「海辺の文学記念館」(愛知県蒲郡市)で、
クリンは
たくさんの 文ごう(豪)による、
「蒲郡クラシックホテル」についての
文章を 読みました。
たとえば・・グルメな時代小説家、
いけなみしょうたろう(池波正太郎)
は
エッセイ『よい匂いのする一夜』で、
レストランの ビーフカツレツを
登場させてますし、
その他・大物(谷崎潤一郎や、菊池寛、川端康成、志賀直哉、与謝野晶子etc.)
も、
エッセイに、小説に、
ホテルの姿を、かれい(華麗)に 立ちあがらせています
もちろん・・、ホテル自体が
ステキだから、
自然に 物語が生まれちゃう
と いうのはあります
でも・・
それは、実は・・この「蒲郡」と立派なホテルに
人を呼ぶ、
国をあげての「PR活動」
として
行われた・しっぴつ(執筆)だったのだ
そうです
つまり・・
ホテルや、行政が、有名作家に
いらい(依頼)し、
(みんながあこがれる観光地として、作品に書いてよ)
と
根回しを していた
結果だ、と いうのです
・・・・・・
きけば・・
ホテルがオープンし、
作家たちが 招かれていた
昭和9年、
日本は すごく貧乏で(恐慌のまっただ中)、
中国や、欧米とは ケンカばかり、、
ハッキリ言って、
ちょう(超) 行きづまっていたころだった
らしい
(※太平洋戦争開戦の7年前です)
そんな中で・・ ムリして打った 大々的な
「ウェルカム・トゥ・ジャパン・キャンペーン」
は、
政治・けいざい(経済)の どんづまりを
一挙に かいけつしうる
「起死回生の策」
と して、
政府や、役人の 肝いりで はじめられた、
一大国家プロジェクト
でした
つまり・・ がまごおりホテルは、川奈ホテル、
うんぜん(雲仙観光)ホテル、
と ならび、
「外国人観光客向け」に たてられた、
国家のいしん(威信)と
めいうん(命運)を かけた、
ホテル
だったのです
しかし、、
どれほど・一部で がんばったところで、
大きな方向性が
軍国主義であった 時代・・
「観光立国」なんて、
企画だおれに おわってしまう
かなしい 定め、、
大日本ていこく(帝国)の 野心は・・
「観光立国」や
「貿易立国」を 目指すのなんかに
おさまらず
かくだいろせん(拡大路線)を つきすすんで、
ほうかい(崩壊)して しまいました・・
先の見えない、不たしか(確か)な
時代に、
国のふっかつ(復活)の
いちよく(一翼)を になうために
たてられた
がまごおり(蒲郡)クラシックホテル・・
それは、まさに こんとん(混沌)の昭和
が、
なんざん(難産)して
生みおとした、
きりんじ(麒麟児)であった
と
いうわけでしょうか・・。
ちなみに、このたび・・ 昭和9年について
ちょっと
しらべなおしてみたら、
・日比谷に、東京宝塚劇場が 完成したり、
・渋谷に、ハチ公像と東急東横デパートが オープンしたり、
・築地本願寺が、古代インド様式で復活したり、、
と
「建築史」として、わりあい・おもしろい
てんかい(展開)が あったことが
わかりました
世はまさに、「欠食児童」
に「娘身売り」、
「満州国は帝政に移行」して
「思想犯」はひどい目に あっている
と
いうじき(時期)に・・
ふしぎと
前に すすんでいる部分も あったのです。。
ぼうとう(冒頭)で・・
池波正太郎さんが
ホテルのエッセイを 書
と
ご紹介しましたが、、
その中で、池波さんの
連れの 紳士が、
こんなことを おっしゃっています
「 正ちゃん、切羽つまった生き方をしてはいけませんよ。たとえ気分
一枚残しておかなくてはいけない。」
池波さんが、その方から「何度も聞かされた」
という
言葉は・・
がまごおりクラシックホテルのできた
時代において、
本当に
いみ(意味)をもった、
心からの発言 だったんじゃないかな・・?
・・・って、クリンたち、話しました。
遅生は小学生の時、ここで潮干狩りをしたのですが、当時臨海地帯では、高度経済成長の波が押し寄せていて、汚れた海水と臭いに閉口しました。
「いやな臭いのする1日」でした(^^;
今は風光明媚な観光地、この高級ホテルへ一度でいいから行ってみたい(^.^)
と言いながら、切羽つまった生き方を、故玩あそびでやり過ごしている遅生でありました(^_^)
ちせいさまあ~🐻✨✨✨✨
うちのチット、ついさいきん、ライオン宰相(浜口雄幸)についてくわしくしらべることがあり、彼は殺されちゃったけど、生前「貿易立国を目指すべし」というビジョンをもっていたことがわかった👍とか言って、とうとうと語りはじめたんです⚠️その中でかんけいのありそうなことをメモしてまとめました✏️🐻たいへんでした~💦
さっき、ちせいさまのコメントのことを話したら、「中京工業地帯だもんね❗四日市ぜんそくを本気で心配しなければならない場所かも。」と、小学生のちせいさまを心配していましたよ🍀
今のがまごおりの海はキレイなもので、へんなニオイはしませんでしたし、「蒲郡潮干狩り」も人気らしいです🐚クラシックホテルでは「つつじ祭り」もやっているみたいですので、ぜひ「大蔵省さま」といっしょに5月にでもお出かけくださいませ🍀🍀🍀
クラシックホテルは、こがんかんと、通じるところがあると思います✨✨✨✨
クリンより🐻(そのタイトルで高度成長のエッセイが書けそうですね‼️)
素敵なホテルの紹介、ありがとう!
