕だったら、耐えられないと思うから」

「でも、突発性難聴って、そんなものよ。
治らない人も多いんだから」

私の方が強い。

「突発性難聴は、突然症状が出るから怖いね。
もう、回復しないなんて・・・
何が原因なのだろう・・・」

4月3日、突然耳鳴りの症状が出て、
この148日間、ずっと、傍で私を見てきたからこそ出る夫の正直な感想だと思う。


「原因がわからないのも、
突発性難聴の特徴だから、わからない」

「これから、大変だね・・・」

「全然、大丈夫。
片方の耳があるから、聞こえるし・・・」

「そういえば、最近、耳鳴りのことも言わなくなったけれど、
今、どうなの?」

「うん、今も耳鳴りはしているけれど、
慣れちゃったから、平気・・・」

「そうか・・・」

「でもね、お願いがあるの。
あなた、涙が出るほど、私のことを可哀そうと思ってくれたのなら、
協力してほしいことがある。
テレビの音を、大きくしていることがあるかもしれないけれど、
我慢してね」

「うん、もちろんだよ!
僕もそのうち、その音に慣れるだろうから(笑)」

「よろしくね」

「でも、これからも奇跡が起こることを願ってるよ」


夫って、ホントに優しい人だな、と思った。


こうして、突発性難聴の治療(?)は、
完全に終了した。


4月3日、突然、難聴と耳鳴りに襲われ、

奇跡を信じて闘った148日間。


耳鼻科の医師から、
今日、はっきり「終わり」を告げられ、
私も完全に吹っ切れそうだ。

吹っ切らなければならないと思う。

今夜、夫とも話したけれど、
医学は日進月歩なので、
突発性難聴の治療も、
これから何か良い薬が出るかもしれない。

その希望をもちつつ、
これからの苦難を乗り越えようと思っている。



★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆



★お知らせ★
「もしかしたら・・・」という希望をもって、
4月3日以降、毎日、突発性難聴の闘病記録を綴ってきましたが、
もう、これ以上なす術がないことを医師から告げられ、
今日で、このシリーズ(?)を終わることにいたします。

たくさんの皆様にご閲覧していただき、心から感謝しております。
ありがとうございました。

これからも、他の記事の合間に、
突発性難聴にも触れることがあると思います。
また、覗いてみてくださいね。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ぴぴです。よろしく!」

2008年08月28日 | 金魚



他の金魚より1週間遅れて、
8月24日、出目金ちゃんが仲間入りしました♪

名前は「ぴぴ」です。
どうぞ、よろしく~♪




     


「ヘッディ」(右)、「れん」(左)、「みり」(中)は、
「ぴぴ」を温かく迎えました。

毎日、4人(?)で、仲良く遊んでいます。

以前育てた出目金はおとなしかったけれど、
今回の「ぴぴ」は社交的で、
我が家にきたその日から、
みりを追っかけたり、
つぼに入ったり、
楽しく過ごしているのでホッとしています。

みんな元気に動き回って写真を撮るのも大変でした。

そんな可愛い金魚たちに、
毎日、癒されている夫と私。

みんな長生きしてね。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突発性難聴(発症147日目)

2008年08月27日 | 突発性難聴(右耳)

【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(134)

★2008年8月27日(水)★
 <突発性難聴・・・投薬治療中止64日目
 <前頭洞炎・・・投薬開始43日目

今日は晴れのち曇り
夕方から雨になった。

雨の中、カープはヤクルト戦が行われた。
今、3位は中日、カープが4位、ヤクルト5位で、
3位から5位までは3.5ゲーム差。

クライマックスシリーズに出場するために、
3チームが競っている。

だから、絶対に負けたくない試合。

高橋健が先発投手だったが、
5回の時点で、ヤクルトが勝っていた。
途中で雨はかなり強く降り、
砂を入れたり、中断された。

これ以上雨が強くなって、コールドゲームになると、
ヤクルトの勝利になるので、
気が気ではない。

「カープも点を入れて・・・」と願っていたのに、
9回まで試合は続行されたけれど、
結局、<4-1>でカープは負けてしまった。

今日はいろいろなミスが重なり、
カープは負ける試合だったのかも?
あのアレックスの守りは最悪だった。


突発性難聴は・・・
「耳鳴り」には慣れてきていても、
「難聴」は慣れることがない。

難聴は正直で、
聴こえないものは聴こえない。
だから、ちょっと不自由している。

お店で、特別騒がしくなければ、
普通に話ができるし、
レジの方の声も聞こえる。

ただ、テレビの音が、
以前のボリュームで聞こえにくいのは嫌だな。

突発性難聴と診断された当初は、
難聴より、耳鳴りが我慢できないと思ってたけれど、
今となっては、難聴のほうが深刻だ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突発性難聴(発症146日目)

