直木賞の受賞対象になった原作は宮部みゆきの作品群の中でそれほど出来の良い小説ではない。題材を一歩引いて見るルポ形式を採用したためか、散漫な印象を受ける。少なくとも「火車」や「スナーク狩り」などと比べると読後の満足感は小さい。
しかし大林宣彦はそんな原作を“そのまま”映像化するという暴挙に出た。結果、それが紙一重で成功してしまうのだから、映画は分からない。
大林は原作のまとまりのなさを逆手に取り、似非ドキュメンタリーなる“虚構”をデッチあげることによって、強引にドラマを骨太のフィクションの世界に引きずり込む。「北京的西瓜」で試みたような、仕組まれた“自然な演技”が逆方向の人為的作劇を喚起し、しかもそれが“自然的な”エクステリアを身にまとっている以上、最初からフィクションとして製作する通常の方法よりも、リアリティとの双方向性を数倍も確保している。
こういう芸当は大林しかできない。他の作家がやっても失敗するだけだ。しかも、100人以上もの著名キャストが監督を信用しきってスッピンのままカメラの前に出ているのだから、この“偽ドキュメンタリー”はいっそう手が込んでいる。
主題を字幕として表示したり、やり過ぎの感があるラストや、デジカム撮影による不明瞭な画面(特に、空の描写)など、いくつかの欠点はあるが、それらを“小さな傷”だと思わせるほどの野心作である。
出演者陣では勝野洋や村田雄浩、岸部一徳、柄本明、南田洋子などが印象に残った。新人の寺島咲も良いし、宮崎将と宮崎あおいが、ちゃんと兄妹役で出演しているのも嬉しい。必見。
しかし大林宣彦はそんな原作を“そのまま”映像化するという暴挙に出た。結果、それが紙一重で成功してしまうのだから、映画は分からない。
大林は原作のまとまりのなさを逆手に取り、似非ドキュメンタリーなる“虚構”をデッチあげることによって、強引にドラマを骨太のフィクションの世界に引きずり込む。「北京的西瓜」で試みたような、仕組まれた“自然な演技”が逆方向の人為的作劇を喚起し、しかもそれが“自然的な”エクステリアを身にまとっている以上、最初からフィクションとして製作する通常の方法よりも、リアリティとの双方向性を数倍も確保している。
こういう芸当は大林しかできない。他の作家がやっても失敗するだけだ。しかも、100人以上もの著名キャストが監督を信用しきってスッピンのままカメラの前に出ているのだから、この“偽ドキュメンタリー”はいっそう手が込んでいる。
主題を字幕として表示したり、やり過ぎの感があるラストや、デジカム撮影による不明瞭な画面(特に、空の描写)など、いくつかの欠点はあるが、それらを“小さな傷”だと思わせるほどの野心作である。
出演者陣では勝野洋や村田雄浩、岸部一徳、柄本明、南田洋子などが印象に残った。新人の寺島咲も良いし、宮崎将と宮崎あおいが、ちゃんと兄妹役で出演しているのも嬉しい。必見。