日本てさ、もしあの戦争がなかったら、どんな国になってたんだろう?
って時々考えるよ。
戦争とか災害とか、いろんな横ヤリ受けつつも、人間は今出来ることをするしかないんだよね。
悪いことも、良いことの種に変えてさ。😊
続々と作品に登場させているとは!
と、驚いたら、なんとお仕事としての
依頼だったんですね。
今も昔も変わらないな~って思いました。
ともさあん~✨✨🐻✨✨
今のともさんが言うと「悪いことも、良いことの種に変えて」という言葉がぐぐっときて、クリン、泣きそうだよ🐻💧⤵️
クリンたちはせんそうをけいけん(経験)しないですんで、本当に幸運だったと思う。
「知れば知るほど戦前の日本には底知れない魅力を感じるけど、あの時負けてなかったとしても、どこかで負けていたと思う。」ってチットは言ってるよ⚠️
たてものとか、みんなやけちゃったけど、時々こうしてのこった・たてものから、昔のあれこれを知ることができると、かんがい深いものがあるよね、、💎
本当は「豊川稲荷」の前にこの話を入れようとしたんだけど、「蒲郡クラシックホテルに暗い影を落とすようで申し訳ないから、いったん流れを切ろう」ってチットに言われました💡
クリンより🐻🍀
ユミさあん~🐻🍀✨✨✨✨
ホテルは作家さんたちをタダで泊まらせてあげるかわりに、いる間に書いてもらっていたんだって💡「文学記念館」に原こう(稿)がたくさんあったよ⤴️
さいしょに書いたのは、きくちかん(菊池寛)らしいです💡💡
クラシックホテルと文ごうは、けっこうゆかりが深いから、他のホテルでも作品は生まれているみたい💖
松本せいちょうが、「点と線」を東京ステーションホテルで書いたとききました❗
クリンより✨🌼
クリンちゃん🐻✨の文はいつも文学的✨✨ですが、
今日の記事は輪をかけてというか、それ以上に小説との絡みと日本の歴史をわかりやすく紐解いている感じでした。
いつもありがとうございます💕
興味深いお話、ありがとうございます✨
開戦の7年前ですか…そんな大変な時期にそのようなプロジェクトがあったとは全然知らなかったです。
その後どうなっていったかが目に見えるようです💦
当時のまま残って、歴史を伝えていく素晴らしいホテルなんですね。とても勉強になりました。
っていつもこんな時間になってしまい申し訳ありません💦
クリンちゃんが寝る時間になっちゃいますね、お返事は急がなくていいですからね🙇
書きはじめたら、思いの外長文になっちゃって、ろんぶん(論文)みたいになってしまいました~🐻💦お手々がダルいよお。。⤵️
でも、マンマさまの「感無量」を引き出すことに成功したから、まあいいか👍✨✨
お手々は冷やしながらたえます⤴️🐻
マンマさまもこうやって長くむずかしいレポートをたくさん書いていらっしゃるのですよね‼️
今日はちょっとマンマさまのキモチが分かったかなあ🌼🌼🌼(って言いながら次回も長文です⚠️←チットが映画をみに行っちゃって。クリン、またまたお手々がはれちゃうかも⚠️アアーン☔)
クリンより🍀🍀🍀
おはようございます🐻🌄
こんな早くからいつもすみません🐻💦⤵️
送信する時、(ぼくぺんさま、起きちゃうかな?)って気になるのですが、、「コメント来ました」っていうお知らせメールに気づかないでくれればいいなと思っています💦
わが家はチットの出きん(勤)が早いため、朝早いんです⤴️5時すぎには起きなくてはならないので、夜のネンネはおそくて10時で・・←いつもぼくぺんさまのコメントに全く気づかずガン寝です🐻😪💤💤💡←夜8時前に寝ていることもあるんですよ⚠️さいきん、「録画」したテレビ番組がたまりほうだいです⚠️⚠️⚠️
がまごおりクラシックホテルは、太平洋戦争末期には「陸軍病院」になり、戦後はアメリカに一時とられちゃったみたいです。
でも、みごとにふっかつして、今はまたステキです⤴️✨✨
ホテルのしき(敷)地内には、料理旅館だったころのたてものもいくつかのこっているのですが、ぼくぺんさまには「料亭竹島」がとってもお似合いになると思います✨✨✨すごくステキなんです❗(クリンたちなんて、門の前を通りかかっただけでマゴマゴしちゃいました🐻💦)
クリンより🍀