2008年08月26日 | 突発性難聴(右耳)

【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(133)

★2008年8月26日(火)★
 <突発性難聴・・・投薬治療中止63日目
 <前頭洞炎・・・投薬開始42日目

今日もよく晴れていた。
ベッドのシーツを洗い、お布団を干して、
とっても気持ちよくなった。

他に片づけなくてはならないことがたくさん溜まっているのに、
そっちは見向きもしないで、
ひたすら、家のお掃除とお洗濯に明け暮れる私。

家事の合間に金魚たちを眺め、
可愛い金魚たちと戯れる。
とっても幸せな時間♪♪

4匹の金魚たち、
我が家の家族になり、はや10日目。
4、5日目からは、すっかりなつき、
私が声をかけると近寄ってくる。
可愛い!!
出目金も、その日から一緒に遊んでいる。


今、私が気がかりなのは、
やはり、私の病気。

ACTH単独欠損症と突発性難聴。
そして、前頭洞炎。

乳癌と肺癌も、克復後は安心してしまって、
一度も検診を受けていない。
ちょっと怖いな。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒロシマ検定

2008年08月26日 | 報道・ニュース
今日の中国新聞(本社・広島市中区)に、
「ヒロシマ検定」の記事が出ていた。

10代が作る平和新聞「ひろしま国33号」(7月16日付)で発表したもの。

★インターネットでもその記事を検索できるので、どうぞご覧になってください★(
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/special/index_20080826b.html


「ヒロシマ検定」は、
広島県内外の子供たちを対象にした
原爆投下などに関する問題で、
1067人が回答して、平均64点だった。

恥ずかしながら、
私は全問正解することができなかった。
(皆様はいかがですか?)

原爆を体験された方の平均年齢は75歳になり、
その貴重な体験を語り継いでいかねばならない大切な時期にある。
しかし、なかなか実践できていないのが現状かもしれない。

今、とても平和に暮している私たち。

63年前のあの悲劇を繰り返さないために、
「ヒロシマ」や「ナガサキ」のことを真剣に心に留めて、
世界の平和の意識を高めていかねばと強く思った。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突発性難聴(発症145日目)

2008年08月25日 | 突発性難聴(右耳)
【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(132)

★2008年8月25日(月)★
 <突発性難聴・・・投薬治療中止62日目
 <前頭洞炎・・・投薬開始41日目

今日は一日、とても良いお天気だった。
空を見上げると、
青空が広がり、
窓からの風は涼しくて、
いつの間にか、夏から秋へ・・・。
時の流れを感じちゃう。

突発性難聴になったのは、
4月3日。
サクラが満開で、春爛漫の季節だった。

それから、
春が過ぎ、
梅雨・・・
梅雨が明けると、暑い夏・・・

時の流れとともに、
気になっていた耳鳴りも私の体の一部となり、
あまり、違和感を感じなくなった。

辛いことがあったとき、
「時間が解決してくれる」と口癖のように言う私。

この突発性難聴の苦しみも、
時間が解決してくれそうだ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星野JAPAN 敗因は・・

2008年08月25日 | スポーツ

中国新聞(本社:広島市中区)8月24日朝刊の一面には、
「星野Jメダル逃す」の記事が大きく掲載され、
私の思っていることがズバリ書いてあった。
(以下、本文を引用します)


「情の采配に固執 惨敗」

最後まで信条を捨てきれなかった。
星野仙一監督の采配には傾向がある。
自分が信じ込んだ選手を我慢強く起用し続けることだ。

日本代表24選手のうち、
19人が昨年のアジア予選の代表。
激戦を勝ち抜いた経験と、
そこで生まれた一体感を重視した選出を印象づけた。

ただ、今回は多くの選手が体調不良で万全ではなかった。
稲葉、新井、西岡・・・。
大会直前の監督会議までに入れ替えは可能だったが、
動かなかった。
成績不振の上原投手もメンバーに組み入れた。
結果的に、故障がちの選手に固執した感は否めない。

