(英題:The Band's Visit)ネタは悪くないのだが、映画自体は全然弾まない。残念な作品だ。90年代の前半、イスラエルに招かれたエジプトの警察音楽隊が、手違いのため目的地とよく似た地名の街に行き着いてしまい、そこで一泊することになり(ホテルはないので、一般の人家にお世話になる)、本作はその一夜の出来事を描く。
カルチャー・ギャップにまつわるギャグを散りばめ、最後には“音楽は国境を越える!”とばかりにシュプレヒコールをブチ挙げた作品に仕上げることも出来たはずだが、ハリウッド製娯楽映画じゃあるまいし、こちらはそこまで期待はしない。しかし、この地味すぎる展開は、製作意図すら疑ってしまう。
そもそも、どうして彼らはイスラエルにやって来たのか。新しくオープンする記念館のセレモニーで演奏するためだという説明はある。だが、なぜ彼らでなければならないのか。誇り高きベテラン楽団長や、女と見るとスグ口説く二枚目といったタレントはいるものの、それだけでは作劇上の興趣は不足だ。もっと“スクリーン映え”するキャラクターを集めるべきではなかったか。だいたいこれでは彼らが音楽隊である必然性はない。普通の団体客でも良かったのではないか。
気になったのは、現地住民たちの死んだような生活ぶりだ。沙漠の中に忽然と建つ集合住宅。外見は近代的だが、建ってからかなりの年月が経つと見えてあちこちに老朽化が垣間見える。しかも、当地には夕方までしかバスの便がないのだ。うら寂しいローラースケート場で刹那的な時間を過ごす彼らは、世の中から見捨てられていると思われても仕方がない。
これはひょっとしてイスラエルの国内問題とリンクしているのかもしれない。たとえば、行き過ぎた開発の末にメンテナンスに手が回らない住宅地が多数放置され、そこの住民と都市部との格差が顕著になっているとか何とか・・・・。しかし、映画はそこまで説明しない。それどころか暗示的なシークエンスも挿入しない。おそらくは海外で公開されることを前提としていないため、作者(監督と脚本はエラン・コリリン)はドメスティックな事柄への言及を端折ったのだろう。しかし、それでは観る側としては不満が募る。
登場人物の中では音楽隊の世話をするレストランの女主人が印象的。小股の切れ上がったイイ女だが、男運も職業運もない。寂しさを音楽隊連中に対して発散しようとして・・・・結局はそれも不完全燃焼に終わる。ただし、演じる女優の頑張りもあり存在感は感じられるが、それがどうして相手が音楽隊なのか・・・・といった当初の疑問点に戻ってしまうのが何とも虚しい。評価し辛いシャシンではある。