元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「長江哀歌」

2008-03-02 06:52:16 | 映画の感想(た行)

 (原題:三峽好人/STILL LIFE )映像の喚起力に圧倒される映画だ。舞台は長江上流の三峡地区の奉節。代表的な景勝地だが、三峡ダム建設という国家的な大事業のために急激な変貌を余儀なくされている。

 雄大な長江の流れの両岸には、へばり付くように民家や集合住宅がひしめいている。しかもそれらは開発のためと称して容赦ない取り壊しや強制移設の対象になっており、ところどころ破壊されてゴーストタウンになっているかと思えば、すぐそばには貧民街が存在している。風光明媚な自然と、生臭く貧しい小市民の暮らしぶりが同一アングルで捉えられている画面は、例えようもないほどシュールだ。

 UFOが飛んだり建物がロケットになり発射されたりというケレン味はさすがに苦笑するものの、思わぬ方向からの風景の切り取り方による構図の大胆さは、最初から最後まで驚かされっぱなしである。

 もちろん、映画の第一義的な趣旨としては昔からの観光名所と国家事業としての身も蓋もない乱開発を同一画面で見せることにより、社会主義から自由経済へと移行する中国における個人主義の蔓延や格差の拡大の告発がメインとなっているのは明らかだ。しかし、しょせん中国という国および国民は大昔から自分勝手主義や拝金主義の権化であることは論を待たず、そういうのばかりを今さら言い募ってみたところで証文の出し遅れである。

 それでもこの映画から目を離せないのは、時代の流れに翻弄されている名も無き一般ピープルの生き様に徹底して着目することにより、どこの国にも当てはまる普遍的な図式を提示している点だ。

 故郷に置き去りにした妻を長い年月の後に探しに来る夫、家庭を捨てて気ままに生きる実業家の夫に別れを告げるために遠方からやってくる妻、映画はこの二つのエピソードを平行して描くが、どちらの主人公も立派な人物とはほど遠い。有り体に言えば未練がましい者達だ。けれども我々の誰が彼らを指弾することが出来るのか。決然として人生を切り開けるような高い向上心を持った者など、そう多くはない。ほとんどが流れにたゆたう浮き草のように目先のことにとらわれて日々生きてゆくのだ。

 それを手応えのある映像をバックに、諦念と愛着とを込めてうたいあげた本作の説得力は並大抵の物ではない。監督ジャ・ジャンクーの視点の確かさには感服する。だてに2006年のヴェネツィアを制してはいないと思わせる。ユー・リクウァイのカメラによる撮影も素晴らしいが、リン・チャンによるオリジナル音楽および既成曲の使い方は絶妙であった。近年を代表するアジア映画の秀作だと思う。
コメント
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