采配にも同様の“特徴”が表れた。
準決勝の韓国戦で2失策したG・G・佐藤選手を
3位決定戦も先発で起用。
汚名返上の機会を与えたが、
再び拙守で足を引っ張った。

一次リーグで2敗した岩瀬投手にもこだわり、
韓国戦では逆転負け。
情に頼った強気な指揮がすべて裏目に出た。

星野監督は大学時代に故島岡吉郎監督の熱血指導に触れ、
愛情を注がれたことが野球人生のバックボーンになっている。
「熱」や「情」は星野野球のキーワードであり、
中日や阪神を率いてリーグ制覇につなげた。
一方で日本シリーズに1度も勝っていないのも事実だ。

「代表では選手への情は持たない」。

星野監督は代表監督就任後にこう語った。
従来とは違うスタイルで臨む方針を打ち出しながら、
変えきれなかった。

その結果が全員プロ選手で臨んで
初のメダルなしという惨敗だった。

日本球界における闘将の功績は否定しない。
ただ、短期決戦の将としては不向きだった。(北京・西口憲一)


★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆


今回の北京五輪で、
野球は、
4位に終わった日本。

プロ選手が揃っての惨敗は非常に悔しい。

大会直前、日本を発つ前に、
星野監督が「報道ステーション」に生出演していた。

「故障者も多く、上原投手は今季調子が悪いようですが、
メンバーに入れて大丈夫ですか?」
古舘伊知郎アナは不安そうに質問をした。

「え、大丈夫です。
1週間、みっちり鍛えれば(投げ方を変えれば)、彼は使えます」

記憶をたどって書いているので、
言葉に違いがあるかもしれないが、こんなニュアンスのことを言い切った。
『人選に迷いはない』と、
始終笑顔で、ご機嫌な星野監督の表情が印象的だった。

あの自信は何だったのだろう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島の空

2008年08月25日 | 日記



今朝の広島の空は青く澄みわたっていた。

窓を開けると、
心地良いそよ風が入り、
幸せな気分になった♪

もう、秋なのかしら。

今日も爽やかな一日の始まりです。



★画像は午前8時ごろの広島市内の空★
ベランダから撮影しました。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突発性難聴(発症144日目)

2008年08月24日 | 突発性難聴(右耳)
【突発性難聴・前頭洞炎☆闘病記録】(131)

★2008年8月24日()★
 <突発性難聴・・・投薬治療中止61日目
 <前頭洞炎・・・投薬開始40日目

今日も涼しい一日だった。
夏から秋へ。
そんな毎日。
とはいえ、最高気温は32度だった。

午後から、夫とペットショップにでかけ、
出目金を買ってきた。
(出目金ちゃんは後日ご紹介しますね)

今日の男子マラソン、広島出身の選手が二人出場していた。
厳しい暑さの中で行われたが、
尾方選手(中国電力)は13位、
佐藤選手(中国電力)は76位と、
メダルが獲れなくて残念。

北京五輪、今日で全種目終了した。

☆★日本のメダル数★☆
 メダル・・・9個
 メダル・・・6個
 メダル・・・10個
  【総数・・・25個】

メダルを獲得された選手の皆様、おめでとうございます!


大会前、「金は二桁、総数30個以上」と
期待されたメダル数は、達成できず、
一つのメダルを獲得するのがどんなに大変なことか、
「メダルを獲ります」と約束したことを守るのがどんなに大変か、
考えさせられる。

“有言実行”する選手は、
本当にすばらしく、
約束したことを守るべく、
努力に努力を重ね、
メダルを獲得している。

やはり、努力。
努力した選手はメダルを手にしている。

スポーツに限らず、
成功する人はみんなどこかで努力している。
努力なしには、成功はない。

苦しい道程を乗り越え、
世界新記録で、
金メダルを手にした北島選手の
あの、涙で言葉にならなかったシーンは何度見ても涙がでる。

それは、彼の努力が想像できるからだ。


夜、9時(日本時間)から、
閉会式があった。
開会式同様、すばらしい内容だった。

特に、4年後にオリンピックが予定されているロンドンを
紹介したときの模様がよかった。

今日の体調は、
まぁまぁかな。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする